第20話
翌朝。寝不足のまま教室に着き、リュックを机の横にぶら下げてそのまま伏せる。今なら昼休みまで寝てしまいそうで、色々とひどすぎる。
「調子悪いのか」
「寝不足なだけ。1時限目までは寝る」
そう呟いた所までは覚えていて、気付くとお弁当箱と向き合っていた。慌ててノートを調べると、記憶に無い内容が書き込まれている。ただどう見ても私の字で、聡やよっちゃんのいたずらではないようだ。
「私、起きてた?」
「それはなんとも言えんが、目を開けてノートは取ってた」
「どういう意味?」
「話しかけても、殆ど反応が無かった」
それが良いのか悪いのかはともかく、ノートは取っているので復習はどうにかなりそう。私を見とがめた先生達からの復讐は知らないが。
「知らない間に食べ終えてるし、お弁当箱を洗いに行ってくる」
「大丈夫か?」
「もう目は覚めた。目覚めの朝だよ」
「今、昼だけどな」
もっともな突っ込み。どうも、まだ覚醒し切れてないようだ。
「知らない間に食べ終えてるし、お弁当箱を洗いに洗ってくる」
「どうして2度言った。本当に大丈夫か」
「大丈夫。おばあさんは川へ洗濯にだよ」
「何言ってるのか、自分って分かってるか?」
それは私自身に問うてみたい。
若干ふらつきつつ洗面所に辿り着くと、アライグマさんが例によりお弁当箱を洗っていた。いや。そんな名前では無いのだが、私の中ではそれで定着してしまっているので。
でもって今日は囲碁部の彼も一緒で、その彼はレフ板を持たされている。なんか色々カオスだな。
「……ださ、こいつ囲碁部だろ」
「彼氏が囲碁部って、ありえなくない?」
後ろから聞こえる罵声。
アライグマさんが目付きを悪くし、囲碁部の彼氏も彼女をかばうようにその前に立つ。それに私は高い声を出しそうになったが、その感慨はすぐに打ち消される。
「彼氏面してるぜ、こいつ」
「マジ恥ずかしいんですけど」
まずお弁当箱を洗面所の脇に置き、軽く息を整え、冷静さを保って振り返る。
そこにいたのは茶髪の大柄な男子生徒と、はっきりと分かるメイクをした女子生徒。いかにもといった感じで、この男子生徒が側にいれば意気軒昂になるという物だ。この場合は、居丈高というべきか。
まあ、何もかもがどうでもいいが。
「人の事を馬鹿にする方が、よほど恥ずかしいでしょ」
そう言い捨て、2人を後ろにかばう。目の前の男子生徒とは体格で比べるべくもなく、筋力だけを取れば相手にもならないだろう。
だからといって私が引き下がる理由は、何一つとしてない。
「あ? もういっぺん言ってくれないかな。もしかして俺、ディスられてる?」
「何調子くれてる訳? 私達とやる気?」
「初めからそのつもりだけど」
そう答えると男の目付きが明らかに変わり、拳が前に出てくる。
私もそれに反応して身構えようとした途端、女がスマホをこちらへ向けてきた。そしてすぐに、けたたましい笑い声が廊下に響く。
「今すぐ、拡散してやるから。タイトルは生意気な女、ボコられるって事で」
「本気で言ってるの」
「生意気な女、土下座するでも良いわよ。それとも、一枚ずつ脱いでく?」
再び響く笑い声。
もはや何も言う気にもなれず、ただ迂闊に動くのはリスクが高い。何が道具があれば……。
「おーい。俺だよ、俺俺。あのさ母さん。この前FXで、大失敗してさ」
「あぁ?」
女子生徒が振り向いたところで前へ飛び出し、同時にフリッカージャブでスマホを奪う。すぐに画面を確認するが何も撮影はされておらず、洗面所に叩き付けようとしたがそれは止めた。
ベタな台詞を言っていたよっちゃんが、両手で大きく×を作っていたので。
その隣にいる聡も落ち着けという顔をしていて、私も2人に向かって軽く頷いた。
「返せよっ。というか、お前誰だよ」
「俺だよ、俺俺」
「馬鹿に……」
「いやだな。危ないところを助けてあげて、むしろ感謝してもらいたいくらいだけど。それとこの子、赤鬼だから」
「赤鬼?……あかおにーっ?」
女子生徒はそう叫ぶとすぐに口を押さえ、青い顔で後ずさった。恐怖と絶望を宿した眼差しを、私へと向けながら。
「何だ、その恥ずかしい名前。ださいどころじゃないぞ」
「ば、馬鹿っ。す、済みません。本当、済みません。ど、土下座でよければすぐにでも」
「あ? どうして俺が」
「ば、馬鹿。赤鬼っていうのは、例の先輩を殴り殺した」
「えっ」
今度は男子生徒も顔色を変え、本当に土下座しそうになったのでそれをすぐに止めさせる。というか、人を殺人犯にしないで欲しい。
お金でも包みそうな2人を退散させ、ため息をついてお弁当箱を洗う。あー、水も随分ぬるくなってきたな。
「で、赤鬼ってどういう事」
とはいえ水洗いだし、ハンドクリームを使った方が良いのかな。出来れば、100均よりも少し良いのを使いたいな。
「この子の、中学校の頃のあだ名。当時クラスでくだらないいじめがあって、グループチャットで特定の子を仲間はずれにする事が流行ってたの。私はガラケーでこの子はスマホもガラケーも持ってなかったから、その辺が初めは疎くてね」
水洗いだけだと油が残るし、今度から洗剤を持ってこようかな。スポンジはやりすぎかな、ふふ。
「そんなある日なんだけど。いじめがあるって知った途端、この子のスイッチが一気に入ってね。いきなり、主犯格のグループに詰め寄った訳」
「へぇ」
「ちょうどさっきみたいに主犯格の連中がスマホを構えた途端、木刀一閃」
木刀じゃなくて、ロッカーにあったほうきの柄ね。
もう、どうでもいいけどさ。
「全員のスマホを寸断。とはいかなかったけど、いくつかは砕け散ったのよ。じゃあ人間はスマホより固いのかって話で、その時は全員即座に土下座だった」
自主的にね、自主的に。私は止めたからね。
「でも、それのどこが赤鬼な訳? 童話みたいな、マッチポンプって事?」
「違う違う。スマホの破片が怜の顔に飛んできて。その時この子が、「あー、かおにっ」って叫んだから」
「はー」
私を見ながら、なんとも言えない声を出すアライグマさん。私だってその呼び名は、色々と不本意だったのよ。
「ああいう馬鹿が出てきたら、遠慮無く赤鬼の名前を使いな。私が許すから」
「ありがとう。でも今日は、何もしなかったけど」
「赤鬼も日々成長してるの。伸び盛りの赤鬼に、今後もこうご期待」
何を言ってるのか少しも分からないし、分かりたくも無い。彼女の後ろで、いつになく嬉しそうな顔をしている聡も含めて。
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