春から常連になった後輩くんの瑕疵本

大和田よつあし

◆春から常連になった後輩くんの瑕疵本

 消えてなくなりそうな女であった。

少し上目遣いで媚を売る様な、こちらの動向を伺う様な、心の揺らぎを感じさせる……そんな儚げな女が二十四人並んでいた。


「確かに、こりゃ竹久夢二だな。サイズは葉書くらいか……随分半端な大きさのスケッチの様だけど本物か?」


 古本屋うさぎ堂店主、室見重定。即ち私の祖父兼師匠。


「そこら辺はきちんと鑑定してもらわないと分からないが、肉筆だし本物かもな。昨日、親父が買い取った本に挟まっていた」


 古本屋うさぎ堂裏店主、経理、ネット販売、漫画アニメの査定担当、室見泰史。即ち私の父親だ。


「買い取った本に挟まっていたなら、転売してもいいのかな。いくらになるかな」


 自称うさぎ堂三代目、現見習いの女子高校生、室見鷹子。只今、絶賛勉強中である。


 古本屋うさぎ堂、祖父兼師匠の重定が四十の時に会社員を辞め、物価の高い東京二十三区から安い八王子市へ移り住んで始めた店舗だ。売りに出ていた古風な日本家屋に一目惚れした祖父が衝動買いをしたのだ。祖母雉子と一悶着もあったが、その頃、就職に失敗して引きこもっていた親父の事もあり渋々認めたらしい。屋号は祖母が有無を言わさず、うさぎ堂に決定した。

 ところがである。その親父が意外な才能を開花させた。当時、評価が安定していなかった漫画やアニメ本に目を付け、いち早くネット販売を始めたのである。折しも東京のど真ん中にマンガ専門の古本屋が誕生したこともあり、地方を中心に売り上げを伸ばしたのだった。平成時代の話である。

 そして令和時代の今、奥座敷にて家族会議の真っ最中である。


「じじい、この二十四冊は幾らで買い取った」


 クソ親父、さらっと無視しやがった。


「状態は悪くない。殆どが値のつかない大衆小説だが、一冊だけ希少本があった。色を付けて全部で五千円だな」


 師匠は顎を撫でながら答えた。


「その全てにこの栞が挟まっていて、そのページにでっかく墨字が書かれていた。瑕疵本だ。大した値なんかつかねえよ」


 クソ親父は師匠に向かって暴言を吐いた。

 師匠は師匠で人を騙すような子に見えなかったんだがね……とぼやいている。

 師匠、ちゃんと反論してよ。


「このクソ親父。師匠に向かって言い方ってものがあるだろうが。そんなんだから、母ちゃんに逃げられんだよ」


「そ、それは言わない約束だろう」


 クソ親父は萎れて涙目である。


「うんうん、いいから続けて」


 師匠は冷静である。


「コホン。本に値は付かないが、本物かどうか分からない夢二の栞で良くてトントン、鑑定すれば足が出るし、本物でも大した値は付かない」


「なんでよ。本物ならコレクターが高く買ってくれるでしょう」


「夢二の絵は人気があるが、それは絵画の場合だ。この栞はラフなスケッチ、本物であっても、良くて一枚二千円ってところだろう。まとめ売りをすればちょっとマシな程度だな。だから、売るなら栞ではなくて恩を売りたい」


「どうゆうこと?」


「これを見てくれ」


 親父は買い取った本を開いた。栞が挟まっていただろうそのページには、大きく墨字の一文字「か」と書かれていた。


「こっちには違う文字が書かれてある」


 別の一冊に今度は「ん」と書かれてある。


「なにこれ。暗号?」


「じじいが察知できなかったくらいだから、売った本人も知らなかったのだろう。こんなに目立つ字なら一冊でも読んでいたなら気付く。

 売った本はベストセラーの推理小説からマニア垂涎の哲学書までバラエティに富んでいるのに、きっと普段から本を読む習慣がないのだろう」


 親父は眼鏡と最近広がったおでこをキラリと光らせて、ドヤ顔をしている。

 師匠は希少本を手に取り、とても価値のある本なのにこんなことして……これだから本を知らない奴はとぼやいている。


「でも一冊に一文字だよね。順番が分からなきゃ読めないじゃない」


 幾冊かの本を手に取り、ぱらぱらとめくってみる。墨字以外は本当に状態が良い。せめて、カードに書いて挟んでくれたなら、本もそこそこの値で売れたのにと考えてしまう。


「順番も分かっている。ご丁寧に本の版数が初版から二十八版まで揃えてあった。こんなの推理するまでもない。そして、これが列記したものだ」


『かんじお□い□のはこ81、84、92、99、01、03、11、15□つかんし□そくり』


 おお、親父が冴えてる。素直に尊敬するのは何年ぶりだろう。


「分かるのは『はこ』だけね。この白抜きの四角は何なの?」


「さっき、初版から二十八版と言ったろう。買った本は二十四冊。その四角は抜けていた版の本だ。理由は分からんが売らずに取ってあるのだろう」


「随分、手が込んでいるね」と師匠。


「そうだ、手が込んでいる。有名画家の栞、でっかく書いた墨字、初版本に書いてあった文字の並べ方……」


「ちょっと待った。さっき親父は推理するまでもないと言っていたのは、並べ方が書いてあったの」


「当たり前だ。俺に推理が出来る訳がないだろう。推理するまでもなく書いてあったんだ」


 見直して損した。やっぱりダメ親父だ


「いいか、こんな分かりやすい謎掛けに意味はない。解かれることを前提に作られている。隠してあるものを見つけて欲しいからだ」


「……遺産かな」


 師匠がポツリと呟く。


「そうだ。生きている間は本に触れさせない。だが、死んだ後なら遺族が整理するだろう。読めばすぐ気付くし、整理中に何か挟まっていたら確認するだろう。興味を持ってさえくれれば、答えへたどり着くのだが……」


「気付かなかったのね」


 どんだけ杜撰なんだか。


「悲しいことに本は売られてここにある。だからこそ、恩を売って……」


 親父は一呼吸置いてから


「遺産のお裾分けを頂く」




「それで、僕はなんでここに呼ばれたのでしょうか」


 本を売った張本人の兎月光輝君は、びくびくしながら正座していた。

 偶然にも彼は、鷹子の高校のひとつ下の後輩だったのだ。話を聞いて貰う為に呼んだのだが、何故か怯えていた。


「そう怯えんでもいい。ちょっと聞きたいことがあっただけなのだが……鷹子がなんかしたのか?」


「いえ、部長から地獄を見たくなければ絶対に逆らうな、と念を押されたので……」


 師匠と親父はこっちをジト目で見ている。

 うちは呼び付けただけで悪くないし。


「先ずは鷹子のことを謝罪する。根は悪い娘ではないが突っ走る癖があってな、ちょっと問題行動があるのは大目に見て欲しい」


 何のフォローにもなってないじゃん。


「まあなんだ、鷹子から大凡の話は聞いている」


 師匠はさり気なく話を進める。

 要約すると、二ヶ月前に兎月君の父親が亡くなった。その葬式の席で友人を名乗る人物から業務の未払金の返済を求められたのだ。

 その額、五千万円。父親は事業を営んでおり、小さい額の借金は聞いていたが、こんな大金の未払い金は聞いていなかった。彼は一括払いを要求し、無理なら家屋を差し押さえると息巻いていたが、その場にいた親戚にいきなりは無理だからと三カ月の猶予を取り付けてくれた。

 その親戚によると、彼はあちこちでトラブルを引き起こしている問題のある人物とのこと。

 私が話をつけるから安心して欲しいと請け負ってくれた。だが、先日その親戚から無理だったと連絡があった。母は寝込んでしまうし、今は家を明け渡す方向で話が進んでいるとのこと。大事な本を売ったのも、荷物を減らす必要に駆られての事だという。


「改めて本人から聞くとひでぇ話だな。そんな兎月君に耳寄りな話がある。君は父親から隠し財産の話は聞いていないか?」


「いいえ」


 親父はにやりと笑う。


「では、ビジネスの話をしよう。君の売った本に隠し財産のヒントがあった。だが、君は売らずに取ってある本が最低四冊ある筈だ。その本を見せて欲しい。それで全てが分かる。隠し財産を見つけたら成功報酬として、二割頂きたい」


「ええっ、50:50じゃないの」


「鷹子、こういった話は欲をかかない。あるのか分からない遺産の情報料を支払うのは禍根を残さないラインがある」


 師匠は一言いってから、お茶を啜る。


「親御さんと相談して欲しい」


 親父は淡々と言う。


「その必要はありません。その条件でお願い致します。時間は味方ではありません」


 兎月君は即断した。


「良い判断だ。君は大切なものの優先順位をわきまえている」


 師匠が褒めるのを初めて聞いた。


 それから話はトントン拍子で進んだ。

 兎月君は直ぐに母親の承認を取り、早速、居間に通してもらう。兎月君は形見で取って置いた四冊の本を持ってきた。


「早速、答え合わせをするぞ」親父が仕切る。


 文字は版の少ない順に「し、れ、げ、へ」だった。空白に当て嵌めると、


『かんじおしいれのはこ81、84、92、99、01、03、11、15げつかんしへそくり』


「かんじは祖父の名前です。亡くなってから部屋は物置に使っています」


 皆で確認に行く。押入れに大きな箱があり、中には分厚い月刊漫画誌が縛ってあった。一番上の2015年版の月刊誌に大きく丸が描かれている。 

 丸が描かれていたのは全部で八冊。

 数字と年代が一致していた。月刊誌一冊に付き四百万円埋め込まれてあり、総額で三千二百万円になる。初めて見る凄い額だ。


「予想通り隠し財産があったね。お茶目で家族に甘い良いお父さんだね」


 師匠がそっと呟く。兎月君は何ともいえない顔をしていた。


「お約束通り納めて下さい」


 兎月君は冷静に、約束より多い七百万円を差し出した。師匠は恭しく受け取り、その内二百万円を差し戻した。


「素で申し訳ないのですがこれは香典です。それと明日、弁護士の時田を紹介します。彼に任せれば家を出る必要は無くなるでしょう」


 ぽかんとした顔の兎月君とお母さんに、


「彼は白鷺シロサギ撃ちが得意なんです」


 後日、時田弁護士の活躍により、詐欺師達は逮捕された。なんと親戚の人もグルだったのだ。

 因みに兎月君は師匠に弟子入りを懇願する迷惑な常連となった。彼とはその後も色々とあったがムカつくので割愛する。

 穏やかな春のちょっとした珍事だった。

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春から常連になった後輩くんの瑕疵本 大和田よつあし @bakusuke

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