7.絶対にそのつもりだろ

 「宇喜多さん。免許、持ってます?」



 開口一番のその言葉に、宇喜多は呆れてしまう。話の流れとかではなく、朝一番、事務所の扉を開けた、その瞬間である。デスクに座り、何やら事務作業をしているらしい彼は、相も変わらぬ表情で、そう告げた。



 前日の、あの悪夢のような――いや、悪夢とまではいかないが、しかし、多少脚色すれば、「本当に死にそうになった体験」として、飲み会で一花どころではなく、一面の花畑を咲かせられるような、そんな経験をしたはずなのに、観山はまるで昨日の出来事なんてなかったかのような、「昨日は事務作業しかありませんでしたね」だなんて伝えているような、変わらぬ表情である。



 ――いやしかし、呆れたという言葉には少し語弊があるように感じる。



 呆れたというのは、想定外な出来事に思わず呆気にとられたみたいな、そういう様を表すことであるが、しかし、その彼の発言というのは、宇喜多にとって想定内なものであるように思われる。



 というのも、彼女にとって、観山は一々突飛な言動をするやつだ、という認識が予めあるからだ。故に、前述した言葉には、意外性はあるが、しかし、意外ではないような。想定はできないが、しかし、想定内であるような。そんな感じである。



 だから、呆れたというのは、言葉の本来の意味を考えれば、少し違うのだ。しかしまあ、それ以外に合うボキャブラリーがどうやらなさそうなので、呆れた、というのは、あえて訂正しないでおく。



 長々と話したが、とにかく、観山をエキセントリックな野郎として、宇喜多は認識しているのだ。



 例えば、「いまから松茸狩りへ行きましょう」だなんて、突拍子もなく言ってきたとしても、ある程度のリアクションはするだろうが、釈然としないだろうが、しかし、彼女は観山に従うのだろう。



 何せ、彼女は自らの仕事内容について、自分があまり良く分かっていないことを、理解しているのだから。



 「・・・・・・ああ、持っているが」


 「じゃあ、今から駐車場の車使って、お遣いを頼まれてくれませんか?」


 「お遣いって、どこに?」



 首を傾げながら、宇喜多は問い返す。



 「区の警察署です。資料を頼んでおいたので、それを取りに行って欲しいんですが」


 「そんな、小間使いみたいな・・・・・・」



 特異事件処理班員として、その名の通り、何か特異な仕事を期待していた宇喜多にとって、その要求は予想外であったらしく、少し不満げである。



 「しょうがないでしょ。まだ研修生なんですから。せめて研修期間が終わるまで、僕の小間使いも全うしてください」


 「・・・・・・キミのことだから、期間が終わってからでも、私をこき使う気しかし無いのだが」


 「さあ。どうでしょうね?」


 「その素っ頓狂な答えは絶対にそのつもりだろ」


 「いえいえ。先のことなど誰にもわかりませんよ。運否天賦というやつです」


 「そんな壮大な言葉で表すことでもない・・・・・・」



 ジト目で観山を見る。しかし、やっぱり悠然とした態度で、



 「とにかく。今はしっかり研修生ですから、文句は言わせませんよ」


 「分かった分かった・・・・・・行ってくる」



 そう言い、彼女は観山から車の鍵を受け取り、そして一階の駐車場に停められてあった、新品の軽自動車に乗り込む。



 「てっきりオンボロ車かと思っていたのだが・・・・・・意外とこういうの、用意してくれたりするものなのかな?」



 シートベルトを締めながら、上層部に感心する宇喜多であった。



 ――さて、約15分後。



 ようやく警察署に着き、指示されたとおり、窓口へと資料を受け取りに行く。



 特異事件の解決のために書類を頼んでおいた、と係の人へ伝えると、準備ができるまで、側の椅子で待っているように言われる。



 指示通り、宇喜多は座って待っていると、



 「あのー、すいません」



 窓口からひょこっと顔を覗かせた、若々しい女性の職員が、彼女に声を掛けてきた。



 ショートカットで、眉毛までかかった前髪。後、少し茶髪に染めているだろうか。小柄で、小動物的なかわいらしさをありありと感じる。彼女の着る、フォーマルで規律正しい印象を与える警察職員の制服とも、見事にその様相はマッチしており、どこか、温和な印象を与える、そんな女性であった。



 「どうかしましたか?」


 「いえいえ、その・・・・・・特異事件処理班の方ですよね?」


 「ええ、まあ・・・・・・一応そういうことにはなりますが」



 自信なさげに宇喜多は応えるが、すると彼女は、目を赫々と輝かせて、



 「本当ですか!」



 そう言い、窓口のドアから勢いよく飛び出し、宇喜多の座っていた席の隣へスムーズに着席する。



 「あのあの!特異現象ってどんな感じですか?やっぱりホッケーマスクを被った大柄の人が、ナタを持って襲いかかってきたり?顔のただれた男が、鉤爪を装着しながら悪夢の中に現れたり?それともそれとも、悪霊の取り憑いた少女が、ブリッジしながら階段を降りてきたり?」


 「え、ええと・・・・・・」


 随分とチョイスが古臭いが、しかし、愉快そうにこちらに身を寄せながら、捲し立てるように喋る彼女に、宇喜多は気圧されてしまう。



 「いやー。ほら、私ってそういうオカルティックなことに興味津々な正確じゃないですか。ですから、実際のところどうなんだろーって思って」


 「今初めてそれを聞いたのだが・・・・・・」



 そもそも初対面である。



 とにかく、目の前の、動物園で目当ての動物を前にした時の子どものような表情を満面に浮かべる彼女は、どうやら特異現象について知りたいみたいである。



 「そうだ!自己紹介がまだでしたね」



 手をポンッと叩きながらそう言った後、一つ咳をして、



 「私、ここの警察職員の、美代みしろって言います」


 「え、ええ。宇喜多です」


 「それでそれで、宇喜多さん!」



 再度目を輝かせながら、好奇心を存分に湛えていそうな表情で、彼女は言う。



 「どんな感じなんですか、特異現象って!」

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