4.命からがらでしたね

 逃げる。とにかく逃げる。



 外に出れば多少マシになるのでは、と宇喜多は考えていたが、どうやら、残念なことに、そうではないらしい。辺りの壁や道路を風で抉り取り、それらを兵器として、ソレは彼女を狙い続ける。



 幸いにも、避けられないほど大きな塊ではない。しかし、細心の注意を払いながら逃げ続けなくては、命は無いだろう。



 次から次へと放られる塊達。その弾が切れることはおそらく無い。



 一方で、彼女は満身創痍であるといって差し支えない。今までの疲労も勿論だが、何より足元の怪我が彼女の体力を蝕んでいた。



 一歩進むたびに響く激痛。それでも足を止めることはできない。顔を顰めながら、彼女は進み続ける。



 ――だから、それは必然だったのだろう。



 突然、宇喜多は凸凹したコンクリートに足元を取られ、盛大に頭から転がってしまう。



 地肌に感じる地面の冷たさが、やけに染みた。



 痛みと恐怖心のみが彼女を支配する。



 後ろを確認する余裕さえない。このまま死んでしまうのだろうか、そう考えた。



 右手の愛銃を強く握る。



 大きな塊が彼女の背後を掠めようとした、その瞬間。



 ――彼女の左手を、何かが乱暴に引っ張った。



 そのまま大通りの横の路地裏まで引きずられる。そして、背後の建物を背に、座り込むような格好で、彼女は静止させられた。



 突然の出来事に、何が起きたのかと、左手を確認すると、彼女のそれを掴む、誰かの綺麗な右手がある。



 その手を辿り、視線を向けると、そこにいたのは、一人の若い男性であった。



 シワのない、糊の効いた白いワイシャツに、青のストライプのネクタイ。黒く若干の光沢を出すスラックスと、それを巻くベルト。



 ――第一印象は、胡散臭そうなヤツとして、彼は彼女の目に写っていた。



 「キミは・・・・・・」



 声を出そうとすると、シーっと、人差し指を口元に当てたジェスチャーを向けられる。



 息を呑み、指示されたように静かにしていると、横目に『ソレ』が見えた。この路地裏に繋がる大通りを、ゆっくりと闊歩するその姿が、またもや彼女に恐怖を与えた。



 このまま二人共殺されてしまうのではないか、今逃げ出すべきじゃないかと、宇喜多は動き出そうとしたが、しかし、彼の右手で簡単に抑えられてしまう。



 仕方がなく、じっと静止し、覚悟もしたが、しかし、ソレは彼女らのいる路地を確認することなく、そのまま大通りを通過していった。



 「命からがらでしたね」



 予想外なソレの行動に驚いていると、彼から声をかけられた。



 「あ、ああ。それで、キミは・・・・・・」


 「いえ、別に。それより、今のうちにここから離れたほうがいいですよ。だいぶ重篤そうですし」



 彼は宇喜多の血まみれの足元を見ながら、そう提案した。



 「いや、まあ、そうなのだが・・・・・・いや、そうではなく、キミはどうしてここに?」



 しかし、どうやら思っていた返答を受けられなかったらしく、宇喜多は再度彼に問うた。



 「どうしてここに、というのは本来僕の質問のはずですが、まあ、正直どうでもいいか」



 彼は宇喜多の左手首を離し、よっ、と立ち上がる。



 「どうしてここに?という質問への答えは、仕事だから、という返答で十分でしょうか?」


 「仕事?つまり、あの・・・・・・」


 「ええ。あの『特異現象』への対処が僕の仕事です」



 彼は悠然と答えた。



 その答えに驚嘆とする宇喜多であったが、しかし、聞き覚えはあった。



 ああいった類の超常的存在、すなわち『特異現象』への対処を専門とする組織。確か『特異現象処理班』などという名前で通っていただろうか。



 「でも、どうやって・・・・・・」



 しかし、彼女にとっては甚だ疑問であった。こちら側からの干渉が一切効かないあの怪物を、彼はどのように対処しようというのか?



 「まあ、色々あるんですよ」


 「色々とは?」


 「だから、色々」



 全く持って判然としない彼の答えに、宇喜多は少し苛立ってしまう。



 「だから、その色々とは、一体どういうものなんだ」


 「ですから、パーッとやるんですよ」


 「だから、具体的に」



 腕組みをし、彼を睨みつけながら、問いただす。



 「えー。嫌ですよ、面倒くさい」


 「別にいいだろ、減るものでもない」


 「一般人に教えたところで、ねえ・・・・・・」



 そう言い、彼は口をへの字にしながら、宇喜多を見る。



 「・・・・・・じゃあ、そもそもアレの正体とか、そういう根本的なもの、キミは理解しているのか?」



 彼の人を舐めたような態度に、怒気を募らせた宇喜多は、図星を指そうと、質問した。


 

 「そんなの、当たり前じゃないですか」


 「・・・・・・まあ、そうだよな」



 だが、考えてみれば、知らないはずはない。



 しかし、彼からソレについて何の情報も聞き出せないというのは、宇喜多の好奇心にとっても、プライドにとっても、許せないことであった。



 だから、一つ、彼女は理論を立てた。



 「・・・・・・しかし、アレについて何も知らず、私がここから逃げ出すというのは、結構危ない橋を渡る行為なんじゃないか?」


 「と、言うと?」



 宇喜多は続ける。



 「もし、逃げる途中でまたアレに遭遇したらどうなる?今まではなんとか逃げ切っていたが、今回もそうなるとは限らない。それに・・・・・・」



 そう言い、自身の右足を上げ、彼に示す。まだ、ナイフはそこに突き刺さったままであり、とても痛々しい様子であった。



 「たしかにねえ・・・・・・」


 「だから、今キミが知っている、ありとあらゆる・・・・・・」


 「ああ、もう分かりましたから大丈夫です」



 彼女の言葉を遮るように、彼はそう伝え、そして少し逡巡した後、続ける。



 「分かりました。あの『特異現象』について、その色々も教えましょう。まあ、アナタの気休め程度にしかならないとは思いますが」



 どうやら、教えてくれるみたいだが、しかし、依然変わらぬ表情の彼の、胡散臭い雰囲気と、小馬鹿にしたようなその言い回しに、宇喜多は愚直に、ムカついた。



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