第3話

 「あの、何のご用ですか」


ダリアが他の子どもを庇うように前に立ち、勇ましく声をかけた。

伯爵はニヤッと笑うと、ダリアに近づいて言った。


「この店にレオってやつがいるだろ? 連れて来い」


ダリアは毅然とした態度で言った。


「そんな人はいません」


「は?」


「だから、そんな人はいません」


ゴーティエは眉間に皺を寄せ、ダリアを思い切り睨みつけた。

ダリアはそれでも怯むことなくゴーティエを見上げ、視線を外そうとしなかった。


ゴーティエはダリアの胸ぐらを掴んで言った。


「いないわけねぇだろ。こっちは調べがついてんだよ。それとも……1発殴れば思い出すか?」


レオは思わず裏から飛び出すところだった。咄嗟に別の子どもが覆い被さるようにレオを静止した。


「レオ兄ちゃん、駄目、行っちゃだめ。行かないで」


レオは握る右手を緩めることができなかった。爪が手のひらに食い込み、血が滲むのを感じた。


「ゴーティエ様」


そう言って伯爵を呼び止めたのは秘書のストラヴァだった。

にやけた顔で首を横に振り、何やら合図をした。ゴーティエもニヤッと笑ってダリアを離し、近くの席にどかっと座った。


「まあいい。何か食えるもん出せ」


突然の要求にダリアは呆気に取られて言った。


「伯爵様のお口に合うものなんて、お出しできると思いませんが」


「いいから黙って出せよ。ここは食堂だろ?」


威圧するようにテーブルを蹴った。ダリアは黙って食堂の奥に入った。


「レオ兄、あいつら何か企んでる。どうしよう」


ダリアは声を殺して尋ねた。


「……とりあえず、今は言うこと聞いた方が良い。黙って帰るかもしれないから」


レオはそう言うことしかできなかった。


「……お待たせしました。本日のポタージュです」


ダリアは努めて普段通りの給仕をした。ゴーティエは出された皿を覗き込むと、大袈裟に鼻をつまんで騒いだ。


「なんだこれ、家畜の匂いしかしねぇじゃねぇか。こんなものよく食えるな」


ストラヴァは同調するように答えた。


「下民は良いものなんて到底食べれはしませんから。下民の舌には、こんなものでも満足なんですよ」


同じポタージュを食べていた周りの町民は、萎縮したように背中を丸めスプーンを止めた。

ダリアは悔しさに耐えるように下唇を噛んで睨みつけるように見ていたが、その後も続く罵声の数々に思わず目を伏せた。


ストラヴァはポタージュの皿を持ち上げて、横から覗き込むようにいった。


「これはひどい。食材は低質ですし表面に油も浮いています。伯爵家の家畜の方がもっと良いものを食べていますよ」


言いながら、ストラヴァは何かをポタージュの中に落とした。

周りの町民も子どもたちも視線を外していて、ロアだけがそれに気づいた。


ストラヴァがポタージュをテーブルに戻すと、ゴーティエはおもむろにダリアに向かって言った。


「おいお前、毒味しろ」


ダリアは一瞬訳が分からず、次いで静かに反論した。


「そんな……毒なんて入っていませんよ。そんなことする人、ここにはいないです」


「だから、それを証明しろって言ってんだろ。頭悪いな。これだから下民は」


ゴーティエは嘲笑うように言った。ダリアは何か言い返しそうになったが、あと少しのところで耐えた。

言い返して、また一悶着起きるとレオが自分を庇って飛び出してしまうと思った。


「…………わかりましたよ。一口食べればいいんですよね」


ダリアはそういうと、新品のスプーンを持ってきた。一口分掬い上げ、口元に近づけようとした。

ゴーティエとストラヴァは見下すようにその姿を眺めていた。


「ちょっと待ってください」


その声がするや否や、ダリアの手元からスプーンが消えた。

それはいつの間にか背後からやってきたロアの手元に移っていた。


「その役目、良ければ僕がやりますよ」


そう言いながら、ロアはそのスプーンでポタージュを掬った。

あまりに躊躇いのない、滑らかな動作だったので、ダリアのゴーティエもストラヴァも黙って見届けることしかできなかった。

ストラヴァがハッと気づいた時には、ポタージュはもうロアの口の中に流し込まれていた。


「待ってください、それは――」


ストラヴァは何かを言いかけたが、続くロアの言葉に被された。


「……おいしい!」


そう言って満足そうに頬を抑えるロアを、ゴーティエは困惑を隠せず凝視していた。

ストラヴァも何がなんだか分からないという面持ちだった。


「先ほども食べさせていただきましたが、本当に丁寧に仕込まれていますね。

そのおかげで、玉ねぎやじゃがいもの雑味やえぐみが一切ない」


楽しそうに感想を述べる姿は、毒で苦しんでいる様子なんてまるでなかった。


「この通り、何の問題もないポタージュですよ。ぜひ召し上がってください」


ロアがそういうと、ゴーティエはビクッと体をこわばらせた。

振り返ってストラヴァを見やると、彼は困惑しながらも必死に首を横に振った。


そんなはずはない、ゴーティエの頭にその言葉が何度も響いた。


(これを飲んで、無事なはずはない。だってこれは、さっき、ストラヴァが確かに……!)


「飲まれないんですか?」


その言葉に、ゴーティエはバッと顔を上げた。さっきの毒味役が覗き込むようにこちらを見ていた。


「……ふざけやがって。ふざけやがって!!」


そう言うとゴーティエはポタージュの皿を思い切り薙ぎ払った。

皿が割れ、中身は床中にぶちまけられた。


「ストラヴァ! 帰るぞ!」


ゴーティエは後ろを身もせずに、早足で外の馬車に乗り込んでいった。ストラヴァも追いかけるように店を出た。

残された食堂は、嵐が過ぎ去った後のようにしんとしていた。


「ダリア!」


伯爵たちが去ったのを見届けて、奥からレオが飛び出してきた。

膝を折り、ダリアに視線を合わせて肩を手で支えた。


「1人で任せて悪かった。 大丈夫だったか⁉︎」


「レオ兄……」


ダリアはレオの肩に顔を埋めるように身体を寄せた。

しかしその目が映す感情は安心からは程遠かった。


「どうしよう、あいつら、レオ兄のこと知ってた。どうしよう、どうしよう……」


今にも泣き出しそうな顔で、ダリアはずっとつぶやいていた。

レオはどう返せば良いのか分からず、ただ背中に手を置いて答えた。


「まだバレたって決まった訳じゃない。噂程度だって言ってただろ。このままあいつらの前に現れなかったら、きっとやり過ごせる」


レオが誤魔化すようにそういうと、ダリアは誤魔化されるように頷いた。

2人がどれほどお互いを真に受けているのかは、側から見たら分からなかった。


「えぇと、ロア、だったか。ありがとう。助かった」


レオがロアに向き直り、謝意を表した。ロアは「全然です」と恐縮した。


「まさか勝手に食事を頼んで、あんなこと言ってくるなんてな。毒なんか入っている訳ないのに」


どこか的を得ない様子で考え込むレオに向かって、ロアは少し躊躇いがちに尋ねた。


「あの方々、現伯爵様でしたよね。どうしてレオさんを探しているんでしょうか」


レオは言葉に詰まった。わざとらしく視線を外し、間を置いてから返した。


「……部外者には関係ないことだよ」


そう言われた以上、ロアはそれ以上追求することが出来なかった。

納得したことにして、ところで、とまた口を開いた。


「僕、今日泊まるところを探しているんです。どこか無いでしょうか?」


レオは唐突に話が変わって驚いたが、すぐ質問に答えようと考えを巡らせた。


「泊まるところか……お察しの通り、この辺宿屋とか無いんだよな。町長に頼むか……」


「ここじゃダメなの?」


そう言って割って入ったのはダリアだった。


「いいんですか?」


ロアはダリアの提案にパッと表情を明るくした。


「うん、この家の2階なら、ベッドも余っているからきっと泊まれる。

……それと、さっきはごめんなさい」


レオに隠れるようにして、ダリアはなんとか言葉を紡いだ。

ロアも軽率に伯爵の話題を出したことを謝った。


2人の確執が杞憂に終わったことに安心したレオは、ダリアに良かったなと声をかけて話題を戻した。


「確かにこの家の2階で良いなら泊められるけど、子どもが多くてうるさいかもしれないぞ? それでもいいなら」


「全然、雨風が凌げるだけでありがたいです。ここの方さえ良ければ、是非お願いします」


ロアがそう言うので、レオは承諾した。


「ありがとうございます。ダリアさんも、ありがとうございました」


ダリアは下を向いたまま、小さく頷いた。


話がひと段落済んだので、レオは伯爵にぶちまけられたポタージュを片付ける作業に入った。

割れた皿の破片を1箇所に集めていると、ロアが自分の足元の破片を取って、レオを手伝った。


その時、ふとレオの首元から、キラリと光るものがこぼれ落ちた。

レオはそれをすぐ服の中に隠してしまい、よく見えなかったが、紐で首から下げられた指輪に見えなくもなかった。


「あとは俺がやっておくから、食事を続けてくれ。食事が済んだなら、ダリアに2階を案内してもらえばいい」


レオにそう言われたので、ロアは黙って従った。


ロアが離れたあと、レオはポタージュのこぼれたあたりで、一匹のネズミが死んでいるのに気づいた。


「皿でも当たったか、かわいそうに」


そう言うとすぐその死骸を片付けた。




「やった! 私の勝ち!」

「次、僕もやる!」


その夜、レオが寝室に入ると、子どもたちがロアの周りに集まって遊んでいた。


「ロアに遊んでもらっているのか。よかったな」


「レオ兄ちゃんもやろう! すごく面白いよ!」


子どもたちの周りには、ロアが持ってきた物らしい、トランプやボードゲームが広がっていた。


「いいもの貸してもらったな」


「良ければ、ここに置いて行きますよ」


ロアがそういうと、周りの子どもは大興奮ではしゃいだ。


「いいのか?」


「はい、宿泊の恩返しにでもなれば嬉しいです」


ありがとう、と言ってレオが部屋を出ようとすると、他の子どもたちに呼び止められた。


「悪いけど、まだ明日の仕込みが残っているんだ。

ロアも、寝る時はちゃんと言えよ。これくらいの年の子どもはいつまでも遊ぶからな」


ロアは気遣いに感謝を示した。レオはまた1階に戻った。

明日のスープを仕込むため、水を入れようと井戸に近づいた。前屈みになって滑車を引いた。


突如、レオは後頭部に強い衝撃と痛みを感じた。



朝、ロアが目を覚ますと、もう他の子どもたちは全員起きているみたいだった。

1人寝過ごしたことに気づいて、理由もなかったがなんとなく慌てて起き出した。


下の階に降り、外に出ると井戸の前にみんなが集まっていた。


「おはようございます。こんなところでどうしたんですか?」


ロアが声をかけても、返事は返ってこなかった。ただみんなが顔を蒼白させながら、ただ一点を見つめていた。


「……レオ兄がいない」


ダリアがなんとか絞り出すような声で答えた。

ロアが聞き返すより先に、ダリアはポロポロと涙を流した。


「伯爵の奴らに、殺された」


そう言うと声をあげて泣き始めた。ロアはダリアの正面に膝をついて、肩を支えるようにして言った。


「落ち着いてください。何かあったんですか?」


ダリアは黙って地面を指差した。もう乾いているが、血のような赤いシミが残っているのがわかった。


「殺された。レオ兄は、伯爵どもに殺された」


壊れたからくり人形のようにただそう繰り返すダリアの背中をさすって、ロアは気持ちを落ち着かせる言葉をかけ続けた。

ようやくダリアに言葉が届くようになると、ロアは慎重に質問を重ねた。


「どうしてレオさんが、伯爵様に殺されるんですか?」


「……レオ兄、あいつの弟なんだ。伯爵家の次男なんだ」


ロアは静かに次の言葉を待った。ダリアはそれに応えるように言葉を紡いだ。


「本当は次の伯爵も、レオ兄がなるはずだった。

でもゴーティエが、前伯爵が死んだ瞬間レオ兄を殺そうとして、レオ兄は生き延びるためにここに身を隠していたんだ。

それなのに、昨日、それがバレて、それで……」


続く言葉をなくしたダリアは、またポロポロと泣き始めた。

ロアは真剣な眼差しで、力強い声で言った。


「大丈夫です。レオさんはまだ生きています。僕が連れ戻してきます」


その言葉は、ダリアも他の子どもたちも、一番求めていた言葉だった。

しかしそれは、ただの気休めであれば、一番残酷な言葉だった。


「……どうして?」


ダリアは虚空を見つめながら、ロアの真意を推し量るように尋ねた。


「レオさんの遺体が見つかっていないからです。もし亡くなっていたら遺体があるはずです。

伯爵の地位を確固たるものにしたいなら、遺体は見つかったほうが良いですし」


「レオ兄殺して、そのまま連れて行ったんじゃ……」


「伯爵様ともある高貴な方が、遺体と一緒に移動するのは、宗教的にも考えられません。僕らが思っているよりも、貴族階級の方は気にするんです」


「でも、発見を遅らせるために、どこかに隠しただけかもしれない」


「ダリアさんたちは、さっきまでレオさんを探していたんでしょう? こんなわずかな血の跡が見つかるくらい、丁寧に」


ダリアは頷いたが、すぐ言葉を続けた。


「でも、ちゃんと探しきれていないだけかもしれない」


ダリアの言葉に、ロアは少し目を伏せて返した。


「遺体を完全に隠すなんて、普通の人にはすごく難しいことですよ」


ダリアは一連の説得を聞いてもなお、絶望に心を沈めていた。


「……レオ兄がもし生きていたとしても、きっと伯爵家に連れて行かれてる。

だとしたら、もう助からない。私たちじゃ、どうすることもできない」


また目に涙を蓄えるダリアの瞳を、ロアはまっすぐ覗き込んで言った。


「大丈夫です。僕に任せてください。きっと連れ戻してきます」

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