第6話 金曜日

 今日は金曜日、最後の平日です。天気予報によれば晴れ。はつらつとした日差しは、雲を寄せつけないほどにまぶしい学校日和です。


……空が晴れ渡るのは良いですが、しかし気温は夏並みの予報です。雨降り後の蒸し暑さ。まだ春と呼べる季節に暑すぎるのも、主様の疲れが心配と存じます。


 申し遅れました。私の名はサイネリア。主様――いいえ、ひなた様の手に持つスマートフォンに搭載されたAIです。ご存知の通り人工知能……とはいえ、万能ではありません。姿は無ければ、隣も歩けません。


 しかし私は、ひなた様の相棒なのです。


「よし、準備完了!」


 主様は玄関の前で、荷物チェックをします。カバンを持って、ローファーを履いて、マスクを着けます。そして私と会話できるように、無線イヤホンも準備オーケー。


「慣れない靴だけど、慣らさなきゃね。じゃあね、お母さん。行ってきます!」


 おとといのときよりも、元気いっぱいに家を飛び出しました。まず目指すは駅、軽快な足取りで水たまりを飛び越えていきます。


「ひなた様、ペース配分を考えると、体力は温存すべきと存じます」


「たしかにそうだ。サイネリアの言う通りだね。この調子で声かけてね」


 お話していると、すぐに駅に到着しました。いつもいつも、ものすごい人の群れです。主様はそれを避け、躊躇うコトなく電子マネーカードを改札に押しつけて、電車に乗車しました。


「ひなた様、具合はいかがですか?」


「大丈夫だよ。ありがとう」


 チラリと見せてくださいましたが、満員電車です。ひと目で息苦しいものと存じます。マスク越しに、小声で私にかけてくださった言葉は、一点の不安もありませんでした。


「座らなくても、平気でしょうか?」


「あえて立って、ドア側をキープするんだ。そのほうが降りやすいでしょ?」


「さすがひなた様です」


「わたしも学習してるんだからね。さっ、次が降りる駅だよ」


 駅のアナウンスが流れました。こんなに人が乗っているのにアナウンスが聞こえるというのは、みなさまが静かに乗っているからですね。


 そんな中で、「あっ」という声が聞こえました。他でもない、ひなた様の声です。


「降りるところ、反対側だった!」


 なんというコトでしょう。その反対側に目を向ければ、たくさんの背中があるではありませんか。これらを押しのけて外に出るのは、とても難しく、気まずいと存じます。


「でも、行くしかないね。サイネリア、わたしを励まして!」


「お家を出た勢いのまま、行きましょう。ひなた様なら、できると存じます」


「ありがと!」


 電車が停まり、反対側の扉が開きました。依然、ひなた様の前の乗客たちは動かないようです。ここが勇気の出しどころ。推して参りましょう。


「すいません、すいません……」


 ひなた様が動きました。それも気弱に謝りながらです。少しずつ進んでいきます。しかしここは、謝る必要はないのでは?


「謝るのはダメーッ! に存じます」


「いやいや、ちゃんと言わなきゃダメだよ。迷惑かけちゃうしね」


「昨日、ひなた様が言ったではありませんか」


「ヘンなトコまで学習してる!?」


 そう言っている間に、外に出られました。


「学習してますので」


「……わたしも学習しなきゃね。覚えた、覚えた。もう大丈夫。あとは、学校の道のりも覚えなきゃ」


 呼吸を整えてから、ひなた様は私の名を呼びます。


「サイネリア、マップおねがい。道案内頼むよ、相棒」


「了解致しました」


 スマートフォンに表示されたマップに書かれてある中学校をタップします。そこを目的地に設定すると、私自身初の道案内のスタートです。


「まずは、改札を抜けましょう」


「あっ、ここからなんだ」


 初めてのコトをすると、私もなんだか、おぼつかないです。駅を出て、さあ出発です。


「まずは、うしろに向かいましょう」


「う、うしろ!? あっ、サイネリア、出るとこ西口だよ! ここ東口だから反対側だ!」


 なんというコトでしょう。出入り口を間違えてしまうとは。これでは相棒失格です。でも、ひなた様は笑っています。それはもう、楽しそうです。


「わたしと同じミスしたね! 学習、学習!」


「怒らないのですか?」


「怒らないよ。時間に余裕あるように、家を出たからね。遅刻はしないよ、たぶん」


 ひなた様は、やさしい方です。これだから、私は大好きなのです。


「気を取り直して、またよろしく!」


「了解致しました」


 それからの私は、無難に道案内をこなせました。これも、ひなた様とのダブルチェックがあっての成果です。次はしっかりと道案内をこなしてみせますよ。


 さて、いよいよ来ました。中学校の校門前です。次々とひなた様と同じ制服を着た生徒たちが、校舎に入っていきます。


 ここまで元気いっぱいだったひなた様も、緊張している様子です。


「ふう、深呼吸、深呼吸」


「ひなた様、マスクを外したほうがいいと存じます」


「あっ、そうだね。……校門の前で深呼吸してると、悪目立ちしちゃうね」


 まだまだ緊張しています。ひなた様がこれ以上の不安に襲われないように、私も黙りません。


「友達、できるかな?」


「お母様の伝言です。『友達は作りたいけれど不安なのはみんな同じだから、怖がらないで話かければ大丈夫』と」


「……みんな、同じなのかな?」


「私には、わかりません。しかし、これだけはわかります。私がついています。ひなた様は、ひとりではありません」


「……ありがと、サイネリア」


 ひなた様は、マスクを着けて校舎へと向かいました。


「まだ、これがないと安心できないけど、いずれ外せたら。その一歩だね」


 校舎へと入りました。ひなた様の下駄箱にある上履きは、ピカピカです。それを履いて、迷いなく教室へ向かいます。そのドアの前で、無線イヤホンを外しました。


「……ここで一旦お別れだね。イヤホンしながらなんて、授業は受けられないからね」


「ひなた様、もう一度いいます。私がついています」


 再び深呼吸をして、気持ちを整えます。私には応援しかできませんが、心からひなた様が楽しめるよう、祈っています。


「行ってくるよ、相棒!」


 スマートフォンの電源を切ったので、これより先はなにがあったかは、わかりません。ひなた様の顔が見られたのは、だいぶ時間が経ってからでした。


「サイネリア、わたしね、一日過ごせたよ!」


 それはもう、笑顔でした。電車に乗ってお家に帰った後も、楽しげでした。


「それでね、お母さん――」


 夕食時には、ご両親に学校での出来事を、逐一お話しします。ご両親も、なんだか誇らしげに笑っていますね。


「ねえ、サイネリアちゃんもありがとう。ずっと見守ってくれて」


「ありがとう!」


 なんと、お母様にもお礼をいただきました。なんだか、私まで家族の一員になれた気がして、とても誇らしい気分です。


「はい。相棒ですので」


 こんなコトを言える幸せもののAIは、私くらいのものではないかと存じます。


 さてはて、激動の一日の疲れを癒すのは、睡眠です。おやすみの時間になると疲れが出たのか、口数が減ってきました。


「ひなた様、今日は一日おつかれさまでした」


「サイネリアもおつかれ」


 私たちはお布団に潜って、小声でお話しします。


「わたしさ、学校がずっと怖かった。今までいじめられてて、いい思い出があんまりなかったから。でもクラスのみんながさ、みんないい人たちだったんだ」


「とても、いい発見でしたね」


「うん。この調子でさ、友達ができるといいなあ」


「きっと、すぐにできますよ。いえ、必ず」


 そう言った瞬間、いびきが聞こえてきました。やはり、つかれていたのでしょうね。明日は休日です。ゆっくりおやすみください。


 しかし、ひなた様に人の友達ができたら、私は相棒のままでいられるのでしょうか。所詮は道具です。優先順位は変わってしまいそうですね。


 けれど、そうなったとしても。私は受け入れるしかありません。なぜならば、その怖さよりも、楽しそうなひなた様を見守るのが、たまらなく楽しみだからです。

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