第2話 突然の再開
振り向くと、そこに美咲がいた。
6年ぶりだった。14歳の冬、雪に埋もれた駅で見送った彼女。あのときより少し大人びて、けれど変わらない目をしていた。
一緒にコーヒーでも、と言われ、近くの喫茶店に入った。
どこか懐かしい雰囲気のその店で、二人は近況を語り合った。
「…覚えてる?ここ、昔も一緒に来たんだよ。中学のとき。」
(少し間をおいて、微笑む)
「うん、覚えてるよ。あのとき…チョコレートケーキ、食べたよね?」
「そうそう。苦くて、ちょっと大人っぽいやつ。」
(美咲は静かにうなずくが、その記憶は曖昧だ。ただ、翔太の目がまっすぐで、やさしいから――それが正解のような気がした)
「…美咲、なんか、最近ちょっと元気ない?」
(少し驚いたように笑って)
「そうかな?…もしかして、老けた?」
「いや、そういうんじゃなくて。なんていうか…ときどき、心ここにあらずって感じで。」
(美咲は、少しだけ目を伏せる。カップに残ったコーヒーが冷めている)
「ごめんね。ちょっと、いろいろ考えることがあって。…仕事のこととか、未来のこととか。」
(翔太はそれ以上追及しない。ただ、美咲の表情を見つめている)
「…もし、何かあったら、言えよ。僕、聞くからさ。」
(微笑みながら)
「うん、ありがとう。翔太は、変わらないね。…あの頃と。」
(翔太が少し照れたように笑う)
「そっちは?変わった?」
「ううん。中身は、全然。…たぶん。」
(たぶん、のあとに沈黙が落ちる。美咲は、自分の“たぶん”が本当のことになる日を、心のどこかで恐れている)
「美咲は、彼氏とかいるの?」
ふと、そう聞いた自分に驚いた。
「うん、まあね」と彼女が笑った瞬間、胸が少しだけ痛んだ。
でも、その痛みを否定するほど、僕ももう子供じゃなかった。
僕にも恋人がいる。
一緒に暮らすことを考えている相手がいて、その人の寝癖や味噌汁の味に、少しずつ心を預けている。
なのに、今ここにいるのは彼女だった。
過去でも未来でもなく、“今”この瞬間に、彼女の横顔を目で追っていた。
「なんかさ、あの頃のこと、思い出すとね、雪の匂いがするんだよね」
そうつぶやいた彼女の声に、僕は静かにうなずいた。
喫茶店を出ると、風が吹いていた。まだ冷たいけれど、雪はもう消えていた。
何もなかったかのように、ただ「どうしてた?」「何してるの?」
そんな言葉が交わされて、それでも互いに、ずっと言えなかったことを心にしまったままだった。
夜、古い駅のベンチに並んで座った。
列車が過ぎたあと、あたりは静寂に包まれる。
その沈黙の中で、翔太がぽつりとつぶやいた。
「ずっと、雪が解けるのを待ってた気がする」
美咲は小さく息を飲んだ。
「私も…たぶん、そうだったのかもしれない」
ふたりの視線は交わらない。でも、心だけが、過去に戻っていた。
14歳のとき、何も知らずに恋をした。
その恋を失ってから、互いに別の人生を歩んできた。
その途中で、誰かに好かれ、誰かに愛され、でもふとした瞬間に“いない誰か”を思い出す。
翔太は言った。
「きっともう、元には戻れないんだろうな」
「でも、戻らなくていいのかもしれない。だって今、ちゃんと会えたから」
美咲はうなずいた。
「うん。戻らなくていい。でも、ここから…少しずつなら、歩けるかもって思ってる」
それが、彼らの“答え”だった。
もう子どもじゃない。時間は取り戻せない。
けれど、互いに傷を抱えたまま、それでもまた笑えるように――
そう願って、ふたりは春の風の中。
美咲はそう言って、柔らかく微笑んだ。
「また会えるかな?」翔太が尋ねた。
「会いたいと思えば、きっと」
それが最後の言葉だった。
電車が来て、彼女の姿が遠ざかっていった。振り返らなかったけれど、翔太はそれで良いと思った。
春には、まだ少し早い。
でも、確かに何かが溶けていた。風が優しくなっていた。
雪解けを待ち続けていた日々は、もう過去になった。
そしてその上に、誰も知らない新しい季節がゆっくり始まろうとしていた。
夜、地元のアパートに戻ると、茜がカレーを温めていた。
「遅かったね。寒かったでしょ?」
そう言って出されたカレーは、いつもよりちょっと辛かったけれど、僕は「うん、美味しいよ」と微笑んだ。
テレビの音。鍋が沸騰する音。
それらすべてが「日常」の輪郭をなぞっていた。なのに、駅前のカフェで見た美咲の横顔が、ずっと頭の隅で揺れていた。
美咲は、きっともう別の道を歩いている。
でも、あの夕暮れの信号の下だけは、まだ14歳のふたりのままだった。
それを大人の自分が壊すことは、許されない気がしていた。
夜中、茜が寝たあと、翔太は机に向かって一枚のスケッチを描いた。
十勝の雪原。あの風の音。美咲が最後に振り返らなかった、あの駅のホーム。
どこにも存在しない、けれど確かに心の中にある“風景”だった。
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