第2話

 ずっと来たかった場所に降り立ち、しばらくの間目に入る全てに感動していた。

ふと、ロアは自分が空腹であるのに気づいた。馬車に乗せてもらっている間、何も食べていなかった。


町の中を歩き回ると、畑の作物の手入れをし、家畜の餌を運ぶ町民は、見知らぬ少年を不思議そうな目で見つめ、避けるように通り過ぎた。


ロアはナイフとフォークが描かれた吊り看板を見つけた。

耳を澄ますと、中は談笑する人で賑わっている様子だった。一呼吸おき、扉を開けて声をかけた。


「すみません、ここって……」


視線が一斉に集まった。部外者に慣れていない町民は、知らない人間に静まり返った。


「いらっしゃいま……え?」


給仕する店員も困惑に言葉を詰まらせた。7〜8歳くらいの少年だった。


「あの……えっと、少々お待ちください。……レオ兄ちゃん!」


店員の少年は店の奥へ消えた。

ロアはポツンと残された。席に着く町民は皆、脇目にロアを見て何やら囁いていた。


「……おお、本当に知らない人だ」


店の奥から、さっき給仕していた少年に手を引かれ誰かがやってきた。

ロアと同い年くらいの青年だが、落ち着いた雰囲気でどこか大人びて見えた。


「あぁ、失礼。この店、町の人間以外滅多に来ないから、少し驚いたんだ。この辺りの人間じゃないだろ? 観光か?」


「まぁ、そんな感じです」


「ふーん、もの好きだな」


青年はレオと名乗った。ロアも自分の名を告げた。


「あの、ここって食事はできますか?」


ロアが聞くと、レオは頷いた。


「できるよ。ここは食堂なんだ。何が食べたい? メニューを持ってくる」


「あ、大丈夫です。全部ください」


「……は?」


レオは発言の意味がわからず、帰す言葉を失った。

ロアはニコッと笑って繰り返した。


「今お出しいただける料理、全部食べたいです。全部ください」


それからしばらくの間、町民はロアの食卓から目が話せなかった。

オリーブのペーストを塗ったライ麦パン、じゃがいもと玉ねぎのポタージュ、ほうれん草とくるみのキッシュ、豚肉と香草のソーセージ、鶏肉のトマト煮込み、野菜のグラタン、チーズの盛り合わせ、川魚のワイン煮……その店で出せるほとんどの料理が次々にテーブルへと運ばれ、その場にいた町民全員でも食べきれない量の食事が、全てロアの口に吸い込まれていった。


ロアが食事を平らげるたび、何人もの店員が変わるがわる皿を下げた。全員12歳にも満たない子どもに見えた。


「……驚いた。本当に全部食べそうだ」


追加の料理を運びにきたレオが言った。


「全部おいしくて、止まらないです」


ロアがそう言うと、「それは良かった」と言って新たにキノコとベーコンのオムレツを並べた。


「でも、僕1人でこんなに食べて大丈夫でしたか?」


「むしろ助かるよ。適正価格で食事をしてくれる分には。

最近天候が良かったから、どこの町も豊作で、農作物を買い叩いてくる商人が多いんだ」


へぇ、と小さく呟いて、ロアは周りで働く店員の子どもを見やった。全員あまり身綺麗な服とは言えなかった。


「……この店はどうして子どもしかいないんでしょうか?」


ロアはずっと気になっていたことを尋ねた。


「ここ、もともと孤児院なんだよ。伯爵の支援無くなって潰れたけど」


レオは淡々と説明した。


「それでも、子ども放り出すわけにはいかないから、食堂やってなんとか運営してんだ」


ロアが部外者だからか、内容の割に、感情が排斥された説明だった。

突然店の奥で少女が叫んだ。


「レオにい! 大変、にわとり逃げた!」


「まじかよ」


そういうとレオは店の奥に戻っていった。

ロアのもとに、また別の子どもが来た。12歳くらいの短い髪の少女で、動きやすそうなズボンを履き、どちらかと言うと少年のような見た目をしていた。

レオの次に年長であるようで、初対面のロアに対して少しの警戒心を持っているみたいだった。


「あの……お待たせしました。白インゲンと豚肉の煮込みです」


「ありがとうございます」


ロアは少女の両手が塞がっているのに気づき、食卓の皿をどかして空間を空けようとした。

少女はそれを待つ間、少しの好奇心が働いたのか、ふとロアに尋ねた。


「……よその街から来たの?」


ロアは笑って答えた。


「そうですよ」


「何のために?」


「伯爵様にお会いしたくて」


突然、賑やかさを取り戻していた食堂が、また静まり返った。

町民の視線がロアに集まり、全員どこか警戒の色を窺わせていた。


ロアが明らかに変化した場の空気に戸惑っていると、給仕の少女は睨みつけるように言った。


「……あのクズの知り合い?」


ロアが返事をする隙もないまま、少女がガシャンと音を立てて皿を置いた。

そしてすぐ走り去ってしまった。


「ダリア⁉︎」


戻ってきたレオが呼び止めたが、彼女が止まることはなかった。


「……悪かったな」


レオがダリアと呼ばれた少女の代わりに謝ると、少し考え込んで続けた。


「えっと……伯爵様の知り合いか? 何の用なんだ?」


ロアは慌てて答えた。


「いえ、伯爵様を知っている訳ではなくて、ちゃんと訪問の約束を取り付けている訳でもないのですが。

ただ昔お世話になったので、そのお礼がしたいと思ってきたんです」


ロアの言葉を聞いて、レオは何かに気づいた様子だった。


「昔……それ、何年前だ?」


「9年くらい前です」


ロアが質問に答えると、レオは納得したような表情で言った。


「じゃあ、お前が会いたいのは伯爵、オルト様だな。3年前に死んだ」


レオはそう言った直後、自分でも驚くほど無配慮な物言いに思わずハッとなった。

恩人の死を伝えるには、あまりに無遠慮な態度だった。

これ以上無駄足を踏まないようにという、レオなりの善意もあったが、それにしたって限度があった。


「……知ってます」


ロアは微笑みながら言った。

その反応は全くの予想外で、レオは思わず面くらった。


「だから僕、お墓参りに来たんです。

前伯爵様は邸宅の敷地内に埋葬されたとお聞きしたので、そちらを見せていただくために、今の伯爵様にお願いしようかと」


レオはやっとロアの目的を理解した。

気が緩んだのか、どこか安心したような表情を浮かべて言った。


「……前伯爵は良い人だったんだ。領民のことを一番に考えていた。


この孤児院も気にかけていて、時々訪問に来ていたし子どももみんな懐いていた」


そばで見ていたのだろうか、随分親しみのある口ぶりだった。ロアは黙って話を聞き続けた。


「……けど、あの人が死んで、長男が家を継いだ後は全部が変わった。身勝手な政策で領民は疲弊して、この孤児院への支援も止まった」


その言葉には、必死に隠していたが怒気が込もっているのがわかった。

レオは我に帰ったように顔をあげ、つまらない話をしたことを謝罪した。




店の前で、ダリアが蹲っていた。「伯爵様」の話題を出されて、ついカッとなって叩きつけるように食事を出した。

前伯爵が亡くなってから、その座を奪うように君臨した伯爵家の長男。数ヶ月前に「視察」という名でここに来た。


町民の疲弊に目を塞ぎながら貴重な酒を無料ただで散々飲み食いし、あろうことか「肉が食いたい」の一言で大切な乳牛も一頭絞めさせた。

それでも町長は耐え忍んで、最後に孤児院の支援だけでも復活させてもらうよう頼み込んだ。すると


「親もいないガキなんて、穀潰しもいいとこだろ。いっそのこと売ればどうだ?」


両親の死んだ子どもたちの前で、そう言った。

伯爵が変わったせいで飢えと疲労に苦しみ、親を無くした子どももいた中で。

あの時に感じた怒りと恐怖は、思い出すだけで目が熱くなる。


それでも、だからと言って外から来た人間に突然あんな態度をとるのは間違っていた。

どんな事情でここに来たのかちゃんと聞いてもいないのに。


「……謝らなきゃ」


ダリアはそう言って立ち上がったが、振り返ることができなかった。

後悔と恐怖で足が動かなかった。ふと視線をあげ、平地に広がる麦畑を見やった。黄金色の絨毯を見て安心しようとした。

しかし遠くの方にを見つけ、思わず目を見開いた。

あの日、新しい伯爵が乗ってきた馬車だった。


「――い、大丈夫か、おい」


レオに呼びかけられて、ロアはハッと我に帰った。


「あぁ、すみません。少し考え事していました」


恐縮するように謝っているが、それでもどこかまだ上の空だった。

部外者の人間に食事が不味くなる話をしたことを、レオは重ねて反省した。


「……それにしても、伯爵に会いに来たって言うけど、ちゃんと約束取り付けていないって、大丈夫か?


そんなんじゃ多分、現伯爵は会ってくれないと思うぞ。

前の伯爵なら、旧友の名前やゆかりの地の名産品を手土産に持っていけば喜んで会ってくれたし、恩人の墓を参りたいって言ったら入れてくれただろうけど」


「本当ですか」と言いながら、それでもロアはあまり困っている様子ではなかった。

少し心配そうに見つめるレオに向かって、


「でも、大丈夫だと思います。交渉する材料は持っているので」


と語った。


ならいいけど、とレオが言いかけた時だった。

突然ダリアが外から走り込んできて、レオの腕を掴んで引っ張った。


「ダリア⁉︎」


レオは驚いて名前を呼んだが、ダリアは振り返らずそのまま食堂の奥まで引き込んでいった。

レオは無抵抗にキッチンの方まで引きずられ、ロアはただ茫然とその様子を眺めていた。


「どうしたんだ、ダリア」


食堂の奥で身を隠すように座らされ、レオは困惑したままダリアに尋ねた。


「レオにい、絶対に動かないで。あいつらが来た」


レオは言葉を失った。

ロアが2人の消えたキッチンを見つめていると、ダリア1人だけが出てきた。その時だった。


「相変わらず家畜くせぇなここは。よくこんな場所で飯なんて食えるな」


そこにいた町民全員の視線が、その声の主に集中した。従業員の子どもたちの中には今にも叫び出しそうに口元を抑える子もいた。


「本当にこんな場所に、あいつがいるんだろうな?」


「その噂ですよ。ゴーティエ伯爵様」


伯爵と呼ばれたその男は、でっぷりと肥え、脂肪を蓄えた首元にネックレスを、指には指輪を食い込ませていた。

上質な光沢を帯びた上着を身に纏い、大理石の装飾が施されたボタンは可哀想なくらい張り詰めていた。


もう1人入ってきた細身の男は伯爵ほどではなくても高そうな身なりに身を包み、計算高そうな銀縁の片眼鏡が一際目立っていた。

その他、数人の護衛の兵士が店の端や外で待機していた。


「噂だぁ? 無駄足だったらただじゃおかないぞ? ストラヴァ」


ゴーティエがそう言うと、ストラヴァはぐるりと周りを見回しながら言った。


「確かな筋の情報です。なんでも、『レオ』と言う名でここの店長をしているのだとか」


その目は明らかに周りの人間の反応を見ていた。その様子に確信を持ったのか、伯爵に向かって満足そうに頷いた。

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