第3話 「白蒸気の邂逅」
石畳を叩く早足のリズムには気づいていたが、胸の高さほどの影が角から飛び出してくるとは思わなかった。
咄嗟に腕を伸ばし、その小柄な身体を支える。焦げた真鍮と霧の匂いが鼻を刺す。
震える肩。歯車仕掛けの真鍮の手。汚泥が跳ねた服の裾。
ぶつかってきた少女は、背の高いミクを見上げてなにか言おうとしているようだったが、とっさに思いつかないらしい。
大きく見開かれた目には涙が溢れそうになっているのが見え、窮地にあるのがわかる。
アンドロイドか。ミクは直感した。
逃げてきた――? 問いかけるより早く、背後の路地で鎖の引きずる音が近づいてくる。
猟犬どもか。
地獄の
奴らは生命エネルギーか錬金術の力が尽きるまで、飽くことなく追いかけてくるだろう。
しかもそれは至近に迫りつつある。
ちっ。
とっさにミクはその少女を背後に庇った。
つい昨日のように蘇る——銃口、震える瞳、少年のすすり泣き。一瞬、目眩を伴う頭痛がずきり響いた。瞳が収束する。
頭を一度振り、すぐに言った。
「こっちだ」
ぐずぐずしてはいられない。
ミクは少女の手を引き、石畳を蹴った。
近くにあった蒸気を噴出している罐を、重くて頑丈な作業靴で勢いよく蹴り飛ばす。
追手たちの視界は遮断されたはず。おそらく猟犬の嗅覚も しばらくのあいだ無力化できるだろう。触れれば火傷する高温の蒸気だ。
進む方角を変え、うまく足が動かない様子の少女を連れて、日中自分が働いていた場所へ急いだ。
歯車がきしむ音――少女の義足らしい。
路面電車の廃トラム庫へ。錆びた車体が闇に浮かび上がり、風が鳴らす古い吊り鎖が遠い鐘のように響く。
錆びたシャッターは半開きのまま固着し、夜霧が薄灰の靄となって庫内へ滲み込んでいる。
ミクは少女を押しやり、足元の鎖をつかむと鉄枠に絡めた。ガラリ、と低い悲鳴をあげてシャッターが閉じ、残された隙間から月光が一条、床に落ちる。
暗闇にはすぐ慣れた。だがその前に、スニファーが間を置かずしてシャッターかじり始めた。金属を削る甲高い音が聞こえる。――時間は稼いだが、長くはもたない。
少女の手をひきながら、内部へ進んでいく。
歩きながらミクは言った。
「俺はミクラーシュ・ジヴィ。ミクでいい。あんたは?」
少女はほんの一瞬逡巡したが、覚悟を決めたように答えた。
「わたしはミルフィ。助けてくれてありがとう」
震える声。だが灯芯のように細い強さが残っている。ミクはその火を守るように背を向け、闇の迷路へ踏み込んだ。
ミルフィは胸の奥でそっと息を吸った。──信用してみる。それしか道はない。
こんなにわたしを助けてくれた人はいなかったのだから。
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