第一章 

1.キミが呼んだんだろ

 遠方約300メートル。



 整地され、鮮やかな緑の人工芝が広がる、その先に、彼女の目標は存在した。



 西方から強い風が吹き、芝が一方向へと一斉に揺れる。



 しかし、心を落ち着かせることさえ、彼女には必要ない。ただ、無心のまま、照準に映る、的を見つめる。



 そして、迷いなく、その引き金を引いた。



 M24 SWS。全長1.1メートルの、レミントン・アームズ社製のボルトアクション式ライフル。そこから放たれた、一発の弾丸は、風に導かれ、軌道を変えながらも、しかし、確実に小さな円形の的の、その真ん中を撃ち抜いた。



 これで何枚目だろうか。



 この訓練場に来て、スナイパーを構え腹ばいになってから、1時間が経過しようとしている。しかし、一発たりとも弾丸が、その標的を外すことはなかった。



 黒色の、厚手の服に身を包んだ彼女は、一つ息をついた後、立ち上がった。



 ――あの日の出来事は、一体、何だったのだろうか



 思い返すのは、あの悪夢のような出来事のこと。



 いや、実際にそれが夢であったのかもしれないと思えるほどに、彼女には実感がなかった。



 襤褸で覆われた怪異、次々飛んでくる塊、胡散臭い印象の男。



 あの日体験したはずのあらゆることが、今はもう対岸の火事のように思われる。



 「しかしまあ・・・・・・」



 考えていても仕方がない。



 何か心残りがあったりするわけでもないし、思い悩むことなど何もないのだから、こんなにも後を引く出来事ではないはずだ。



 全ては過去のこと。今の彼女には、さほど関係のない話だ。



 よしっ、と、軽く頬を両手で叩いた後、彼女は足元の銃を片付け始める。



 「宇喜多君、少しいいかい?」



 ふと、声をかけられる。座り込みながら、声の方を見ると、そこには、中年ほどに見える男性が、鷹揚と立っていた。



 少しシワのある顔に、中肉中背の体。しかし、どこかガッシリとした印象を受ける彼は、宇喜多の上官にあたる、特殊部隊の隊長、守山であった。



 「はい、大丈夫です」



 立ち上がり、姿勢を正した後、彼女は答える。



 「君に話があるという人がいてね」


 「・・・・・・どなたでしょうか?」



 話と言えば、どのような話が彼女にあるのだろうか。



 守山の口ぶりからは、それはどうやら個人的なものらしいが、しかし、特殊部隊員として、日々の殆どを過ごしている彼女には、その見当がつかなかった。



 「名前は確か、観山みやまと言ったかな」


 「観山、ですか」



 その名には、一切の聞き覚えがなかった。



 だが、秘密保持の義務がある特殊部隊員に、わざわざ話をしにくるというのは、大変な苦労した一般人か、権力者か、いずれかだろう。だから彼女の脳裏で、その観山なる人物との話し合いを拒否するという選択肢は、知らぬ間に雲散していた。



 そして、案内された場所に、彼女は自然と赴いた。



 訓練場から近い警察署の一室。



 ノブを捻ると、そこは想像よりも小さく、テーブルと、左右で6個の椅子、そして奥側にホワイトボード。



 右中央の椅子に、背を正しながら座っている男が、どうやら彼女を待つその人らしい。



 シワのない、糊の効いた白いワイシャツに、青を貴重としたペイズリーのネクタイ。黒く若干の光沢を出すスラックスと、それを巻くベルト。



 「・・・・・・ってキミかよ」



 こちらに平然とした表情を向ける男は、間違いなくあの悪夢のような時間の中出会った、胡散臭い印象を受ける彼であった。



 「はい。偶然ですね」


 「キミが呼んだんだろ」



 そう返しながら、宇喜多は左側の中央の椅子に座る。



 「それで、どういう理由で私を?」



 宇喜多は訝しげに、彼に問いかけた。



 「警察に新しい組織ができるという話、聞いたことはありませんか?」


 「新しい組織か・・・・・・いや、覚えは無いな」


 「そうですか。まあ、これは僕の個人的なお願いと言いますか、あくまで任意にはなるのですが」


 「何だ、そんなに畏まって」



 首を傾げる宇喜多に、観山と言うらしいその彼は、これまた悠然と告げる。



 「その新しい組織こと、特異事件処理班に、異動しませんか?」



 異動。すなわち、彼から伝えられたのは、勧誘の言葉であるらしかった。



 「異動って・・・・・・なんで私が?」


 

 しかし、その言葉に彼女は疑問を持たざるを得ない。



 特殊部隊員である、ということを除けば、彼女は特異現象に関して知識の浅い、一般市民に他ならない。だから、その班の班員としてならば、深く特異現象に関わってきた、他の人物のほうが適役であるように思えた。



 「アナタの能力を買って、というのが、おそらくその理由になります」


 「つまり、私に才能があるみたいな、そういう話か?」


 「いえ、寧ろ班員には向いてないですね、全く」


 「・・・・・・全く!?」


 「ええ」



 表情を変えず、彼は頷いた。



 「・・・・・・じゃあキミの言う能力というのは、何なんだ?」



 眉をひそめながら、宇喜多は問う。



 「アナタもホントはわかっているんじゃないんですか?」


 「わかってるって、一体?」


 「え、本当にわかってないんですか?」



 その返答の代わりのように、不思議そうな表情を向ける宇喜多に、思わず彼は息を漏らした。



 「な、なんだ、その態度は」


 「いやまあ、天然というか、自分に興味がないと言うか、そういう感じなんでしょうかねえ・・・・・・」



 額に手を当て、そう吐いた後、彼は続ける。



 「アナタの狙撃能力ですよ」


 「狙撃・・・・・・ああ、あれか」



 狙撃と言えば、あれだ。核を撃ち抜いたときに見せたアレだろう。



 「前もアナタに言ったと思うんですけど、露出後の核の処理というのは、困難を極めます。物理的干渉が効きませんから、網で捕まえたりもできません。そのままスルッとすり抜けてしまうというのがオチです。ですから、銃弾なんかを当てられず、核に逃げられてしまうということも、稀にあります」


 「では、処理できなかった核というのは、最終的にどうなるんだ?」


 「2時間後に、元の特異現象に完全に戻ってしまいます。それに、一度用いた怨嗟の解消方法が無効になってしまうので、核を逃すというのは、処理班としては致命的だと言わざるを得ません。ですから・・・・・・」



 そう言うと、観山は、再度背を伸ばした後、続ける。



 「核を撃ち抜くことを専門とする、通称『クラッカー』として、アナタの腕を見込んで、処理班に迎え入れたいと考えているんです」



 成程、それは筋が通っているように思われる。



 彼女の狙撃の腕は、間違いなく世界中を見ても、最高クラスである。



 百発百中。どんな動き回る的でも、彼女は容易に撃ち抜いてしまう。



 核を処理できなければ、それは処理班の沽券に関わる問題のみならず、周囲の信用さえも失ってしまうことを意味するのだろう。正しくその事実は、任務の失敗を意味することになるのだから。



 任務が失敗してしまえば、その特異現象は野放しにする他無い。



 だから、観山は宇喜多の腕が欲しい。



 絶対に詰めを誤らない、その確信が。



 「・・・・・・そうか。だから、私がどうしても必要だと、そういうことなんだな」


 「ええ。そうです」



 目の前の男を見る。それは今までとは違う、濁りの一切ない、真剣な表情だった。



 「・・・・・・なあ、私の特殊部隊での任期は、大体後2年だ。それ以降というのは、駄目だろうか?」


 「はい。駄目です。今でないと、いけません」



 向けられる眼差しは、一切揺るいでいない。それが彼の真摯な態度と、言葉であることは、痛いほど伝わってきた。



 ――だが、しかし、



 「しかし・・・・・・すまない」



 そう言うと、宇喜多は座り直し、姿勢を正す。



 「私はその・・・・・・父に憧れて、特殊部隊員を志したんだ」



 そして、胸の内にある言葉を、ありのまま彼に告げようと、彼女は続ける。



 「そのために、様々な辛い訓練を乗り越えて、私は今特殊部隊員として、この国の治安を維持しようと毎日努めている」



 いや、と置いた後、彼女は続ける。



 「きっと、そんな大層な理念を抱いているわけではないんだ。私は父に、特殊部隊に憧れて、ただそれだけなんだ」



 ――だから、私は、



 「私は今の、特殊部隊員としての自分に、確かな矜持を持っていて、それをひどく、気に入っているんだ」



 そう、柔らかな笑みを浮かべながら、彼女は確かに告げた。



 「・・・・・・じゃあ、うちには異動できないと、そういうことなんですね」


 「ああ。すまないが、そういう訳だ」



 その言葉を聞き、観山は両手で背を伸ばしながら、ゆっくりと立ち上がる。



 「諦めなきゃいけないらしいですね」



 そう言う彼は、彼女同様に、小さく笑みを浮かべている。



 「ああ。本当にすまない」


 「いえいえ。こちらこそ、変なことに時間を使わせてしまって、申し訳ないです」



 そう言った後、彼は出入り口であるドアへ歩いていく。



 そしてノブを捻り、ドアを開ける。



 「そういえば、名前、伺ってもいいですか?」



 彼女に背を向けながら、彼は問うた。



 「宇喜多、だが」


 「ああ、そうでした、宇喜多さん」



 そして、平然とした顔で、



 ――また今度



 そう、振り返りながら言い残し、この部屋を後にした。





 「・・・・・・悪寒が、する」



 部屋に残された宇喜多は、ぽつねんと一言、呟いた。


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