第3話 妻は哲学を選び、夫は導かれる—形而上学の扉

朝の冷たい空気が、まるで心の奥底に潜む不安を呼び起こすように、肌を刺す。良江とともに京都駅前のビルに向かう足取りには、未知への期待と恐れが絡み合っていた。


まだ薄暗い時間帯にもかかわらず、目的地が近づくにつれ、心の中の疑念と期待が絡み合い、鼓動が速まるのを感じていた。


ビルのロビーに掲げられた「形而上学勉強会」の文字は、まるで未知への扉を示す符号のように輝いていた。良江が静かに歩み寄り、ドアノブを掴む。その手の動きが、一つの儀式のように見えた。


扉を開けると、中には十数名の参加者が整然と座り、期待と緊張が入り混じる雰囲気に包まれていた。室内は古めかしい木材の机が整然と並び、参加者たちの手元には控えめなノートとペンが置かれていた。壁際には、深い緑色の観葉植物が視線を吸い寄せるように存在感を放ち、空気に微妙な違和感を生じさせていた。


中央のテーブルには講師と思しき男性が座り、分厚い本と一枚の白紙が置かれている。その静けさが、まるで何かが始まる前の予感を漂わせているようだった。


受付係の女性に導かれ、私たちは席に着いた。良江は穏やかな笑みを浮かべ、まるでこの場所が自分の居場所だと確信しているかのようだった。その表情が、私の心に安堵と不安の両方をもたらした。


やがて講師が顔を上げ、優しい声で語り始めた。


「初めての方もいらっしゃるようですね。本日は形而上学の基本についてお話しします。」


講師の視線が受付係の女性に移り、


「霧島さん、形而上学とは何か、教えていただけますか?」


霧島さんは静かに立ち上がり、少し緊張した面持ちで話し始めた。


「形而上学とは、形而下の世界を超えた普遍的な法則を理解し、それを私たちの生活に反映させる学問です。」


講師は優しいまなざしで霧島さんを促しつつ語った。


「形而上学は、人間が通常経験する法則を超えた普遍的な自然法を追求する学問です。これを学ぶことで、自分の人生に深い意味を見出す手助けとなります。」


次に霧島さん自身の体験が語られた。


「私が乳癌と診断された時、この勉強会に参加しました。絵姿を受け、実践を重ねる中で、病が癒えたのです。」


その話に私の心はざわつき始めた。「絵姿とは何なのか?それが本当に救いを与えるのか?」


講師の視線が私に向けられる。


「中西さん、身の回りで起こることは偶然だと思いますか?」


講師の穏やかな視線が鋭く刺さるように感じた。『偶然』という言葉を口にするのがどこかためらわれ、息を呑みながら答えた。


「いえ、何か意味があるとは思いますが……」


自身の言葉に確信を持てないことが胸を苦しくさせた。


講師は柔らかい声で続けた。


「もしその意味を知ることができるとしたら、中西さんは知りたいと思いますか?」

「もちろんです。」


講師がさらに問いかける。


「では、今神に尋ねたいことは何ですか?」


迷いながらも私は答えた。


「妻の癌についてどうしたら良いのか悩んでいます。」


講師が静かに頷き、霧島さんに視線を向けた。


「霧島さん、お願いできますか?」


霧島さんが静かに立ち上がり、目を閉じると、周囲の空気が一瞬止まったように感じられた。彼女の肩がゆっくりと沈み、まるで見えない糸に操られているかのような動きが始まる。


突然、彼女の右手がすっと上がり、霧島さんの指先が私を示した瞬間、部屋の空気が一変し、視界の奥に白い光がちらついた気がした。


この先に待つものが希望なのか、それとも恐怖なのか。その答えを知るためには、未知の扉を開ける勇気が必要だった。

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