6.じゃあ、頼みます!

 どうして彼女がこの悪夢の延長戦に挑んだかと言えば、おそらくそれは一時の気の迷いのせいである、と言う他ない。というか、それ以上に当てはまる言葉が見つからない。つまり、彼女の気まぐれに、彼女の命は付き合わされることになる。



 大通りに立つ、彼女の右足には、傷跡を隠すには十分な程の包帯が巻かれている。勿論、先程まで刺さっていたナイフは抜いてある。医療的には、きっと褒められた行為ではないのだが、しかし彼女には、苦悶の表情を浮かべながらも、それを引き抜かなくてはならない理由があった。



 腰には、小型銃が一丁携えられている。ちなみに、先程まで大切そうに持っていたスナイパーライフルは、今回の作戦の都合上、とても扱いにくいため、お休みである。



 「しかし、どうしたものか・・・・・・」



 彼女はポツリと呟く。



 彼が言うには、あの特異現象は、『弛緩』によく反応するらしい。物理的なやつではなく、心情的な意味のものだ。すなわち、人が急に安堵したり、心を落ち着かせた瞬間、それに反応してヤツが現れる、というわけだ。



 だから、それを利用して、ヤツをおびき出したいのだが、しかし、その方法が思いつかない。



 そもそもこの状況下で、緊張の糸が切れることなどありえはしないだろう。作戦の真っ最中、その最中で突然緊張が解けるというのは、本人がだいぶ愚鈍であったとしても、あまり考えられない――いや、彼は彼女のそこに賭けて、その情報を話したのだろうか。



 まあ、思いつかない以上、彼女は、第二のプランを実行するしかない。まあ、実質それが第一というか、それ以外方法はないように思われるのだが。



 「よしっ、探すか」



 そう呟き、彼女は駆け出した。



 ソレを直接、両の眼で見つけ出す、という最も原始的な方法を、彼女は始めたわけである。





 辺りを走り回って大体10分。『ソレ』が見つかるのは、想像以上に早かった。



 曲がり角を曲がった、宇喜多の走る先に、呑気に地上を浮かびながら移動する、ソレの姿が見えた。こちら側とは反対方向を向いているため、まだ気付かれてはいないだろう。



 彼女は立ち止まり、腰に装備していた拳銃を取り出す。



 ヤツとの距離は、大体40メートルぐらい。その距離を保ちながらなら、今までよりは有利に対峙できるだろう。それに、ここら辺りなら曲がり角や身を一時的に隠せる路地も多く、足も痛みは残っているが、まだマシな方だ。



 一つ、深呼吸をし、そして、銃口をヤツに向ける。



 右手の人差し指にかけた引き金を引けば、また、あの流れていた汗も一気に引くような、戦慄で満ちた追いかけっこを再開する羽目になるわけではあるが、しかし、彼女の覚悟は一つに決まっていた。



 ――閑散としたこの辺りに響き渡った、この銃声が合図だった。



 ヤツが振り返り、宇喜多の方を殺気に満ちた目線で見る。



 何か赤いオーラを纏っていそうなほど、その視線は強烈であった。



 しかし、怯んでいる暇はない。



 それを確認すると、彼女は反対方向へ駆け出していった。



 あらゆる塊達が飛んでくる。しかし、前述したとおり、前よりは十分に分がある。



 彼女は後ろを確認しながら、それらを避け、また、どうしても避けられそうにないときは、隣の路地に身を一瞬隠す。



 塊が彼女を隠していた建物に当たり、壁が崩れると、その粉や欠片が舞う。そこから思いきり飛び出し、また彼女は走り出す。



 避けて、隠れて。避けて、隠れて・・・・・・。



 同じことを繰り返し、上手くヤツの攻撃を躱しながら、彼女は走り続ける。



 次はそこの角を曲がり、その次はあそこの角を目指す。目的地に向けて、宇喜多は順調に進んでいった。



 「もうすぐだ・・・・・・!」



 そして最後、大通りの角を右に曲がると、そこは正しく突き当りであった。正面の壁にギリギリまで近づいた後、宇喜多は勢いよく振り返った。



 すると、前方約20メートルの位置に、ヤツが見えた。十数個の塊を辺りに漂わせながら、その中央に尊大に構える、正しく超常的存在。その姿に、思わず畏怖の念を抱きそうになる。



 しかし、ニヤリと笑った後、宇喜多はヤツの方へ走り出す。



 勿論、投擲物は飛んでくる。だが、今までは後方を見ながら避けていたのだから、訳無い。



 次々飛んで来るそれらを見事に躱した後、ヤツとの距離は、もう殆ど無い。



 宇喜多は体勢を変え、思いっきりスライディングした。すると、その巨躯をすり抜け、1メートルほどの距離を取った。



 そして座り込みながら後ろを振り向き、ヤツもこちらに体勢を向けた、その瞬間。



 「今だっ!」



 彼女のかけ声とともに、突き当りの電柱に隠れていた彼が、飛び出し、大砲を向け、

そして・・・・・・



 ――強烈な炸裂音とともに、放たれた。



 夕焼けに照らされ、爛々と輝く、大量の人工雪が、辺りを覆い尽くすように舞った。



 その純白の一粒一粒が、まるで世界そのものを飲み込んでしまいそうなほどに、散ってゆく。



 二人と、未知の怪異、両方に降り注ぐ、刹那の輝き達。



 宇喜多はその光景に思わず息を呑む。



 そう言えば、久々にこのような大量の雪を見たものだな、だとか、彼女はそんな呑気なことを場違いにも考えた。



 ――その矢先、それは起きた。



 目の前の2メートル程の体躯が、急に活力を失くした。浮かべていた残骸たちは、全て地面に落ち、衝突して、散っていた人工雪を再度舞わせながら、大きな衝撃音を鳴らす。



 そして、唯一まだ浮かんでいるソレは、頭部に当たるであろう、フード部分を力なく傾げている。すると、胸部あたりから、野球ボール程度の大きさの物体が、まばゆい輝きとともに、浮き出てくる。



 間違いない。あれが核の露出である。



 その物質は、球形では在るが、表面は非常に角ばっており、赤黒く輝き、そして、その存在感を、まじまじと感じさせられるような、そんな圧倒的な『何か』が感じられた。



 正しく、神的と言うか、驚異的と言うか、そういう類の言葉で形容したい、そんな存在。



 宇喜多は目前の特異現象を、その姿や様子から感じられる非日常感により、正しく『特異』なものとして解釈していたが、しかし、どうやらその由来が、あのおどろおどろしく輝く核にあるらしいことを、悟らざるを得なかった。



 彼女が圧倒されていると、唐突にそれは動き出した。



 辺りをまるで超高速で飛ばしたスーパーボールかのように動き回る。正しく縦横無尽である、といった感じだ。また、動きも不規則に見えるため、狙うのに苦労するという彼の言葉は、確かなものなのだろう。



 「じゃあ、頼みます!」



 彼の宇喜多へ向けた大きな声が、辺りに良く響く。



 ――そうだ、まだ仕事は終わっていない。



 何なら、ここからが彼女にとっては、本命であるといっても過言ではない。多分、宇喜多はそこに惹かれて、こんな大仕事を自ら引き受ける羽目になったのだから。



 座り込んだまま、腰に携えていた拳銃を、ゆっくりと両手で正面に構える。



 核の勢いが緩まることはない。むしろ少し早くなっている気さえした。



 ヒュンヒュン飛ぶだなんて、そんな陳腐なオノマトペが非常に似合いそうな、そんな状態を狙うというのは、かなり骨の折れる作業だろう。



 というか、弾を当てられずに、未だにこの世を彷徨っている核も、存在しているのかもしれない。とにかく、あれに小さな弾丸をピンポイントに当てるという行為が、至難の業であることは、一目瞭然であった。だから、拳銃一丁のみで、あれを狙うだなんて、正しく愚か者のする行為に該当するのだろう。



 ――はて、通常は何が用いられているのやら。



 しかしまあ、銃口を向け、照準を覗いた瞬間に、宇喜多は毎回理解できてしまうのだ。



 超人的とも言える、その能力の前では、あの核さえも、数ある標的の一つ。



 一発の銃声とともに、核は輝きを失い、崩れてゆき、粉塵と化した。



 そして、ついさっきまで彼女を散々虐めた、あの特異現象なるものも、同じように消えていった。まるで、最初から何も存在していなかったかのように。



 「任務完了、というやつですね」


 「・・・・・・ああ」



 以上が、彼女の、摩訶不思議な特異現象との、初めての対峙の、そのあらかたであった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る