2.神のお導きって、やつですかね
――訓練場にて
「どうも、宇喜多さん」
――食堂にて
「こんにちは、宇喜多さん」
――会議室前にて
「調子どうですか、宇喜多さん」
――寮の前にて
「久々ですね、宇喜多さん」
「昨日ぶりだろ」
――歩道にて
「こりゃまた奇遇ですね、宇喜多さん」
「・・・・・・なあ、一つ、聞いていいか?」
平然とした面持ちの観山に、憔悴したような表情で、問いかける。
「ええ、大丈夫ですよ」
「・・・・・・キミは、どうしてこうも毎日、私の居場所を突き止められるんだ?」
怪訝そうな眼差しをくれる彼女に、観山は、んー、と少し悩んだ後、
「神のお導きって、やつですかね」
「んなわけあるかい」
そして、路上で話し合うわけにもいかず、近くのカフェに、二人は寄ることにした。
窓際の席に腰掛ける二人。
差し込む日差しが、鬱陶しいほどに眩しい。
――いや、鬱陶しいのは正面の胡散臭い男か。
彼のことをじーっと睨んでは見るものの、しかし、それを意に介する様子は、一切ない。何故かその事実も、どうしようもなく腹立たしく思えてきた。
頬を膨らませながら、手元のアイスティーに、ストローでぷくぷくと泡を立てる。今自分が不機嫌である、という感情の、彼女なりの最大限の表現法であった。少し下品ではあるが。
「それで、考えてくれましたか?」
彼が飲んでいたコーヒーを受け皿に戻した後、宇喜多に問いかけた。
「何をだ」
「処理班に異動すること」
「いやだ」
そもそも、と置いた後、彼女は目尻を上げながら続ける。
「キミはあのとき諦めたんじゃなかったのか?」
「いえ、一切」
その言葉と事実に、はあ、と頭を抱える。
「・・・・・・それに、本当に班に入って欲しいのであれば、こうもストーカー紛いなことをするというのは逆効果なんじゃないか?後、その・・・・・・私が今ここで通報してしまえばキミはどうなる?」
宇喜多は声色に、少し憂慮の色を含ませながら、彼に問う。
「前半の部分に関しては、僕なりの考えがあってのことです。それに・・・・・・」
しかし、彼は一向に悠揚たる態度で、
「僕も、一応警察職員ですから」
そう、続けた。
おそらく、死角なし。観山は計画的に彼女を追い続けているのだろう。
「・・・・・・キミはあれだな」
「何でしょう」
「ずる賢いと言うか、なんというか、性格が悪いんだな」
「ええ。よく言われます」
宇喜多の精一杯の侮蔑の言葉にも、彼は飄々としている。そのことに、彼女は少し、悔しく思い、また泡を立てた。
「・・・・・・なあ、キミは」
ふと思い立ち、宇喜多は唇を尖らせながら、観山に聞く
「なんですか?」
「いつまで、私に付き纏うつもりなんだ?」
それは、いつまでこんな千日手のような状態を続けるつもりだ、という彼への提案。すなわち、もう諦めろ、という意味を含んでの、疑問の提示であったが、しかし、
「それは勿論、アナタが異動を決断してくれるまでですよ」
平然と、彼は返答した。
はあ、と一つため息を付く。
一体どうしたら彼は諦めてくれるのだろうか。
色々と思案はしてみるものの、目の前の、強固な意思を持ち合わせていそうな男を、撃退できるような動機を、全く思いつくことができない彼女であった。
「ところで」
悩んでいそうな表情の宇喜多に、観山は問う。
「どうしてそんなにも特殊部隊にこだわるんです?」
「・・・・・・それは、前にも言ったはずだが」
「いや、そうなんですけどね。しかし」
そう言い、顎に手を当てながら、彼は続ける。
「今現在、アナタを特殊部隊に繋ぎ止めている理由が分からなくてですね」
「・・・・・・それはずっと変わらない」
「と、言うと?」
「誇り高い表情で玄関を出ていく父の、その立派な後ろ姿に、私が憧れてから、大体20年だ」
少し緊張を緩めて、彼女は言った。
「随分と長い間ですね」
「ああ、そうだ。私の人生の殆どは、その憧憬の念と共にあった。だから、キミにちょっとやそっと誘われたぐらいでは、私はその思いを断ち切ることはできないんだよ」
何せ、それは彼女の、長年夢見た、その夢の続きなのだから。
「しかし、宇喜多さん」
彼は平然とした表情で問う。
「夢というのは、意外と現実にしてみると、あっけなかったりするものではありませんか?」
「・・・・・・何が言いたい」
どこかその夢を侮辱されたような気がして、宇喜多は眉をもう一度顰めながら、問い返す。
「アナタは、特殊部隊員になれば、自分の父親と同じように、世界をより良いものにすることができると、そう本気で考えていたでしょう」
「まあ、そうだが」
「しかし、実際に入隊してみると、その実感は全然得られない。違いますか?」
宇喜多は、思わず黙り込んでしまう。
「部隊員の仕事は、緊急の仕事を一つ一つ丁寧にこなすのみです。営業成績のように、目に見えた実績が生まれるわけではない。それに、特殊部隊や他警察官の活躍ぶりに反して、近年の犯罪件数は、増加の一途を辿っている。何せ、その活躍は、生じた犯罪を刈り取るのみであり、根本の根絶にはなりえませんから」
正しく、その通りであった。
それは、かつての夢と現在目にする現実との乖離、理想と実際との差異である。その事実に、どこか冷めてしまう自分が、彼女の胸中にはあった。
「後、アナタは狙撃班ですから、全ての事件に関われるわけではありません。寒空の下で、長時間待機したまま、事件が解決してしまうということもあったはずです。そんな特殊部隊員としての自分に、憤りを感じることも、あったのではないでしょうか」
「・・・・・・まあ、そうだな」
いつもより、確信めいている彼の言葉の雰囲気も手伝ったのか、彼女は思わずそれに同意してしまう。
「ところで、宇喜多さん」
真剣な眼差しのまま、彼は問う。
「アナタが本当に、自分の矜持だと感じているもの、誇れるものとは、一体何でしょうか」
「・・・・・・誇れるもの、か」
彼女自身が、声を大にして誇れるものとはなんだろうか。
宇喜多は考える。
血反吐を吐くほどの努力をして、特殊部隊に入ったことだろうか?
かつて憧れた自分の父と、同じ道を辿っていることだろうか?
確かに、どちらも間違いなく、世間様には誇れることだ。
小学生が『将来の夢』として作文で仕上げてきても、全く持って微笑ましく見ていられるような、そんな夢の先に、彼女は存在している。
――いや、多分、どちらも違う。
それらは、どうも彼女自身を表すものとしては、しっくり来なかった。
「処理班でも、十分に銃を扱う機会はあるんですよ」
見計らったかのようなタイミングで、観山は宇喜多に、その理由らしいものを提示した。
――そうだ、銃である。
悪夢のような体験をしたあの日、彼女がどんな危機に瀕した際にも、彼女は、あの傷だらけのスナイパーを、絶対に手放すことはしなかった。
それは、スナイパーこそ、銃こそが、彼女を彼女たらしめる、唯一と言ってもいいほどの存在であるからだろう。
だから、あれを手放しては死ねなかった。あれを手放せば、彼女は一介の市民でしか無い。そのことを、宇喜多は深層心理で、より深く、理解していたのだ。
ただの人のままでは、死ねないのだ。
そして、何よりも。彼女があの日、何よりカタルシスを感じたのは、あの瞬間。
彼女の放った弾丸が、あの核とやらを貫いた、その瞬間。
どうしようもなく、彼女は、自身の鼓動を、呼吸を、熱を、感じていた。
ただただ、生きていた。
「そうか・・・・・・私は・・・・・・」
――いや、でも
それは特殊部隊員としても同じことだ。部隊員でも銃は扱う。なら、わざわざ処理班に入る必要はないように思われた。
それに、特殊部隊は、かつて自分の憧れた職業そのもの。任期を終えないまま、観山の提案に、軽率に従うというのは、かつての彼女自身や、父を、否定しているような、そんな気がした。
「そういえば、宇喜多さん」
「何だ?」
姿勢を正しながら、彼が言う。
「このような話をするべきではないとは分かっているんですが、しかし、一つ、いいですか?」
「ああ、構わないぞ」
すると彼は、眉尻を下げ、続ける。
「僕には、母がいるんです。たった一人の、大切な母が。しかし、長年の無理が祟ったのか、今は大病を患い、入院を余儀なくされています」
「それは・・・・・・」
「ええ。同情を買うつもりで伝えています」
彼は、一度手元のコーヒーを口に含む。そして一口呑込んだ後、意を決したかのような眼差しを、宇喜多に向ける。
「健気な母でした。家には父親が居ませんでしたから、女手一つで、僕のことを、大事に育ててくれました」
「良い母親、なのだな」
「ええ。そして、今回の大病に伴い、莫大な治療費がかかると言われました」
陰鬱な雰囲気の中、彼はそう言った。
成程。すなわち、
「・・・・・・私が協力すれば、その治療費を稼げると?」
「ええ、そう踏んでいます。アナタの力さえあれば」
曇りなき眼であった。
つまり、彼女が処理班に異動すれば、目の前の男のかけがえのない人を、救うことができる。
そのために、彼はここまで執拗に宇喜多を追い続けていたのだろう。
それは確かに、頷ける理由であった。
宇喜多が異動を拒否すれば、その母親は、おそらく治療を受けられず、亡くなってしまう。それは、非常に気がかりなことである。
いくら目の前の男が、宇喜多と無関係であっても、一度関わり合ってしまった人物なのだから、知らされてしまったのだから、想像せざるを得ないのだ。
きっと、特殊部隊を続けていけば、いつか、思うのだろう。しこりのように、彼女の胸の奥で残り続けるのだろう。
自分があの男の母親を見殺しにしてしまったのだという、その罪悪感とも呼べる意識を。
――なら、きっと、
「なあ・・・・・・」
「ちなみになんですけど、宇喜多さん」
彼女の言葉を遮るように、観山は言った。
そして、平然としながら、
「ちなみに、全部嘘です」
抑揚のない声で、彼は続けた。
「・・・・・・何がだ」
「母親が云々の行ですよ」
「その全部が?」
「ええ」
どこ吹く風、といった様子で、彼は頷いた。
やはり、この男の、実に癇に障る様子は、故意のものであるらしい。
「・・・・・・なぜそんな嘘を」
またまた眉を顰めながら、宇喜多は問う
「ですから、理由ですよ」
すると、彼は腕を組み、続ける。
「僕に死にかけの母親がいると言ったとき、アナタはそのためなら異動してもいいと、今まで貫いてきた意思を急に翻して、思いましたよね」
ですから、と置いた後、彼は続ける。
「アナタは理由が欲しいんです。処理班に異動するための、何か決定的な理由が」
それは正しく彼女の図星であった。
おそらく、あのまま彼が嘘を訂正しないでいたのなら、宇喜多はその流れのまま、異動を承諾し、存在しない観山の母親とやらのために、馬車馬の如く働く羽目になっていただろう。
それはなぜか。
彼に同情したから、というのは、その理由にはなり得るが、しかし、彼女にとって、それはきっかけに過ぎないような感じがする。
なにせ、彼女が特殊部隊を辞めることによって、救われなくなる命も、数多く在るはずだ。
命の重さがどうこう、みたいな話ではなく、彼女はきっと、望んでいたのだ。
観山の母親を救うことを免罪符に、異動したかったと言うほうが、実にしっくり来る。
すなわち、それは、
「アナタは処理班に魅力を感じているのでしょうねえ」
根本を言えば、そうであった。だからあの時、自らを使うよう、観山に提案したのである。
彼の言葉は、彼女が隠してきた心の奥底を代弁しているような、そんな気がした。
「ですから、なんだっていいんです」
そう言うと、観山は宇喜多の目を見つめ、続ける。
「僕の瀕死の母親のためだとか、特異現象に苦しむ人を救うためだとか、別に、何でも。」
「・・・・・・ああ、そうだな」
だから、何でもいいのだ。何でも。
彼女は視線を落としながら、少し思案した後、
「非常に癪だし、ムカつくし、うまいように操られているような気がして、非常に気が進まないが、そうだな・・・・・・」
――特異現象に苦しむ人たちを救うため、というのは、どうだろうか?
首を傾げながら、柔らかい表情で、宇喜多は尋ねた。
「ええ、誰も否定しませんよ」
彼は、悠然と返してくれた。
「・・・・・・じゃあ、特異事件処理班に異動する、ということでよろしいですか?」
「ああ、いや、そうなのだが、一つ」
人差し指を立てながら、彼女は言う。
「一つの事件が解決するまで、仮入班という形は取れないだろうか?」
しかし彼女は、未だ確信が持てなかった。
あのおぞましい特異現象と向き合うことが、本当に彼女のやりたいことなのか。
もう一度、実体験をもって確かめたかった。
そのための、仮入班。
「いや、そんな部活動じゃ無いんですから」
やはり、彼からの反応は芳しくなかった。
「・・・・・・ですがまあ、拒否権なんて無いようなものですしね」
そう言うと、彼はネクタイの形を片手で整え、そして、
「受け入れますよ、その要求」
その願いを承諾した。
そして、まずは一時的ではあるが、彼女は特異事件処理班の班員として、働くことを決意したのであった。
その後、入班の手続きの説明を受ける宇喜多であったが、しかし、彼女の胸中には、一抹の不安というか、心残りが存在していたようで、少し顔を曇らせる。
「・・・・・・なあ、私の両親はどう思うのだろうか?」
不安げな表情で、唐突に観山に問うた。
「どうしたんです、急に」
「いやその、私は子供の頃から常に言ってきたんだ。父親と同じように、特殊部隊の隊員になりたいと」
「成る程ねえ」
そう返しながら、観山は手元の資料をパラパラと確認している。
「こうやって、気まぐれに、任期を終えないまま部隊を辞めるというのは、軽薄なやつだとか、そう思われたりはしないだろうか?」
心配だった。
尊敬する両親が、今の自分のことをどう捉えるのかが。
「どうでしょうねえ・・・・・・」
そして彼は、目線を資料から彼女に合わせ、続ける。
「まあ、大丈夫でしょう。アナタのご両親なんですから、まさか僕と同じようなことを考えたりするわけ無いでしょうし」
「そうか・・・・・・そうだよな」
そうだ。
もし自分が親であるなら、子の選択を一番に尊重し、暖かく、肯定してやるはずだ。
だから、きっと大丈夫だ。
そう思うと、どうやら胸のしこりは取れたようであり、自然と強張っていた表情も、弛緩した。
「いや、しかし・・・・・・」
しかし、一つ疑問が生まれる。
「なんです?」
「その文脈だと、キミは私のことを軽薄だとか、そういう風に思っていることになるのだが」
「いやいや、勘繰り過ぎですよ。言葉の綾ってやつです」
まあ、それはそうだ。流石に文脈の曲解といっていい。
「・・・・・・そうだよな。済まない、邪推が過ぎた」
そう言い、宇喜多は小さく頭を下げる。
それに対して、観山は平然とした表情で、
「いえ、全然。そう思っていたのは事実なので」
そのように嘘偽りない気持ちを、宇喜多に告げた。
どうにも、彼女にとって、彼は腹が立つような、そういう存在であるらしかった。
「・・・・・・それを言う必要は、果たしてあったのだろうか」
「まあ、一応ね」
そう言うと、彼は残りのコーヒーを仰いだ。
思わず、一つ、小さくため息をつく。
「というか、」
そう言い、腕を組んだ後、宇喜多は続ける。
「キミの言葉で、私が機嫌を悪くして、異動するという意見を翻したら、どうするつもりなんだ?」
至極真っ当な意見。
観山の、彼女を所々貶すような、その態度は、人に頼みごとをする態度のようには、全くもって思えなかった。
じーっ、と彼を睨んでみる。しかし、依然と意に介さない様子で、
「確かにそうですね。じゃあ、忘れてください」
依然平然としながら、そう頼んだ彼に、彼女は思わず、
「忘れるものか」
そう呟き、残り少ないアイスティーを、一気に飲み干した。
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