4.じゃあ、開けますね

 「対象者と考えられるのは、林遼一郎さん31歳。3か月前、都内にある自宅のマンションの一室で、首を吊り自殺。警察の捜査によると、他殺の線は非常に薄く、自殺であると、断定されています」



 しかし、観山は背後のホワイトボードは使わず、口頭で宇喜多に告げた。



 「成る程。その人が、誰かしらに対する、深い憎しみを抱いたまま、死亡してしまったことで、特異現象に化けてしまったと、そういうことか?」



 彼に一番近いデスクに座り直した宇喜多は、顎に手を当て、考え込んでいるかのような姿勢で、質問する。



 「ええ、まあ、そういうことでしょう」



 手元の資料をめくりながら、彼は答えた。



 「しかし、どうするんだ?最初はやはり、その対象者の周りを捜査して、憎しみの原因となる人物を見つけたりするのか?」


 「まあそうですが、それはアナタの仕事ではありません」


 「何故?私も一応班員なのだから、そういう仕事もするものかと思っていたのだが」



 そのように、純粋な疑問を持って、宇喜多は問う。



 「はっきり言って、アナタが調査の邪魔になるからです」



 しかし、純然たる面持ちで、彼は想定外の理由を告げた。



 「・・・・・・いや、何故。まだしてもいないのに」


 「分かるんですよ。経験則です。アナタみたいな、純粋で、人を信じ切っている、それはそれは素晴らしい感性の持ち主は、得てして尋問調査の邪魔になりうるんです」


 「それは、私が騙されやすいみたいな話か?」


 「いえ、違います」



 そう言うと、彼は頬を引きつらせながら、



 「貴方がたが引き出せる、関係者からの御言葉は、それはもうゴミといっても差し支えない、嘘や欺瞞で塗り固められた、そんなカスみたいなものばかりですから」



 そう、早口で一気に述べた。



 「・・・・・・なんで少し怒っているんだ?」


 「いえ、全然」



 しかし、彼の表情は、未だに強張ったままである。



 「・・・・・・じゃあなんだ。これから私は無言で君に付き添えと、そう言いたいのか?」



 むー、と頬を膨らましながら、宇喜多は確認する。



 「まあ、それでもいいんですが、そうですね・・・・・・」



 よしっ、と資料を閉じ、観山は意を決したかのような顔を向ける。



 「とりあえず、現地調査ですね」


 「・・・・・・現地調査?」


 「ええ、林遼一郎の住居であったマンションを、今から尋ねます」


 「それはつまり・・・・・・」



 とどのつまり、いきなり特異現象と相見えるということ。



 あの、殺気に満ち満ちた、生命を刈り取ることを、一切厭わない、あの怪異に。



 それはどうやら、彼女にとって考えてもいなかったことであったらしく、急に手足に震えが生じてくる。



 「な、なあ。いきなりというのは何か、急ぎ過ぎでは」


 「いえ、そんな事ありません。特殊部隊での任務も、唐突なものであったはずでは?」



 正論であった。



 「い、いや、まあそうなのだが、しかし・・・・・・そうだ服!スーツ姿のままで調査しに行くのは、だいぶ危険ではないか?」


 「僕はこのままで大丈夫ですし、それに、もしアナタが嫌だというのなら・・・・・・」



 そう言い、部屋の側面にある、ロッカーを指差す。



 「あそこに、宇喜多さんが任務の際に使っていたらしい、特殊部隊の装備、入れておきましたよ」


 「な、何故そんなものが」


 「送られてきました」



 成程、前任の部隊は要らない気遣いをしてくれていたらしい。ありがとう。



 ――すなわち、彼女はこのまま現場調査に同行する他、無い。



 はあ、と一つため息を吐く。



 どうやら物語は、いつも突然であるらしい。





 連れられてきた先は、天聳るほどの高層マンションであった。しかし、周囲の競い合うように高く聳えるビルたちとは異なり、そのマンションだけは、輝きを放っていない。



 いやまあ、昼の日差しに照らされて、二次的には光っており、一見変わりないのではあるが、それでも灯の灯っていない高層物とは、こんなにも物寂しい雰囲気を醸し出すのかと、感嘆してしまう。



 ――つまり、悪名高い特異現象とやらのせいで、今このマンションには、人が住んでいないのである。それに伴い、電気も通っていない。



 「これは管理人も住民も、大迷惑だな」



 薄暗いエントランスを抜け、非常用階段を登りながら、宇喜多は観山に問いかけた。



 「ええ・・・・・・本当に迷惑ですよ。特異現象のせいで、住人は一時の退居を余儀なくされますし・・・・・・そもそも一室が事故物件に成り代わったわけですから。後・・・・・・エレベーターも使えませんし」



 彼は少し息切れをしながら、彼女に返す。



 「・・・・・・もう少し、登るスピードを落としてはくれませんか?」


 「キミが遅いんじゃないか?」



 憔悴気味の観山に対して、宇喜多は余裕そうである。そして先程までとは異なり、愉快そうだ。



 「それにしても、あんな黄色いテープ一本で建物が封鎖されているとはな。随分とセキュリティーが甘いんじゃないのか?」



 後ろで、宇喜多より遅いペースで階段を登る彼をよそ目に、彼女は問う。



 「まあ、こんなもんじゃないですか・・・・・・金は掛けられないですし・・・・・・てか、前にあのテープを見たはずでは?」


 「前って、いつ?」


 「あの襤褸の特異現象とやり合った日ですよ。中心から半径200メートルはあのテープとか・・・・・・バリケードで封鎖されていたはずですから、内部に侵入するには、それをくぐらなければいけないはずです」



 その言葉に、腕を組み、考えるが、



 「いや、全く身に覚えがないな」


 「・・・・・・じゃあ、あそこらへんが、危険地帯だとは分からず、自然と範囲に入ってしまったと?」


 「まあ、そうなるか」


 「んな馬鹿な」


 「あ、でも、そう言えば・・・・・・」


 「なんです?」


 「なんか、変な張り紙は見た気がするな。任務中だったし、あまり気にはしなかったが」


 「・・・・・・いや、それでしょ。ここら一帯封鎖だよってのを示す張り紙ですよ、ソレ」


 「しかし、テープやバリケードは見ていないんだぞ?」


 「じゃあ、ヤツの風でどっかに飛んでいったとか、そんなところでしょう」



 そんなものかと、納得しようとするが、あまりに判然としない答えに、疑問が生じてしまう。しかし、悩むほどのことではないため、思案するのは辞めることにした。



 「・・・・・・ところで、観山」


 「・・・・・・なんです」


 「後ろを向いても声が聞こえるだけで、キミの姿が見えないのだが」


 「・・・・・・なんか、上機嫌ですね」


 「そうか?」



 背後の踊り場にもまだ到着していないらしい、彼のゆっくりした足音に、ご機嫌な宇喜多であった。



 そして数分後、彼らはようやく階段を登り終え、目的の階へと到着した。



 「35階の住居だなんて、随分と良い暮らしをしていらっしゃるみたいですね」


 「もう、住んでいないだろ」


 「・・・・・・なんか、ナチュラル畜生みたいなこと言いますね」



 目的の部屋へ、薄暗い廊下を渡りながら、近づく。



 すると、明らかな異音が、二人の鼓膜を震わせた。



 カサカサ、カサカサカサ、と何か小さい物が、地面を這い回っているような、そんな音が無数に、この閑散とするはずの廊下を、賑わせていた。



 「・・・・・・な、なあ。対象の特異現象について、そう言えば何も教えてもらっていなかったな。何か情報は無いのか?」


 「いえ、特に無いです」



 その状況に、落ち着かない様子の宇喜多であるが、対象的に、観山はいつも通り、悠然とした振る舞いである。



 そして、目的の部屋の前に着く。



 黒く塗装された木製のドアには、金属製の大きな取っ手が着いており、高級感を感じさせる。



 依然と、異音は健在なままだ。勿論、それが目の前の部屋から発せられるものであるのは、容易に理解できた。



 夏場に大量発生する蝉の鳴き声のような、そんな鬱陶しさを感じさせる。しかし、残念なことに、これから対峙する相手は蝉ではない。目の前の人間を殺さんと、四方手を尽くすような、そんな怪異である。



 「じゃあ、開けますね」



 彼は、依然冷静なままだ。



 そのまま、彼は鍵穴に預かっていたらしい鍵を差し込む。そして、カチャリ、という音が異音の中に紛れながらも、確かに宇喜多の耳にも届いた。



 彼が、ドアの取っ手をゆっくりと引く。



 さあ、未知との対面である。



 ゴクリと唾を飲んだ。



 そして、その先に――



 無数の黒い斑点が、玄関や部屋の奥の全てを覆い尽くしていた。



 まるで、水面に浮かぶウキクサのように、黒色の小さな物体が、辺り一面を埋め尽くしている。そして、よく見るとそれらは胎動しているかのようであり、ブルブルと振動を起こし、それが床や壁面と当たることで、異音が発生しているみたいで、もっとよく見ると、携帯のバイブレーションだなんて、比にならないほど、早く、早く、細かく――



――ガチャン



 思わず、取っ手を掴み、ドアを締めた。



 「あ、アレは一体・・・・・・?」


 「お待ちかねの、特異現象というやつですね」



 全身を粟立て、体を震わす宇喜多とは反対に、観山は変わらぬ表情を浮かべていた。

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