第2話

 廊下を走って教室に戻り、お弁当箱をナプキンで包んでリュックにしまい、個包装のチョコを1つ食べ、水筒のお茶を一気飲みする。

「落ち着け。それと、意味が分からん」

「私も分からない」

 それでもスマホを取り出し、首を傾げ、ポケットの中を探ってみる。しかし出てくるのはコンビのレシートやヘアゴムばかりで、これといった物は現れない。

「何か無くしたのか」

「探してはいるよ、いいねの意味を」

 結構うまい事を言ったつもりだが反応は鈍く、鼻で笑う寸前と言ったところ。こういうのには、つくづく厳しいな。

 取りあえずばたつくのを止め、洗面台での出来事を聡に話す。

「なるほど。ただ顔を晒すリスクって、本人が思っている以上にあるからな」

「私もそれは思った」

「極端な言い方になるんだが。素っ裸で大きな旗を振って、私を見て下さいって言ってるようなもんだ。それもワールドワイドなレベルで」

 言ってる事は本当に極端だが、その意味は理解出来る。私は普段でも自撮りは殆どしないし、友達と一緒に写すのがせいぜいだ。

「ただ、それで思ったの。色々試していけば、いいねの意味が私にも分かるかも知れないって。いや。意味は分かるけど、これに振り回される理由を知りたくて」

「クラスのグループチャットじゃなくて、普通に公開するって事か」

「そう。勿論、顔は出さないけどね」

「……やるのは良いが、幾つか条件がある」

 聡は姿勢を改め、人差し指を立てた。まずは1つ目という意味だろう。

「自分が女性。特に、女子高生だとは分からないようにする事」

「変な人に、絡まれないように?」

「それもあるし、女子高生ってだけで相当かさ上げした状態になる。「今日は良い天気だね」だけでも、いいねが100は来る」

 それはあながち間違いでは無く、イケメン男子の発言とも通じる部分があるだろう。つまりはその発言よりも、「誰が発言したか」に主眼置かれる訳だ。

「次に、エロ、グロ、不謹慎は当然禁止」

「分かってる」

「ただエロは、正直男でも出来るけどな。俺がすね毛を剃った太ももを写してアップロードすれば、いいいねが100は来る」

「嫌な話だね」

 思わず彼の足を見てしまい、きつい目で睨まれる。しかし今の話は、想像するだけで背筋が寒くなりそうだ。

「とにかく世間一般で言われる、ネットリテラシーを守る事だ」

「分かってるって。まずは、何を写そうかな」

「せいぜい頑張ってくれよ」

 聡は気のない調子で呟き、鉄製の定規で肩を叩き始めた。小うるさい割には、関心を示そうとはしてくれないな。

 ちなみにこの定規は何であれ武器として使う事を想定するという、古武道の教えが影響している。つくづくろくでもない話だが、実際はこうして彼のマッサージ道具になっているだけだ。


 もうしばらくポケットを探っていると、細長い何かが指先に触れた。つるつるとしてほどよい形で、これは期待が出来そうだ。

「……良いのが出てきた」

「おい」

「これは良いよ。これは良い。まさに、いいね」

 ポケットから出てきたそれを写し、少しだけ加工をする。特に変な物は映り込んでいないが、机の傷から特定され無いとも限らないので。

「これで良いよね」

「問題は何も無い。何を写したかは、ともかくとして」

「いいじゃない、これ」

 ちなみに私が写したのは、ほっそりとした小さなドングリ。確か先週、近所の公園で拾った物だと思う。帽子のような部分とのバランスが絶妙で、最近の私内における、マストアイテムだ。

「ネットに上げる前に、1度誰かに聞いてきてくれ。話はそれからだ」

「本当、細かいね。よっちゃーん」

 窓際の席でぼんやり外を眺めていた、長身の綺麗な女の子に声を掛ける。彼女とは中学からの付き合いで、何でも相談出来る私の親友だ。

「ん、どした?」

「写真を撮ってネットに上げようと思うんだけど、よっちゃんの意見を聞いてみたくて。一度、見てくれる?」

「怜も色気づくような年頃になってきたか。よしよし、ちょっと見せてごらんよ」

「はい」

 言われるままに、ドングリの写真を彼女に見せる。

 するとよっちゃんは画面を見て、私を見て、また画面を見て、もう一度私を見た。

「はい?」

「いや、感想は?」

「ドングリの?」

「そう、ドングリの」

 じっと見つめ合う、私とよっちゃん。彼女との付き合いは長い方だが、ここまで見つめ合ったのはもしかして初めてかも知れない。

「ああ、そういう事。アナグラムね。ドリング? いや、違う。グドンリ?」

「そうじゃないよ」

「だったらあれね。ドングリを粉にして、クッキーを作るっていうあれ。縄文時代の香りがしますねーってオチでしょ」

「いや、ドングリはドングリ。それ以外の意味は何も無いよ」

「……それで、そのどや顔? どして?」

 結構素で尋ねられた。

 おかしいな、ドングリなのに。

「いや、もっとよく見てよ。穴が空くくらいに」

「穴が空いてたら、虫が住んでる」

「そういう、うまい台詞は求めてないの」

 よっちゃんは「なるほどね」と呟きつつ、私が手渡した本物のドングリを眺めだした。しかし彼女には何の感慨も無いらしく、私も写すという台詞は聞かれない。


「というか、急にどしたの? こういうのは嫌いだと思ってたけど」

「まあ、ね」

 よっちゃんは中学校からの親友のため、私がSNSに疎い理由。苦手とする理由を知っている。

 だからこそ、だ。

「SNSって、いいねってあるでしょ。あれの意味が知りたいの。いや、意味は分かってる。ただ、どうして私はあれに振り回されるかなと思って」

「ずっとSNSと無縁だったから、ネット特有の感覚に馴染めないってのはあるかもね」

「よっちゃんはどうなの」

「私も、いいねは気にしてるよ。誰かが発言したら、すぐ送るし。……ほい来た」

 よっちゃんはスマホが通知を告げると同時に、即画面へと触れた。どうやら発言の内容も何も見ないまま、「いいね」を送ったようだ。

「よっちゃんは、どういう基準で送ってる?」

「クラスのグループチャットなら、ほぼ無条件。後から内容を知る事もあるよ」

「それはそれでどうなの?」

「私にとってはその程度の意味って事」

 どうやら彼女からすれば、回覧板に印鑑を押すくらいの意味合い。押す必要はあるが、その内容には大して興味が無いという訳か。

「でも絶対悪い内容が無いとは限らないでしょ。実際中学校の頃、そういうのあったじゃない」

「ああいうのは例外。とはいえそれは怜に指摘されて気付いたから、今後は少し注意する」

 注意はしても、「いいね」自体は今まで通り普通に送る様子。結局彼女にとって、「いいね」の意味が変わる事は無いようだ。もしくは私が、変にこだわりすぎていると言うべきか。

「私よか、中川君に聞いてみれば?」

「あの子、よっちゃんよりも興味が無いの。でもその割には、妙にネットの事に詳しいんだよね」

「それは詳しいでしょ、魔狼は」

「麻呂?」

 尋ね返すがよっちゃんはオーバーに肩をすくめるだけで、説明も何もしようとはしない。つまりは聡本人に聞けという事か。

「中川君が詳しいっていうのは、私も弟から聞いたんだけどね」

「分かった。もう一度聞いてみる」

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