第23話
翌日。クラスの雰囲気は相変わらずで、グループチャットは上滑ってる感じ。投稿や「いいね」はあるが、盛り上がる事は無い。
クラスメート同士の会話もそれと変わらず、周りを気にしながら交わされている。サッカー部と囲碁部の彼らは明らかに意気消沈していて、見ているこちらがいたたまれない。
そんな調子で授業が終わり、帰りのHRが始まる。席を立つ準備をしている生徒もいて、この場から早く立ち去りたいと思っているのかも知れない。
「今日はもう終わりと言いたいけれど、最後に1つ。スマホの扱いについて、改めて注意します。何度も言うように、授業中は電源を切る事。緊急の場合はなんて言う人がいるけど、そういう場合は職員室に連絡が入ります」
担任の説明に、大半のクラスメートは何を今更という顔。とはいえ授業中に着信音が鳴り響く事は珍しくなく、この手の注意は定期的にされる。
「先生。今はHRだから、電源を入れていいんですよね」
「よくないの。HRが終わった後で、電源を入れなさい」
「もう入れちゃった」
よっちゃんの台詞に笑い声が上がり、担任がやれやれという顔をする。私はすでに電源の入ったスマホとにらめっこで、手の平には汗をかいている。
「……これ、誰が。って、怜?」
スマホを見ながら叫ぶよっちゃんに反応して、クラスメートの視線がよっちゃんから自身のスマホ。そして私へと移動する。
「あっ。よっちゃんだけに送ろうとしたんだけど、間違えた」
クラスのグループチャットに投稿されたのは、私が描いた猫のイラスト。猫が手をつないで、街中を歩いている絵だ。
「あるある」という呟きと、驚きと、褒め言葉。教室内がざわざわとし始め、今や全員がスマホに見入っている。
そんな中、一枚のイラストが再び投稿された。
「……げっ。なんだこれっ」
私の隣で大きな声を出す聡。おおよそ普段の彼には似つかわしくない人目を惹く行為だが、それを気にする者は誰もいない。
何故か。
「魔物?」
誰かがそう呟き、「あぁ」という同意の声が広がっていく。私の目から見てもそれは確かに魔物で、今にも画面から飛び出して具現化しそうな程だ。
「あー。私も猫を怜だけに送ろうとしたんだけど、間違えた」
よっちゃんの言葉に再び「あるある」という言葉が聞こえ出す。
それへ被せるようにして、私がすぐに次の投稿をする。
「あっ。よっちゃんだけに送ろうとしたんだけど、間違えた」
さっきと全く同じ台詞を告げ、クラスメートの反応を見る。さすがにここまで来るとクラスメートの半数くらいは理解をしたようで、だけど状況自体には何も変化は無い。私達の意図は理解されても、落としどころまでは分からないのだろう。
ちなみに私が描いたのはナスで、キュウリと一緒に高速道路を走っている。
「あー。私もナスを怜だけに送ろうとしたんだけど間違えた」
今度はよっちゃんのターン。それには再び「魔物?」という言葉こそ飛び交うが、クラスメートは相変わらず様子見。私達の意図は、まだ理解されていない。
「……何、これ」
少し張り詰めた声で、誰かが呟く。
その理由は、次に投稿された一言によってもたらされた。
「へただな」という一言で。
一気に張り詰める空気。そして非難の視線が、投稿者に向けられる。
私の隣に座る、聡へと。
「……だって、へただろ」
追い打ちを掛けるように、聡がはっきり口にする。
重くひりつくような空気が凝縮され、そのまま押し潰されそうになる。しかし聡は平然とした表情のまま、スマホをいじっている。
「ああ、間違えた。これは吉田さんと、中川だけに送ったつもりだったのに」
「確かに、へただよね」
私がそれに同調し、刺すような視線が一斉に向けられる。その苦しみは、ほんの一瞬。だけど自分にとっては永遠と思えるような時間にすら感じられる。
そして次の一言で、すぐにその苦しみから解放される。
「そうそう、へただった」
よっちゃんがそう言うと、静まりかえったクラスメート達が再びざわめき出す。そしてその意味に気付いた生徒から、「ああ」という声が漏れる。
よっちゃんの投稿した絵をよく見ると、読めるか読めないかくらいのサイズでこう書かれいている。
「この部分は、なんて言うんだっけ」と。
ナスの上。つまりは、「へた」の部分に。
途端に弛緩する空気。だれた笑い声が広がり、すぐに「魔物」という言葉も飛び交う。
すると何かが落ちる大きな音がして、視線は一斉にそちらへと集まる。
「ネットって、こういう事があるよな。俺も昔、オンラインでゲームしてた時にあったんだけど」
聡は鉄製の定規を拾い上げながら、大きな声で語り出した。いつになくはっきりとした口調に、クラスメートは全員耳を傾ける。
「ボイスチャットの事を忘れて、「お母さーん」て叫んだ事があってさ。あの時はすごい恥をかいた」
くすくすと漏れる笑い声。聡はそれが収まったのを確かめ、軽く息を付いて話を続けた。
「だから、ネットでの投稿は怖いんだよ」
「間違えや、勘違いがあるって事? さっきのナスのへたを、絵が下手って感じ違いするみたに?」
「まあな」
「文字にすれば、同じだもんね。文字にすれば。でも本当の意味は、全然違うって事があるよね」
似たような事を繰り返し言葉にして、私と聡は言葉を終えた。最後まで語っても良いが、それは私達の役割では無い。
静まりかえる教室内。席を立つ者は誰もおらず、担任もHRの終了を告げはしない。お互いを見合わせ、探るような空気。もう一押し必要なのかと思い、聡と視線を交わしたその時。
「……あの、ちょっと話があって」
席を立ってそう呼びかけたのはサッカー部のイケメンで、それに合わせて囲碁部の彼も席を立つ。
クラス内は一層静まり返り、彼らの心臓の音が聞こえそうな程。それほど彼らは悲壮感と、決意に満ちた表情を湛えている。
「俺が昨日投稿した内容。つまんねっていう、あれ。本当は俺が、あいつだけに送った内容だったんだ」
「ぼ、僕達はその時、自分達で作った詰将棋を解いてて。でもそれが、失敗というか間違えてて」
「つまり王が詰まないから、つまんねって」
耳が痛くなるような静寂。それは誰かのささやきによって破られ、さざ波のようにクラス内へと広がり、ざわめきとなる。
「いや、囲碁部だろ。詰将棋ってなんだよ」
「というか。仲良かったのかよ、お前ら」
「詰将棋で、詰まないって何? 何将棋なの?」
怒濤の突っ込みが彼らに押し寄せ、ただそれは決して冷たい物では無い。もしこれが文章なら。グループチャットに書き込まれたら、空気はより一層険悪になっていただろう。
ネット上の書き込みには欠陥があり、リアルなコミュニケーションの方が優れていると言うつもりは無い。
だけど今だけは、この瞬間だけは。その口から発せられる言葉の重みを、何よりも大切に思う。
喧噪の中で担任が短くHRの終了を告げ、教室を出て行く。勿論話は先に通してあり、そうで無ければこのタイミングで都合よくクラスメートの足止めのような話はしてくれない。
担任ともなればクラスのSNSには関心を払っているだろうし、ただ大人の介入は出来れば避けたかった。本当に手が終えない状況ならともかく、この時点で手を借りたら問題は一層こじれていたと思う。
「取りあえずは、なんとかなったじゃない。策士、怜」
よっちゃんがにやにやしながら、私に話しかけてくる。クラスメート達は殆どがまだ教室に残っているが、サッカー部のイケメンと囲碁部の彼をからかっていて私達には関心を払っていない。
「私の絵をネタにしたのは、納得出来ないけど」
「あの絵が無ければ成り立たなかったでしょ」
「そうかな」
「そうだよ」
あれを褒めるのは危ういし、けなすのはもっと危険。とにかく核心には触れず、受け流すに限る。
「まあいいや。後は放って置いても大丈夫そうだし、帰ろうか」
「そだね」
よっちゃん風に返し、席を立ってリュックを背負う。ただ今の心境は、大きな荷物を下ろした気分だ。
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