第8話

 翌朝。教室に入ると、いつも通り聡が先に登校していた。相変わらずスマホを放置し、鉄の定規で肩を叩いている。この子こそ、最近の高校生とは思えないな。

「昨日道場で、沙紀さんに会ったよ。その時いいねの事を相談したけど、よく分からないって言われた」

「そもそも難しい話なんだし、相談する相手が悪い」

「いい人だよ、沙紀さん」

「今朝、朝食を食べてた時の事なんだが」

 定規をペンに変え、それを回しながら語り出す聡。私も筆記用具を準備しつつ、その話に耳を傾ける。

「時間が無いからって、殻が付いたままのゆで卵が出てきた。俺は気にせず殻をむいて、それを食べた。でも、姉さんは違ってた」

「塩か醤油。それともマヨネーズかって話?」

「もっと根源的な話だ。我が姉はゆで卵をじっと見つめて、どうすれば勝てるかを考え出した」

「ゆで卵相手に、勝つも何も無いよ」

「それは常人の発想だ」

 褒めてるのな、これは。違うだろうな、多分。

「そういう人間に、人生とはなんぞやと尋ねても分かる訳が無い」

「そんな大げさな事は聞いてないけどね。それより、これ見て」

 スマホの画面を聡に近付け、にこりと笑う。ついに、とうとう、ようやくにして。とにかく身内以外で、初めて「いいね」が送られてきた。

 「いいね」は五目並べの画像に対してで、数は現在4。内訳はよっちゃんと、熱田君。昨日フォローしてもらった沙紀さん。

 それでも身内の数は3なので、残り1人は誰でも無い誰か。実際名前を見ても、知らない人になっている。

「この人は五目並べの何を見て、いいねと思ったのかな」

「おい」

「でも、聡もそう思うでしょ」

「世の中、いろんな奴がいるからな。五目並べに劣情を催したのかもしれん」

 ……朝から最低な事を言ってくるな。というか、五目並べに劣情ってどういう意味よ。

「それも、魔狼時代の経験から来てるの?」

「朝から話す事じゃないから、後で話す」

 だから、朝以外でも話す事では無いんだって。


 放課後。今日はいつものファミレスでは無く、聡の部屋に集まる。メンバーは私と聡。そしてよっちゃんだ。

「熱田君は?」

「用事があるから遅れるって。あの子って出来が良いから、学校でも忙しいらしいよ」

「これからは、瑞樹さんって呼んだ方が良さそうだな」

 聡はそう言って笑い、デスクトップパソコンの電源を入れた。室内はいかにも男性高校生の部屋といった雰囲気で、ただ配信で大儲けした割にはそれ程でもという感じだ。

「久しぶりに来たけど、案外普通の部屋だね」

「今はパソコンがあれば、大抵の事は何でも出来る。音楽も聴けるし動画も見れるし、マンガも読める。そしてネット配信も出来る」

「魔狼復活?」

「それは無い」

 聡はきっぱり言い切り、パソコンが立ち上がったところでソフトをいくつか起動させた。そしてインカムをつけ、それに向かって声を出した。

「……声、違わなく無い?」

 よっちゃんが眉をひそめ、パソコン脇の小さなスピーカーと聡の顔を交互に指差す。確かにスピーカー越しという事を加味しても、違和感を感じる声質だ。

「ボイスチェンジャーで、多少変化させてある。ただそれでも、声自体は男の声なんだよ」

 どうやらこれが、今朝の話の続きらしい。なんだか嫌な話になりそうだが、ここは大人しく耳を傾けよう。

「例の自爆をする前から、少しだけど見てくれてる人はいた。中には直接コメントを送ってくれる人もいて、そういうのは励みになるんだが」

「なるんだが?」

「明らかに不審なコメントが来る事もある。俺が男だって言ってるのに、それがむしろ良いって。……思い出すだけで、背筋が寒くなってくる」

 それは私も同感で、思わずよっちゃんと肩をさすり合う。そもそも聡に懸想するなんて、またマニアックな……。

「全然、何も考えてないよ」

「もういい。それで、写真はどうなった」

「これ、見つけた落とし物を写してみた」

 彼の許可が必要という訳では無いのだが、判断しづらい内容の場合は出来るだけ確認を取った方が無難だと思う。私も、思わぬ所からの炎上は避けたいし。

「……これ、何」

「夜に、公園で見かけた。問題は無いよね」

「怖っ」

 よっちゃんが、ストレートに感想を口にする。ちなみに私が撮影したのは、サッカーボール。より正確に言うとサッカーボールが公園の街灯に照らされ、闇の中にぼんやりと浮かび上がっている。

 また闇の中というくらいなので、周りは完全な漆黒。サッカーボール以外は何一つとして写っていない。

「こういうのって、情感があるっていうんでしょ」

「怖っ」

 それはもう良いんだって。


 やいやい言ってくるよっちゃんを無視し、サッカーボールを投稿する。しかし「いいね」が送られてくる気配は、まるでない。

 今回に関しては、よっちゃんからも。

「よっちゃん、いつも気にせず送るって言ってるじゃない」

「クラスのグループチャットは内容が無難だから、見なくても「いいね」を送れるの。でもこれは、マジもんでしょ」

「そんなに変かな」

「闇を覗くって、まさにこういう事でしょ」

 随分大げさな事を言われてしまった。私としては今言った情感。切なさを感じたつもりだったのだが、よっちゃんにそれは伝わらなかったようだ。

「……お邪魔します」

 「いいね」が送られてこないスマホの画面を凝視していると、熱田君が聡の部屋に入ってきた。そして青ざめた顔で、私に近づいてくる。

「ホラー路線になったんですか?」

「全然違う。切なさと物悲しさを感じたの、私は」

「……ああ、そういう意味。だったら夕方に撮影した方が良いと思いますよ。暗闇にボールだけ写ってると、暗闇から誰かがボールを蹴りに」

「止め」

 よっちゃんが聡君の口を、強引に手でふさいだ。この子、案外怖い物が苦手なんだよな。

「中川さんは、どう思います」

「昔、動画配信してた頃の事なんだが」

 また語り出す聡。ただ彼のこの手の話には聞くべき点が多いので、大人しく耳を傾ける。

「俺は声こそつけてたが、映像はゲームの画面だけ。自分自身は勿論、この部屋も一切撮さなかった。ただ人によっては自分自身を写すケースもあって、容姿が整っていればばそれだけでアクセス数を稼ぐ事が出来る。ただ」

「ただ?」

「写りたくないのに、自分が写り込む事は結構ある。鏡や窓ガラス、金属面からの反射。自分の名前付きの持ち物。後は影が案外写り込みやすい。その点において、このサッカーボールはすごくいい。自分が写り込む要素が一切無いからな」

 褒めてるのかな、これ。絶対違うだろうな。

「良いんだって、これで。……ほら来た」

 よっちゃんや熱田君。ましてや聡でも無い、第3者からの「いいね」が送られてきた。五目並べに「良いね」を送ってくれた人と同じユーザーネームで、もしかすると私のファン1号かも知れない。


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