いいねって、何がいいね?

雪野

第1話

「聡。いいねって、どういう意味だと思う」

「言葉そのままの意味だろ」

 隣の席に座る男子がペンを手で回しながら、スマホの画面に視線を向けた。

 それは多分私が見ているのと同じ、クラスメート全員が参加しているグループチャットだと思う。今はちょうど、サッカー部のイケメン男子が呟いた所だ。

 内容としては「昼前で、腹が減った」というたわいもない物だけど、それに対してクラスメートから一斉に「いいね」が送信されている。

「いいね、送らないの?」

「腹が減ったのは、何も良くないだろ」

 彼が言っている事は、間違ってはいない。ただクラスの和という意味で考えれば、決して正しくも無い。だから私も遅ればせながら、イケメン男子の発言に対して「いいね」を送る。

「この程度でつまはじきにはならないけど、送らないといけないような義務感はあるよね」

「そうかな」

 返事は素っ気なく、やはり「いいね」を送る素振りはわずかにもない。その態度に少し感情が高ぶり、彼のスマホに手を伸ばす。しかし意外に俊敏な動きでスェーバックされ、スマホにも彼にも逃げられた。

「どうして送らないの」

「妙にこだわるな。そんな事を気にする性格だったか?」

「自分こそ、そんな風だった?」

 聡は表情を変えないまま、親指を立ててその腹を見せてきた。

 つまりはサムズアップ。今の私の発言に対して、「いいね」を送ったという意味らしい。

「ちょっと、ふざけてる場合じゃ」

「ほら、先生来たぞ」

 聡は視線を前へ向け、スマホを机の脇に掛けているリュックへしまった。

 他のクラスメートも同様にスマホをしまい、私も慌ててそれに倣う。

 本当、いつから彼はこんな性格になってしまったんだろうか。



 高校2年生の始業式当日。同じ教室に見覚えのある顔を見つけた私は、思わず小さい声を上げた。それは中学校の友達ではなく、もっと昔からの顔なじみ。中川聡を見かけたために。

 彼は小学校の頃は毎日のように顔を合わせていた、ただ中学生になってからはどちらからともなく疎遠になった幼馴染みである。

 向こうも感情の振り幅はともかく、私を見つけて軽く手を上げるくらいの事はしてくれた。

 元々親しかった事もあり、きっけけさえれば元の関係へ戻るまでに大して時間は掛からなかった。昔の思い出、疎遠になっていた間の情報交換、高校生活への期待と不安。最後のは私が一方的に話した気もするが、気付けば彼と一緒にいるのが当たり前になっていた。

 昔から落ち着いているタイプなのは理解していて、どちらかと言えば落ち着きの無い自分とは周りの人間から良く比較をされた。それは腹立たしくもあり、同時にくすぐったい奇妙な感覚を覚える事だった。

 ただ久しぶりに出会った彼は、私のテンションにむしろ苦笑するくらい。それも彼らしいと思っていたのだが、時間が経つにつれ少しずつ疑問を感じるようになった。

 私達高校生にとってクラスメートで構成されるSNSは、最重要とも言えるコミュニケーションツール。対応一つで、大きなトラブルにつながりかねない。

 その手の噂には事欠かないし、私自身中学校の頃に巻き込まれた事もある。だから出来るだけ、慎重に行動をしてはいたのだが。


 お昼休み。お弁当を食べ終わった所でスマホをチェックするが、聡は依然として「いいね」を送っていない。

「どうして送らないの」

「もういいよ」

 大きいおにぎりを頬張りながら、聡は面倒げに自分のスマホを遠ざけた。そこに表示されているのは現在の時刻で、12時50分となっている。つまり今の彼にとってスマホは、単なる時計でしか無いようだ。

「送らないとどうなるのか、分かってる?」

「魔女裁判をやる訳でも無いだろ。大体仮に送らなくても、怜に手を出す奴なんているか?」

 怜というのは私の名前で、そう呼ぶのはお互いに苗字が中川だから。そしてもう一つはやはり、お互いの親しさ故だろう。

「どうして? 私は普通の女子高生じゃない」

「普通の女子高生は、スマホを取ろうとしてフリッカージャブを使わない」

 さっき彼のスマホを取ろうとした、私の腕の振りを言っているのだろう。ただそれに気づき、またかわした彼も同類と言える。

「お父さん言ってたよ。たまには顔を出すようにって」

「出してるよ、ジムの方には」

「家の道場に」

「それは姉さんに任してる」

 確かに彼の姉。沙紀さんは、毎日といって良いほど我が家の道場に顔を出している。その実力は相当な物で、プロの大会への出場経験もあるほどだ。

「大体この時代、古武道も無いだろ」

「沙紀さんは、拳で生きていくって言ってるじゃない」

「あれは別格だ。戦国時代に生まれてたら、姫武将になるレベルだろ」

「中川家の先祖は、農民だけどね」

 家にある文書や郷土史を読む限りだと、幕末の混乱期に自衛のため武装した人物が流派の祖と言われている。どんな物でも武具として扱い、敵を倒す事のみを追求したらしい。

 今でもその名残は残っていて、自主開催している総合格闘技の大会では武器を使う部門もあるくらいだ。異端故に敵も多いようで、昔は道場破りという存在を目の当たりにした。

 だから世間の目。この場合はクラスの意見には同調し、出来るだけ目立たないよう行動しているつもりだ。

 ただ中学校の頃はその自制が効かなくて、少々ひどい事になった。それ故今は、より慎重に行動している。慎重になりすぎている気もするが。

「まあ、いいや」

「何が」

「いや。なんでもない。お弁当箱洗いに行くけど、聡は?」

「そもそも、これを食べ終わらん」

 かなり食べたはずだが、彼の手にはまだおにぎりが残っている。それだけでも普通のおにぎり1つ分はありそうで、多分沙紀さんの手作りだろう。

「お茶、買ってくる?」

「膨れそうだからいい」

「頑張ってね」

「こういう所で頑張りたくは無いんだけどな」

 それは私もよく分かる。


 お弁当箱片手に廊下を歩いて行くと、洗面所に先客がいた。お弁当箱を洗う女子は一定数いるので他の子と出会う事もあり、ただ今日そこにいたのは少々派手目なタイプ。ネクタイを緩めてシャツのボタンを外していて、腰にはパーカーを巻いている。つまりは、「消毒液が緑色だけど、マジやばくね」とか言いそうなタイプの子だ。

 あまり近づきたくは無いがお弁当箱を洗うのは習慣となっているため、それを止めるのも違和感を覚えてしまう。

「済みません」

 一言断りを入れ、空いている蛇口の前に立つ。そして横目で彼女の様子を窺い、弁当箱を洗い。もう一度彼女達を見る。

「どういう事?」

 私が思わず声を上げてしまった理由は、彼女の行動について。

 別に悪い事をしていた訳では無く、また奇異な行動も取っていない。彼女達は私と同じように、お弁当箱を洗っていただけだ。

 違うのは洗っている様子を、洗面台に置いたスマホで撮影している事か。

「え、何が」

 私の反応は想定外だったのか、彼女達も戸惑いつつこちらの様子を窺ってくる。しばしの沈黙があり、私は蛇口の水を止めてお弁当箱を振った。

「お弁当箱を洗ってるだけなのに、どうしてそれを撮影してるのかなと思って」

「ああ、そういう意味。最近は、こういうのが受ける訳よ」

 女子生徒はケラケラと笑い、ハンカチで手を拭いてスマホでの撮影を止めた。でもって名前を名乗られ、クラスメートだと今頃気付く。

「受けるって、何が受けるの?」

「私達の見た目って、どう思う? 気にしなくて言って良いから」

「……派手というか、目立つというか」

 一応は控えめに評した所で、彼女は深く頷いた。そして水が滴っているお弁当箱を、顔の横へと寄せた。

「つまりはギャップよ、ギャップ。チャラい感じの女なのに、こういう事もやるんだ。みたいな話」

「……ああ、SNSにアップロードするって事」

 ようやく私も合点がいき、なるほどなと思う。不良が野良の子犬を助けるでは無いが、確かにその手のギャップは世間一般の受けが良さそうだ。

「もう一つ聞いていい? ちょっと失礼な内容かも知れないけどそれは分かる人には分かるというか、あざといって思われない?」

「なかなか鋭いね。ただそれも込みで、受ける訳よ。あざといけど、それが良い。みたいな世界な訳よ」

 女子生徒はそう答え、スマホの画面をこちらに見せてきた。そこには今彼女がアップロードした写真が写っていて、相当数の「いいね」が送られている。

「アライグマって気もするけど」

 彼女はそう言ってくすりと笑い、私に軽く手を振り歩き出した。

 私も手を振り返し、大勢の生徒の中へ消えるその背中を見送った。

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