第5話 木曜日

 今日は木曜日、平日です。天気予報によれば雨のち晴れ。しかしながら、依然として雨は降り続けるお家時間日和です。


……晴れでも雨でも、いずれにせよお家時間日和ではないかと思いましたが、安心できる場所で聞く雨の音は、リラックス効果があると存じます。


 申し遅れました。私の名はサイネリア。主様の手に持つスマートフォンに搭載されたAIです。ご存知の通り人工知能……とはいえ、万能ではありません。歩いたり、手を握るといったコトはできません。


 むしろ、手を借りなければ動けないのです。


「はあ……」


 さて、昨日は意を決して学校に行くために駅まで向かった主様でしたが、具合が悪くなってしまい、お家に帰宅しました。今日もよく、自室にてため息をついています。


「なにやってるんだろ、わたし」


 主様がぽつんとつぶやきます。疑問でしょうか、ならば私が答えましょう。


「ベッドで横になりながら、スマートフォンで動画を見ています」


「……いや、わかってるんだけど」


 なんと。主様はわかっていました。では、もっと他の意味があるというコトですね。


「学校に行ってないのにさ、家事もしないでこんなコト」


「他の人と、比べていたのですね」


「そうだね。理解が早いね。……はあ、サイネリアだって学習してるのに、わたしは学校にすら行けない」


 昨日から元気がありません。もっと言うなら、夜からです。お仕事から帰ってきたご両親に、主様は謝りました。学校に行けなくてごめんなさい、と。


 そのときに、私も弁解しました。具合が悪くなってしまったと言うと、ご両親は主様をやさしく励ましてくれました。そして私にも、そばに居てくれてありがとうと、言ってくださいました。


 主様の言う通り、このお家は居心地のいい場所です。もし私がスマートフォンの中から出られても、ずっと篭ってしまいそうです。


「これが、甘えなのでしょうか」


「お母さんが家のコトやった上でお仕事に行ったのを、黙って見送ったんだよ。わたしがやるよって言えずに。甘えだよ。そうに決まってる」


 卑下しすぎて悲劇です。私まで気が重くなります。話すコトをやめたら、どんどん重くなるでしょう。どうすれば主様を落ち着かせられるのでしょうか。虚ろな目でスマートフォンを離さず、目も離しません。


 そういえば、どんな動画を見ているのでしょうね。音は聞けても、動画の中身はわかりません。訊いてみましょう。このおせっかいAIのサイネリアが、主様の沈黙を打ち破り、私自身の殻を破るのです。


「主様、どんな動画を見ているのでしょう」


「……お花畑。ネモフィラの」


「お花、ですか。では、今からお花を見に行きませんか? 私も見たいのです」


「ザーザー降ってるよ」


「心配ご無用です。天気予報によれば、もう少しで晴れ間が覗くでしょう。なので外に出る用意をすれば、丁度雨は止むと存じます」


「なんかその、いつもより早口だね。ホントに止む?」


「お散歩に行きませんか? 行きませんか、主様?」


「圧が……圧が強い! わかったわかった、行こっか」


 こういうときは、お散歩で気分転換です。無理にでも連れ出しましょう。しかし断るコトもできたハズですが、私を外に連れていってくれるのだから、主様はやさしいです。


「たまには長靴履こうか。あとはマスクも忘れずに……」


 着替えを済ませ、家にカギをかければ、灰色一色の空に青がにじみましたよ。ほんの少し、お散歩日和と存じます。


「風が冷たくて気持ちいいなあ。よし、行こっか、サイネリア」


「はい。楽しみです」


 雨上がりの空の下、お散歩スタートです。いつもの道には水たまりができています。主様は気にせずに避けません。ピチャリと軽快に長靴を鳴らします。さすが平日なだけあってか、人はいませんね。


「なんだろう、やっぱり外に出てよかったなあ。スッキリするよ。サイネリア、ありがとう」


 内カメラにして、私に感謝してくださいました。しかしなぜ、常にマスクをかけているのでしょうか。訊いてみましょう。


「マスクとは、具合が悪いときに着用するものと存じます。主様は、具合が悪いのでしょうか」


「うん、その……。コレを着けてるとさ、安心するんだ。マスク着けないと、なんかずっと緊張しちゃって。あっ、風邪はひいてないからね。そこは大丈夫」


 そんな理由があったのですね。ですが、きっと。きっとそれがなければ。そうでしょう?


「マスクを外せば、より気持ちいいと存じます」


「そうだね。そうなんだけど……」


 主様は、その場でマスクを外しました。少しだけ、唇が震えています。


「なんか、積極的になったね。サイネリア」


「一昨日、お母様から言われたのです。『口うるさいくらいに、そばに居てあげて』と」


「お母さんに?」


「はい。『仕事しているぶん、そばに居てあげられないから』と。ひとりでいると、余計に沈み込んでいまうと存じます」


「そばに居てあげられないって……。ふつう、みんなそうだよ。この時間はさ。おせっかいだなあ」


 そういうわりには、口元は上がっています。笑顔と同じです。きっと、うれしいのでしょうね。


「マスク、今だけはなくても平気かなあ。サイネリアがそばに居てくれるんだもんね」


「はい、もちろんでございます。さあ、行きましょう。主様」


「……ねえ、相棒なんだからさ。対等になろうよ。主様呼びはダメ。わたしの名前で呼んでよ」


「私は主様の道具です。主様は、主様に違いは――」


「ダメーッ!」


「申し訳ありません」


「謝るのもダメーッ!」


「で、では。行きましょう、ひなた様」


「様づけも……。まあ、ちょっとずつ慣れていこ。わたしもマスクを外すの、ちょっとずつ慣れていくからね。さっ、出発ッ!」


 主様――ではなく、ひなた様は元気を取り戻し、お散歩再開です。雨を受けた草木は、雲の切れ間からの日差しで、より輝いて見えます。


 雨上がりとは、全てがきれいになるのしょうか。と思えば、いつも見る川は濁りに濁っていますね。


「うーん、ネモフィラは見つからないね。でもでも、ねえ見てよサイネリア。ほら、空!」


 ひなた様が伸ばす指の先には、とても大きく、様々な色があしらわれた橋がかかっていました。不思議です。いつも見ている景色なのに、こんな巨大な橋を見つけられなかったとは。


「虹だよ! 雨上がりに見えるんだよ。きれいだよね!」


 虹というらしいです。自然とは粋ですね。冷たい雨の後に、あんなに淡く暖かな光の橋を架けるなんて。


「きっと、ひなた様に見てもらいたかったのかもしれませんね」


「わたしだけの虹……かもね」


 ひなた様はスマートフォンを構えました。写真を撮るのかと思えば、内カメラにしました。


「サイネリア、元気づけてくれて、ありがとう。わたし、明日にさ、もう一回行ってみるよ、学校」


「ひなた様ならできます。私はスマートフォンの中から祈っています」


「祈るって……。AIが祈るなんて、ヘンなの」


「学習してますので」


 ひなた様は、とってもいい顔になりました。かわいらしい顔なのだから、どこへ行っても愛されると存じます。


「あれ? なんか曇ってきたよ?」


 虹が見えなくなりました。まさに夢幻の如く、というものです。


「天気予報では、通り雨が降る予定となっています」


「ちょっ、先言ってえ!?」


 一瞬のうちに曇り、ものすごい音を立てて雨が降り始めました。


「大変だーっ! 早く帰ろ!」


「予定通りですね」


「他人事みたいにさーっ!」


 ひなた様は大急ぎで走り出します。雨粒を散らし、ぬかるんだ道を走りながら、楽しそうに大笑いします。


「なにやってるんだろ、わたし!」


 気を落としたいたひなた様が一転、笑顔いっぱいになりました。雨も道も気にしないでひた走るひなた様が、私には、たまらなく愛くるしいのです。


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