そして、浮上する

 お昼の時間。教室の後ろの方で椅子を並べて、私たちはお弁当を食べている。騒がしさで満ちた教室。ましてその音の発生源にいるのだから、否応なく不思議な気持ちにもなる。


 たいふうのめ、たいふうのめ。そういう変な呪文の効果のほどはといえば、あまり芳しくない。端っこで息をひそめて、その渦に巻き込まれないように身を縮めていた一年生の頃が懐かしかった。


 「ねぇ、聞いている?」


 目の前で小首を傾げられているのに気づいて、一気に現実に引き戻される。いかん、いかん。ついつい、自分の妄想世界に引きこもりがちになるのがよくない癖だ。


 「ごめん、何の話だったっけ?」


 「だーかーら!田淵くんから誘われたって本当なのかって話!」


 教室中のみんなに聞かせたがっているみたいに、その子はオーバに叫んでみせる。気づけば、周りの他の子達にも注目されていた。刺さるような視線が、私の肌をひりつかせる。


 「たぶちたぶち‥‥‥」


 「ん?え?」


 視線をなるだけ何もないところ(お昼休みの教室でそんなねじれのスペースを探すのは骨が折れることだ)へと彷徨わせて、私は頭の中を必死に探した。たぶちという人のことを。


 「ん?あれ?きもっちゃんじゃないんだっけ?」


 「いや。いやいや。分かったよ、分かった!あの人だ。バスケ部の!」


 手を叩いてはしゃぐ私のことを、彼のことを質問してきた子はなんとも言えない表情で見つめる。疑わしい?それとも、信じられない?


 とにもかくにも。そういう訝しむ視線だった。


 「映画、誘われたんでしょう?」

 

 「ああ、うんそう。そうなんだけどね」

 

 「だけど?」


 「見たいやつじゃなかったから、断っちゃった」


 私は素直にそう言った。その時の目の前にいたその子の表情を、私はなぜだかはっきりと認めることができた。


 それはきっと、私の視力の問題じゃない。上辺だけの、何か伝え合っている、理解し合っているようでいてその実、お互いのことを何一つ知らない。


 それでも会話はできるし、友達らしく振る舞うことはできる。今までの彼女と私の関係というのがそれだった。というより、私を囲む人々の関係のほとんどがそれに当てはまる。それが楽だったから。


 でも、それがどんなに脆くて、ほんのちょっとのミスで崩れてしまうものなのか、私は分かっていなかった。


 それからだ。私はその子たちから避けられるようになった。透明になってしまった。


 後から聞いた話だけれど、彼女はその田淵という人のことが好きだったらしい。それを知ることができただけまだマシだった。なんとなく理由を察することはできないでもなかったけれど、答えをもらえるだけ、安心できるというものだ。


 「どうしたの?」


 シャーペンをさらさらと淀みなく走らせていた温子は、ぱたりとその動きを止めて、私を見た。


 放課後の教室にはもう、温子と私以外誰もいない。一日を過ごす中で、まさかこの勉強会の時間が一番息がしやすいと思う日が来るなんて、思いもしなかった。


 きっと、人口密度が低いからだ。それだけ。そうに違いない。普段の教室は狭い。息苦しい。お互いに衝突することもなければ、干渉することもされることもないのに。どうして四方を囲まれて、がんじがらめに合っているような気分になるのか、それだけが不思議で仕方なかった。


 「どうもしない」


 私はぶっきらぼうに答える。数学のノートは普段に増してぐちゃついていた。きっと思考が絡まっているからだ。頭の中で浮かんだ言葉や考えが、放課後になるまで吐き出されないでいるからこうなる。


 温子だって同じはずなのだ。生徒会長で、いつもトップの成績を取り続けて。周りから何かと敬遠されがちな彼女は、いつも一人でいた。今の私と同じだ。


 「全然問題進んでない」


 「そういう温子はどうなの?前もそのページやってなかったっけ?」

 

 「これは二週目」


 ノートを持ち上げて、温子はにたりと笑った。口端に滲むニヒルな笑み。同じく逆三日月に歪む切長の瞳。


 いつもならむかつくはずの表情に、安堵を覚えるのはどうしてだろう。


 「ごめんなさいね、勉強の邪魔しちゃって」


 わざとらしく上品に言ってみせて、温子はまた問題に取り組み出した。シャーペンのノートの上を走る心地の良い音。


 それを聞いていて気づいた。他の何が変わっても、きっと彼女だけは変わらずにいる。安堵の理由は、そんな確信があったからだった。

 


 

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