3.それは驚きの事実だな

 常に、人生を分岐するような大きな節目、ここで言うところの新たな門出とは、ある程度の緊張感を含むものである。入学式や、入社式、結婚式の日なんかが、それに最も似合う機会であろう。



 誰しもが、校門を抜けた先や、自動ドアを通り抜けた先、チャペルの大きな木製のドアを開いたその先に、自らを待ち受ける、人生を抜本から変えてくれる何かがあるのではないかと、期待に胸を膨らませる。



 そして、それと同時に、今まで明るみに出ていなかった、知られざる悪性が、降り掛かってくるのではないかと、深層心理で我々は危惧しているのだ。多分、それが、感情とは裏腹に、鼓動が高鳴り、冷えた汗が滴る理由なのかもしれない。



 ――まあ、とにかく。とにかくである。



 その緊張感とやらが、今現在、古びたアルミ製のドアの前で、立ち往生している宇喜多自身にも、どうやら襲いかかっているらしい。



 都内、三階建ての古びた雑居ビルの、その2階。ちなみに、上下階は、空きテナントであるらしい。



 衣服の指定は、特にされなかったが、彼女はしっかりとしたビジネススーツを着込んできた。つい先日、この新たな門出のために、実家の押し入れから引っ張り出してきた物である。



 ふう、と一つ息を吐き、肩の力を抜く。



 「よしっ」



 そして、ようやく決意が固まったみたいで、そのノブに手をかけ、勢いよくドアを開いた。



 するとそこは、想像通りのオフィスであるらしかった。



 手前側には、デスクと言えばコレ、と言ってしまえるほどに、我々の生活に定着している、あの灰色の、右側に引き出しの数個ついた、鉄製の典型的なデスクが、二列に並んでおり、ちょうど等間隔で、三股の通路を作っている。



 そして奥には、大きなホワイトボードが設えられており、左側の壁にズラッと並ぶ窓から差し込む光を、爛々と反射させている。



 部屋の印象としては、やはり古臭いような、そういう雰囲気は受けるが、コンクリート製の床には、しっかりとワックスが塗られており、壁にも汚れや傷は見当たらず、全体としては清潔感を感じさせる。



 「・・・・・・今は、キミ一人なのか?」



 宇喜多は、右奥のデスクに座りながら、手元のファイルを読み込んでいる観山に、まずはそのように問うた。



 「いや、そもそもリハンは僕と宇喜多さんだけです」



 「・・・・・・それは驚きの事実だな。後、リハンって何だ」



 予期せぬ、悲報とも呼ぶべきその新事実に、ジト目で観山を見つめる。



 「特異事件処理班の略称です。よく使われていますし、全部言うのは面倒くさいでしょ?」



 しかし、それに気づいていないのか、気にしていないのか、どちらかわからないが、彼は平然としたまま、そう答えた。



 その答えに、頷き、納得を示しながら、彼女は一番手前のデスクに腰掛ける。



 「まあ、それは分かった。しかし、そのリハンとやらに、二人しか所属していないというのは、大丈夫なのか?ちゃんと仕事は回るのか?」


 「ええ、大丈夫です。そもそも人員の割けない仕事ですので。一人や二人しかいないなんてのは、まあザラですよ」


 「その、人員を割けないというのは、どういう?」


 「報酬が少ないんです。それに特異現象自体珍しいですから」


 

 成程。それは納得がいった。



 しかし、如何せん二人しかいないというのは、宇喜多の不安を煽るのに十分な事実であった。



 日差しが強く、彼女の方へ差し込む。



 「はあ・・・・・・気が重い」



 そう、ポツリと呟く。



 非常に漠然としながらも、しかし確かな憂慮が、彼女の中で渦巻いていた。



 あの日出会った特異現象は、確実に彼女を殺しうる力を持っていた。その証拠と言わんばかりに、未だに彼女は歩く度、右足の怪我の痛みを感じるのだ。

 


 その特異現象に、また何度も二人で挑むのが、この仕事であるらしい。



 彼女がこうも懸念するのは、仕方のないことのように思われる。



 「なあ、観山」


 「何でしょう?」



 頬杖をつきながら、彼女は尋ねる。



 「どうして、処理班は今まで警察組織として存在していなかったんだ?」


 

 それは、勝手に湧いて出た、純粋な疑問であった。



 「それは順序の問題ですね」



 すると、深山は表情を変えないまま答える。



 「順序とは?」


 「国が先に特異現象に手を付けたか、市民が先か、という話です」


 「つまり、市民が先に特異事件処理班を作ったから、今まで国が関わる必要がなかったと、そういうことか?」


 「ええ、そうですね。事実、それで上手くいっているわけですし」



 ある程度の返答はもらったが、しかし、釈然とせず、彼女は首を傾げる。



 「・・・・・・しかし、そうだったとしても、国が手を付けないというのは、おかしくないか?特異現象に関わる治安を維持するというのも、国の役割のように思えるが?」


 「まあ、別に国が今まで特異事件に関わっていなかったというわけではありません。その通報を受けるのは警察ですし、周囲を閉鎖し、管理するのも警察です。しかし、最終的な処理は、リハンに丸投げするんです」


 「最後が一番重要そうではあるが、どうしてそこには関わらないんだ?」


 「・・・・・・リハンはゴロツキみたいな奴らの集まりですから、仕上げを取り上げるのは、彼らから職を奪うのと、同等の行為だからですよ」



  腕を組み少し思案した後、彼は答えた。



 「ゴロツキって、どうして・・・・・・」



 ゴロツキ――すなわちならず者や、不定職のものたち。



 そんな彼らが成す組織が、特異事件処理班だとは、彼女は考え難かった。



 あの日見た、正しく怪異のような超常的存在に立ち向かい、それに対処するというのは、それだけで誉れ高い職業のように、彼女は思えていた。



 「要は溝浚いと一緒なんです、この仕事」



 しかし、どうやら、彼らと彼女との認識の間には、大きな差異があるらしい。



 すなわち、彼女は、通称リハンと呼ばれるらしい、その組織について、あまり知らなかったのだ。



 彼女は、なにも知らないまま、あの日の続きへと、足を踏み入れてしまったのだ。



 ――空いた窓から、そよ風が吹き込み、彼女の下ろした長い髪を靡かせた。



 きっと、彼女はこれから知ることになるのだろう。



 特異事件処理班という職を通し、その実情が、いかに悪辣であるかを。



 その度に、班員としての彼女自身を、彼女は肯定できるのだろうか。



 しかし今は、デスクに頬杖をつき、首を傾げ、怪訝そうな顔を浮かべる他、彼女にできることは、どうやら無いらしい。



 「そういえば」



 ふと、宇喜多は思い出したかのように呟く。



 「今日は、初めてこのオフィスに来たわけだが、何か要件があってのことなんじゃないのか?」


 「・・・・・・ああ、忘れるところでした」



 すると、彼は勢いよく席から立ち上がり、大きなホワイトボードの方へ、いくつかの資料を持って移動する。



 そして、腰に手を当て、



 「じゃあ、初仕事について、説明していきます」



 相も変わらず、変わらぬ表情で、そう告げた。

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