第2話

次の日は朝からまた美味しいスープをもらい、硬かったけど、美味しいパンを分けてもらった。

そして、その人はお祈りの仕方を教えてくれて、一緒に家族の安らかな眠りを祈ってくれた。

いくつかの知らなかったことを教えてもらって、また夜に別の味の美味しいスープを飲んだ。


「お名前、なんていうの?」


私がその人の名前を聞いていないことに気づいたのは、夜も更けてもう身体を横たえてからだった。うまく思い出せないけど、きっとそれまでそんな余裕はなかったんだろうと思う、私の周りにいる人なんて、別に誰だってよかった。どうせいなくなってしまうのだから…と思っていたから。


「名前…?私のですか…?」


「うん。お名前は?」


彼は私の顔を見て、少し迷ったように考えて微笑むと、口を開く。


「そうですねぇ…今、私は修行中の身でして…旅の間は人に名を明かすことができないんです。だから、貴方が私に名前をつけて下さい。そうですね、できればかっこいいのがいいですね。」


急に言われても、と思いながらもその呼び名はすぐに頭に浮かんだ。


使つかいさま?」


「えっ…なんっ…どうして、それにしようと思ったのですかっ…?!」


急に狼狽うろたえだすその人に、子どもながらにまずいことを言ったのかと思ったけれど、私にも、そう思ったのには理由わけがあった。私は彼の荷物から少しだけはみ出ていた洋服を指さす。


「…そこの、お洋服がね、小さい頃、父様に連れて行ってもらったお祭りの時に見たお洋服と一緒だから…。その人たちは使つかいさまって呼ばれてたから…そのお洋服の人は使つかいさまっていうのかなって…思って…。」


彼は少しだけ目を見開くと、また困ったように微笑む。


「驚きましたね…。貴方のお父様はどうやらとても敬虔けいけんな方だったのでしょう…。そうです、これは神に仕える者の装束しょうぞくで、私も神に仕える身なのです。」


その人は、胸に手を当て静かに頷く。

その所作がとても特別に見えて、思わずその仕草を真似する。


「けえけんなって…なに?」


「神様を尊び深く敬うことです。貴方のお父様は神様を大事にして、よく信仰されていたのでしょう。貴方のお祈りが、教えたばかりで上手にできたのも納得がいきました。」


「とうとび…うやまう…?」


難しい言葉はわからないけれど、父様が褒められたみたいで嬉しかった。

お祈りも、褒めてもらえた。上手だって…。


「とは言え、人の多いところでそう呼ばれると私も修行中の身ゆえ、少し都合が悪いので…そうですね、それでは…ディアと呼んで下さい。」


「ディア…?」


「ええ、そうです。本当の名前ではありませんが、私は仕える身ですので…。貴方にもお名前を聞いても?」


「アンナ。」


「そうですか、可愛らしいお名前ですね。アンナ。お父様の名前は?」


ディアは横になったまま私の頭を撫でる。


「ジェームズ…なんとか。」


「なんとか…は思い出せますか?」


「…出せない。忘れたんじゃなくて、言えないの。長くて、言いづらいかった…。」


(…当時、ファーストネームしかまだ覚えられて居なかった。舌たらずな子どもには少し発音しづらい名前だったのは覚えているけれど、今でも思い出せない。それにしても、この夢、長い…しかも、こんなに鮮明な…夢じゃなくて、もしかして…走馬灯っていうのかしら…私、死んだの…?)



「ふふ、言いづらいかったですか…御家門の名前がわかればと思ったのですが…。」


ディアが笑って、また頭を撫でる。

温かくて、眠くなってきそうだ。


「ごかもん…?」


「家族みんなで使う名前です。アンナが先ほど言ってたなんとか、の部分です。」


「そっか。でも、わかんないの…。ごめんなさい。」


ちゃんと…覚えられていれば役に立ったのかも、と思うと少しがっかりした。


「謝ることはないですよ、大丈夫。まぁ、いいでしょう。さてアンナ、今日は、もう休みましょう。明日は教会に…私の知り合いがいるところに行きます。」


「はい、ディア、おやすみなさい。」


「はい、アンナ、おやすみ。」




次の日はディアに連れられて教会に行き、そして私は教会の…御使みつかいさまのうちの子になった。

ディアもしばらくそこに滞在してくれて…ひと月くらいして、私が慣れて来たところで、また修行を再開すると言って、旅立ってしまった。


「では、アンナお元気で。ありがとう、貴方に会えて楽しい日々でした。」


「…もう、会えないの…?」


行かないで、と引き止めてしまいたかったけど言葉がうまく出なかった。

ディアは私の頭を撫でてこう言った。


「修行はこれからも長くかかるので…また会えるかもしれないし、こんな時世ですから、もしかしたら今世ではもう会うことはないかもしれません。…でも、貴方のことは忘れませんし、人の世はつながり続けますから…。今世が無理でも来世ならあるいは…。そうだ…ではこうしましょう。「では、また来世で。」その前に会うかもしれませんが、楽しみは先に取っておくほうが毎日に張りが出ますから。来世も楽しい毎日が送れますように、アンナに神様のご加護があらんことを。」


「うん、じゃあ…ではまた来世で。」


頭を撫でて、力強く笑顔でそう言うディアに、不思議と納得させられて、心細さや淋しさはどこかへいってしまった。

ままならないこともあるけれど、たくさん生きたその先に、またディアに会えることがあるかもしれない、そう思ったら、なんだか勇気が湧いてきた。



辛くても、悲しくても、そこから逃げ出したくても、今、天国を目指すことはしない。私は今をしっかり生きて、そして死ぬのだ。


(そうだった…そして、私は今…どうなっているの…?こんなに早く死んじゃったら…まだ、10年しか経ってないのに…ディアと来世で会えなくなっちゃう…。)



…しっかり食べて、祈って、働いて、少し学んだりもして、良く寝て…私は生きて、18歳になった。

今は、養父である教会の司教さまにならい、神様に仕える身となってこの教会にいる。

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