第11話

 翌朝。聡はいつも通り先に登校していて、やはりいつも通りペンを回している。彼にとってはこれがゲーム代わりなのかも知れない。

「いつもそれ回してるね」

「ソシャゲよりも健全だろ」

 確かにペン回しで課金を強いられると聞いた事は無く、健全と言えば健全。とはいえ課金しなくてもゲームをプレイする事は可能で、何より彼は元ゲームのプレイ動画配信者だ。

「ゲーム自体は好きなんでしょ。だったら課金しなくても良いゲームをすれば?」

「俺はもう、一生分ゲームをプレイした」

「ああいうのって飽きるの? 死ぬまでやるんじゃないの?」

「怖い事を言うな」

 そんな物なのか。私のイメージとしては、ゲーム好きな人はいつまで経ってもゲーム好き。大人になれば、今まで以上にお金を掛けてゲームをプレイするという印象だ。

「偏見だ、そういうのは」

「それは失礼。でもあの冷蔵庫、あれは良いよね。私も自分の部屋に欲しいくらい」

「そうか」

「そうだよ。いちいち台所まで行くのは面倒だし、特に夏場は、あると便利……」

 そこまで言って、ふと意識が過去へと戻る。昨日今日ではなく、もっと前。今よりも色濃く、全てが鮮やかに見えていた頃の記憶が。

 確か私と聡と沙紀さんが道場で稽古してて、その後に私の部屋で休んでいた時の事だ。すごく喉が渇いて、お茶を何度も取りに行って。この部屋に冷蔵庫があればと、3人で話した記憶がある。

「……そうだよ。夢だよ、夢。私と聡が一緒に願った、夢の冷蔵庫だよっ」

 思わず席を立って声を張り上げ、クラスメート達の視線を浴びる。いわゆるやらかしたというあれだ。

「……良く覚えてたね」

 声を潜めて尋ねると、聡は苦笑気味に表情を緩めた。彼のこういう顔は、久しぶりに見るな。

「自分の部屋に冷蔵庫があれば便利だなと思っただけだ。それに、そんなに高い物でも無い」

「でもあの色、あの時に話してた色でしょ」

「そうだったかな」

「そうだったよ。私と聡が一緒に願った、夢の冷蔵庫だよっ」

 いつの間にか近づいてきてたよっちゃんに、軽く頭をはたかれた。しかしこればかりは致し方無いので、甘んじてそれを受け入れる。

「もういいっての。というか夢の冷蔵庫って、どういう事」

「いつでもお茶が飲めると便利だなって」

「本当、どういう事?」

 それは私もよく分からない。ただ思うのは彼が私との思い出を覚えていた事。私もそれを思い出し、それが重なり合った。

 それを今は、何よりも嬉しく思う。


 お昼休みになり、空になったお弁当箱を持って席を立つ。

「聡は」

「まだ食べ終わらん」

 彼は相変わらず大きいおにぎりと格闘中。炭水化物の取り過ぎな気もするが、具材が不明なので断言も出来ないか。

「ちょっと、アライグマさんに会ってくる」

 近くにいたクラスメートが、何事かという顔でこちらを見てくる。さっきの冷蔵庫に続いて、今度はアライグマ。これでは不審がられるのも無理は無い。

「お弁当箱、お弁当箱をアライグマ」

 そう言ったら、愛想良く笑われた。人間理解を超えると、笑うしか無くなるようだ。


 逃げるようにいつもの洗面所に行くが、アライグマさんの姿はそこになかった。時間が合わなかったのかと思って1人でお弁当箱を洗い、何か落ちていないか周りに視線を向ける。

 ただ落ちているのは紙くずくらい。それを拾おうとした途端風が吹き、紙くずが舞い上がって窓の外へ出て行きそうになった。

 放置しても良いが、ゴミはゴミ。咄嗟に手を伸ばしてそれを掴むと、自然と顔が外へと向いた。見えたのは眼下の、色とりどりの花が咲く花壇。そして、例の彼女だった。

 靴を履き替えて花壇の所まで駆けつけると、アライグマさんはまだその場にとどまっていた。いつものようにスマホを構え、ポーズを決めて。

「じょうろ?」

 今日彼女が持っていたのはお弁当箱では無く、象の顔をかたどった青色のじょうろ。久しぶりに見たな、これ。

「これもSNSにアップするため?」

「勿論。花壇に水をやるなんて、あざとくて良いでしょ」

「いいね」

 本心からそう答え、少し感心をする。ベタだが、花もあるので見栄えもする。受けるか受けないかと言えば、間違いなく受けるだろう。

 そう思った途端スマホが光り、思わず目を細める。

「……外なのにフラッシュ付けるの?」    

「写真は光が大切な訳よ。色々理屈はあるんだけど、こういう場合は間接的に当てるのが理想。後はレフ板があると、より良い」

「白い板みたいなあれ? でもそんなの用意出来る?」

「無ければ白っぽい物でも代用出来る」

 しかしこの場にいるのは彼女だけ。ただその足下に、ページを開いたスケッチブックが置かれている。これがその、レフ板の代わりなのだろう。

 また鞄の端からは撮影道具らしい物が色々覗き、私とはその準備段階からしてレベルが違っている。

「……これって」

 私が指摘したのは、鞄から覗いている小さい三脚ではない。その鞄に付いている、ホットパンツの女の子をかたどったストラップだ。

「ゲームのキャラクターでしょ、これ。golden deerの」

「知ってるの」

「ちょっとね」

「私も詳しくは無いんだけど、弟がプレイしてるの」

 どこかで聞いた話。ただこれで、彼女が私の投稿したサッカーボールに「いいね」を送ってくれた理由は判明した。その「弟」経由でゲーム画像に辿り着き、そこからサッカーボールを見てくれたのだろう。

「そうなんだ。でも撮影って大変だね、色々」

「やってると面白いわよ。投稿への反応もだけど、撮影するのが面白くなってくる」

 そういう事もあるのか。私はそれ以前に「いいね」をもらえないのだが。

「この前、サッカーボールだけ写してるアカウントがあった訳よ。後はドングリ」

「へぇ」

 思わず声が上ずり、カミングアウトしようかどうか考えを巡らす。しかしそれより先に、アライグマさんが話を続けた。

「かなりいっちゃってるけど、そのくらいの方が面白い訳よ。多分本人は、大真面目なんだろうけどね」

「そんな事分かるの?」

「気がするってだけ。本当にいっちゃってる可能性の方が高いけどね」

 ケタケタ笑いながら去って行くアライグマさん。私は彼女を見送り、花壇を一枚写真に収めた。

 そこから滴り落ちる水滴を。



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