第4話
「いやぁ、いまだに信じられませんよ。まさかあの日食堂であった方が、かの有名なロア・フリート様だったなんて。事前に連絡をくだされば、帝都までお迎えに上がりましたのに」
ストラヴァはわかりやすく頭を下げた。
「こちらこそ、突然の訪問となってしまいすみません」
淹れてもらった紅茶を飲みいながら、ロアは微笑んだ。
伯爵邸の応接室で、柔らかいソファに座り、現伯爵のゴーティエとその秘書ストラヴァから懇ろな応対を受けていた。
「おい、こいつ、あの時食堂にいたやつだろ。なんでこんなもてなす必要があるんだ」
ゴーティエは納得がいかず秘書に尋ねた。
「この方は、皇室御用達の美食家なんですよ」
「ビショクカ??」
ゴーティエ伯爵は、ほとんど初めて聞く肩書に、眉を広めた。
ストラヴァは必死に説明した。
「美食家は、その卓越した味覚と知識を認めた皇帝が、ロア様のために特別に定めた称号です。
皇室の食事のメニューの決定から会食の準備、皇室公認の料理人の選定、新規食材の開拓から流通の管理まで……この国の『食』の全てを任されていると言っても過言ではない方です」
ストラヴァの懸命な説明にも関わらず、ゴーティエはいまいち的を得ない様子だった。
ストラヴァはグッと顔を近づけて、ロアに決して聞かれないように囁いた。
「皇室へも多大な影響力がある方ですよ。この方と良好な関係が築ければ、ゴーティエ様ももっと皇帝とお近づきになれるかと」
それを聞いて、やっとゴーティエは取るべき態度を見定めた。
わざとらしい笑顔を顔面に貼り付け、取り入るように言葉をかけた。
「いやはや、こんなところまでわざわざありがとうございます。それにしても、今回は一体どのようなご用件で?」
ロアはニコッと微笑んだ。
「実は、皇室の外交戦略の賜物として、40年ぶりに西側諸国との会談が実現するんです。
その際にお出しする料理の選定を任されたので、今、国中をまわって、食材開拓をしているんです。
……このあたりは気候が良く水も綺麗なので、美味しい食材がたくさんあると聞いていました。この度の会食にも使用する材料をたくさん集められると思って来たんです」
「それはそれは、お褒めいただき嬉しい限りです」
ゴーティエが大袈裟に頭を下げた。
後ろに下がるストラヴァが会話に入った。
「よろしければ、本日はぜひ伯爵邸にお泊りいただいて、ディナーを振る舞わせていただけないでしょうか?
ロア様のお眼鏡にかなう地産の食材を、たくさんご提供できると思いますよ」
願ってもいない提案をロアは快諾した。
伯爵は満足そうに頷き、今日泊まる部屋に案内するよう使用人に命令した。
「そうだ、もしよければ料理室にお邪魔させていただけないでしょうか。
食材の保管や調理器具など、参考にさせていただきたいんです」
もちろんゴーティエは承諾し、使用人に料理室もまわるよう付け加えた。
使用人は応接室の扉を開け、ロアを案内した。
ロアは部屋を出る間際、後ろで微かに会話が聞こえた。
「ところで、あいつの様子はどうなっている?」
「相変わらず強情で、何も吐こうとしません。
しかしこの屋敷に連れて来られた以上、そう慌てる必要もないかと。今はロア様のご対応を優先して問題ないと思いますよ」
扉が閉まり、もう何も聞こえなくなった。
ロアを案内する若い使用人は、初めて会う皇室の役人に半ば興奮しているようだった。
「それにしても、すごいです。こんなにお若いのに、皇室公認の美食家だなんて。素晴らしい舌をお持ちなんですね」
ロアは遠慮がちに答えた。
「そういうわけではないんですよ。僕はただ、他の人よりたくさん食べられるだけなんです
食べれば食べるほど、味を学ぶことができますから」
料理室の入り口で、使用人はまず、料理長を紹介した。
昔は皇室のシェフもしていたというその老人は、年齢は80に近く、髪は真っ白に変わり、目尻に柔らかく下がった深い皺を刻みつけていたが、腕は確かなようでテキパキと両手を動かしながら食材の仕込みをしていた。
料理長はロアを快く迎え入れ、料理室を中を見物することを許可した。
「うわぁ、すごい。珍しい食材がたくさんです」
食材庫には野菜や穀物、各種香草や調味料、今日絞めたばかりの地鶏、豚肉の燻製、牛の熟成肉などが置かれていた。
その一つ一つにこの土地固有の種類的な差異、保管方法、仕込み方法が見出され、ロアはここに来て一番興奮していた。
そんな様子を、調理室から料理長補佐の男が窺っていた。
「なんだあいつ、なんで部外者がこんなところにいるんだ」
ロアに着いていた使用人が慌てて説明した。
「ハルク様、あの方は皇室公認の美食家なんです。ゴーティエ様のご命令で、こちらに案内しているんです」
「ふーん……」
ハルクはどこか納得していない表情を浮かべ、食在庫をまわるロアを凝視していた。
「……何が美食家だ。あんなガキに何がわかるっていうんだ……そうだ……!」
ハルクが何かを思いついたように口角を上げるのを、そこにいた他の人間は気づかなかった。
夕食の時間がやってきた。
ゴーティエとロアは、長いテーブル越しに向かい合うように座った。
ストラヴァは食卓にはつかず、いつものようにゴーティエの背後で控えていた。
給仕係が前菜を運んだ。小さな皿に彩り豊かな3品が盛り付けられていて、その一つ一つを紹介した。
「お待たせいたしました。こちら『カリフラワーと青豆のサラダ』『キャロットラペ』『キノコのマリネ』です」
「ロア様、ぜひ召し上がってください。この領地の自慢の食材を使うよう言っておきましたから。
あんなど田舎の食堂で町民が食べているようなものとは、レベルが違いますよ」
ロアは一言「いただきます」と言って料理を口に運んだ。
「……おいしい!」
ロアがそういうと、ゴーティエもストラヴァも満足そうに頷いた。
「やっぱり、この地域の豊かな自然に育てられた食材は、味も風味も格別に良いです。シェフの実力も確かなので、その良さが一層際立っています」
ロアは世辞で着飾ることもなく、純粋な感想を述べた。
前菜がもう食べ終わるのを確認し、厨房では次の料理の準備をしていた。
「料理長、次の料理は、よければ私に運ばせていただけないでしょうか? ぜひ美食家様にご挨拶したくて」
料理長補佐のハルクがそう言うと、料理長は了承した。
「ロア様、お初にお目にかかります。私、この屋敷の料理長補佐のハルクと申します。ロア様にお会いできて、恐悦至極に存じます」
ハルクはロアの前に立ち、慇懃に頭を下げた。
「こちら、『エーゲマッシュルームのポタージュ』です。ぜひご賞味ください」
ゴーティエはそれを聞くと、おお、と喜びの声をあげていった。
「ロア様、この『エーゲマッシュルーム』ってやつが、この地域特産の高級キノコなんですよ。
このキノコ1つの値段で宝石だって買えるんです。私の好物でもありまして、取れる時期はほぼ毎日出させているんです」
言いながらゴーティエはスープを口に運び、旨い! と太鼓判を押した。
「へぇ、楽しみです」
ロアはわくわくとした表情でスープを掬った。
その様子をハルクはニヤニヤと笑って見ていた。
(……そのポタージュに使ったキノコはエーゲマッシュルームじゃない。全くの別物、アグリ茸だ。
この地域ならそこら中で採れて、値段も庶民が買えるほど安価。それでも風味がよく似ていて、形を見なければ別物とわからない者がいるくらいだ。
ポタージュは原型をなくすほど細かく刻まれていて形がわからないし、風味は他の調味料と合わさって見極めにくい。
こいつが散々『高級キノコ』の味を褒めた後、見習いが食材を間違えてましたとでも言って、別物であることを暴露してやる。
そしたらこいつは、高級と安物の区別もつかない肩書だけの『美食家』様ってわけだ)
ロアがスープを口に入れた。
ゴーティエもハルクも、次のロアの言葉を待ち続けていた。
「……これ、『エーゲマッシュルーム』じゃありませんね。風味が似ていますが、全くの別物です。『アグリ茸』じゃないでしょうか?」
ロアはこともなげにそう言ってのけた。ハルクは口を開いて絶句したが、懸命に取り繕うとした。
「まさか……そんなわけないじゃないですか」
「だとしたら、仕入れか保管か調理かは知りませんが、どこかの段階で人為的に……
いえ、ハルク様がご存知ないのであれば、調理の段階ではないですね。いずれにしても、一度、調べて見た方が良いかもしれません」
ロアは真っ直ぐハルクの目を見て言った。
その口ぶりに、自分の舌を疑っている様子はかけらもなかった。ただ絶対の自信を持って進言していた。
本格的な調査が始まったら、どの段階で食材がすり替えられたかなんてすぐわかるに決まっている。ハルクは慌てて、保身に舵を切った。
「あぁ! そういえば、今日食材の下拵えを任せたシェフが見習いで、見慣れていなかったのかもしれないです!
もしかしたらその時に取り違えて……! いやはや! 失礼いたしました!」
それを聞いてゴーティエはガタンと食卓を叩いた。
「なんだと! じゃあお前は庶民が食うような低質な食材で料理を出したっていうのか⁉︎」
「申し訳……!」
ゴーティエのあまりの剣幕に、ハルクは最後まで言葉を紡ぐことができなかった。
「ちょっと待ってください。確かに高価ではないですが、アグリ茸も素晴らしい食材ですよ。
それこそ高級品と間違うほどの上品な風味が特徴で、皇室の中にも『こちらの方が好き』という方までいるくらいです。
今回のポタージュも丁寧に仕込みと調理がされていて、素材の旨みが引き出された、本当においしい料理です。これ以上ないものを提供していただきました」
ロアの評価は、ゴーティエの怒りを鎮めた。わかりやすいくらいまた上機嫌に戻って、次の料理を要求した。
ハルクがポタージュの皿を下げるためにロアに近づくと、ロアは周りに聞こえない声で囁いた。
「でも、あのポタージュは『エーゲマッシュルーム』のためのレシピでした。次の食事は、正しい食材のものが食べたいです」
ハルクは顔を青ざめて、小さく「承知しました」と呟いた。
その後もしばらく食事と歓談が続いた。
大抵はゴーティエが首都の料理や政治情勢に対して知ったような口を聞き、ストラヴァがそれとなくフォローに入った。
とうとうメインディッシュの時間になった。
「……大変お待たせいたしまいした。本日のメインディッシュ、香草と若鶏のソテーです」
運ばれた食事を見て、ロアは小さく感嘆の声を上げた。
ゴーティエが言った。
「鶏だと? なんで俺の客人に鶏なんて出すんだ。牛か、少なくとも豚のヒレステーキだろうが」
給仕を担当する流れになったハルクに向かって、ゴーティエはまた喚き散らした。
言葉に詰まるハルクの代わりに、ロアが言った。
「僕が西側諸国との会食料理を考えていると言ったからです。
西側諸国は宗教上の理由から、牛と豚を禁食している地域も多いですから。料理長様はかつて皇室のシェフも任されていたとのことでしたから、きっとご配慮くださったんですね」
そう言いながら、ナイフとフォークをなめらかに動かし、一口食べた。
「……美味しい! これなら、会食にも自信を持って出せます」
ゴーティエはそんなロアの様子を見て、自分が皇室の人間と懇意になるのは時間の問題だと確信した。
地鶏を噛み締め、肉汁を堪能しながらも、頭の中では自分の輝かしい未来を妄想し、つい頬が緩んだ。
突然、ガリっと口の奥に異物感があった。小骨か筋が残っていたのだろうか。
普段なら料理長を呼んで散々怒号を浴びせるところだったが、よりによって今日は美食家が食材の品定めをしていた。
ゴーティエは苛つきを抑え、奥歯で異物を噛み砕いて、そのまま飲み込んでしまった。
「が……!!!!?」
喉元に焼けるような痛みを感じた。頭に殴られたような痛みが走り、手先が震え、呼吸が浅くなった。
周りの人間が驚きの表情で立ち上がって、集まってくるのがわかったが、ろくに声を出せず、そのまま意識が遠のいた。
「毒だ!!」
ストラヴァは大声で叫んだ。
ゴーティエに近づいて、その顔や症状を観察した。そして戦慄した。
自分が持っている毒と、同じ毒が盛られている。
すぐさま手持ちの解毒剤を伯爵の口に放り込み、無理やり飲ませた。手の震えや乱れた呼吸は幾分マシになったが、それでも顔は赤黒く変色し、一瞬も油断を許さない状況だった。
「あの……! 私、医者を呼んできます!」
食堂にいた使用人が部屋から飛び出そうとすると、ストラヴァは「やめろ!!」と大声で叫んだ。
使用人は困惑して立ちすくんだ。
「私が呼びに行く。その間、お前らはお互いを見張れ!
厨房の人間も全員この部屋に集まり、誰も外に出るな! ゴーティエ様に毒を持った犯人は、必ずここにいる!」
その言葉だけ言い残すと、ストラヴァは医者を呼びに走り出した。
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