第3話 過去の日々 翔太

翔太は、まだあの町にいた。

十勝の冬、雪の匂いがする朝。

白い息の向こうで、美咲はよく笑っていた。

ふたりで通った中学の通学路。誰より近くにいたはずの彼女は、遠くに行ってしまった。



高校に入って、翔太は少しずつ昔のことを忘れていった。


その時、風が強く吹いた。

雪解けの匂いと、まだ冷たい空気が入り混じる風だった。


美咲が去ってからの時間は、まるで空気が抜けたみたいだった。

部活も、勉強も、ただ日々を埋めるためのものになった。

季節が巡っても、あの風の匂いだけが、胸の奥に残り続けていた。


「なんで、ちゃんと伝えられなかったんだろう」


大学進学が決まったとき、翔太は地元の農業大学を選んだ。

美咲のいない町、でも同じ風が吹く場所。

心のどこかで、過去をまっさらにしたかったのかもしれない。


18歳で一人暮らしを始めた春。

部屋の窓から見えるのは、美咲がいない街と、似たようで違う空の色だった。


大学に入ってからも、翔太の中で美咲は“時間が止まった人”だった。

笑った顔も、泣きそうな横顔も、あの頃のまま。


19歳の秋、サークルの飲み会で、ふと聞かれたことがある。

「初恋って、まだ忘れられないもの?」


翔太は少しだけ考えてから、グラスの中を見つめて言った。


「忘れるっていうより……、一緒に生きてるって感じかな」


その言葉に、誰も返事をしなかった。

でも翔太自身、その時初めて、自分の気持ちを少しだけ理解した気がした。


20歳の春。

十勝の雪が解けて、新しい街路樹に緑が戻る頃、翔太は茜と出会った。

彼女の笑顔に、どこか懐かしさを感じたのは、たぶん、美咲の面影を探していたからだ。


翔太は20歳の春の時地元で暮らしていた。

進学先の大学に慣れた頃、彼は茜と出会った。

同じゼミで、明るく、人懐っこくて、けれどどこか繊細さを隠しているような人だった。


「翔太くんって、ずっと誰かのことを考えてる目してるよね」

茜にそう言われたとき、翔太は曖昧に笑った。

たぶん、彼女には気づかれていたのだ。自分の中にまだ、美咲という名前の風が吹いていることを。


翔太と茜は、付き合った。

クリスマス、卒業旅行、就活。並んで歩くかもしれない季節の中で、翔太は茜に優しくしようとした。

彼女の髪に触れ、眠る横顔を見て、「この人をちゃんと好きになりたい」と何度も願った。


でも――どうしても、届かない場所があった。


茜の好きな音楽も、話す未来のことも、翔太の中にはどこか“借り物”のような感覚があった。

たまに無性に十勝の空を思い出した。風の匂いと、誰かの笑い声が混ざった記憶。

美咲の名前は出さなかった。でも、出さないことが翔太の不誠実だった。


そしてあの美咲と再会したあの日から数ヶ月経った後、茜と別れた。

理由は些細な喧嘩だった。

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