23 就任式
「――向かってくれ」
静かながらも強い語気で、常磐は千利にそう告げた。千利はわずかにうなずき、黙って部屋をあとにした。
重い扉が音を立てて閉まると、常磐はひとつ、深く息を吐いた。
「……いきますか」
そう独り呟き、彼はゆっくりと立ち上がった。身にまとうのは黒を基調にした礼服。無駄のない仕立てのそのスーツには、組織の紋章が銀糸でさりげなく縫い込まれていた。
行き先は、組織の中枢、かつては王族の私邸だった建物だ。今日ここで、常磐は『組織』の副会長として就任することとなっていた。今回の事件の解決を功績として評価されたのであった。
会場は、静かな熱気に包まれていた。
灰白殿の大広間。石造りの高天井から吊るされたクリスタルのシャンデリアが、まるで千の目のように、参列者の一人ひとりを照らしていた。暗灰色のスーツに身を包んだ幹部たちが整然と並び、中央の通路を挟んで静かに待っている。
壇上にはすでに、会長・井原政隆の姿があった。その目は鋭く、寡黙で、重い空気を纏っていた。
常磐が近づくと、御堂はわずかに頷いた。
「……よくやったな。これで『組織』もまた一つ、山を越えた」
常磐は深く頭を下げた。
「ありがとうございます、会長」
その言葉に、井原はわずかに目を細めた。
やがて、就任式が始まった。荘厳な音楽が鳴り響き、重厚な式次第が粛々と進行していった。
まずは、井原会長の挨拶。過去と未来を語る、力強くも理性的な演説。組織の理念、改革、そして次の時代を共に築く同志たちへの呼びかけ――それは、誰の耳にも真実味を持って響いていた。
そして、壇上に立った常磐に、静寂が訪れた。
彼は視線を上げた。目の前には、幹部たちの列。誰もが冷静に彼を見つめていた。
彼は開口一番、言った。
「――私は、法橋の人格を乗っ取った常磐学です!」
ざわめきが、瞬時に会場を包んだ。
「夜燈紡とともに、今回の件の薬物を開発した男です!」
幹部たちの顔が一瞬にして強張った。井原は目を細め、わずかに身を乗り出した。緊張が、会場全体を押し潰さんとするように濃くなっていき、銃を構えるものまで現れた。だが、その銃が常磐に打たれる間もなかった。
常磐の声が大広間の天井に反響し、その余韻が静寂を引き裂いた瞬間、ドンっと乾いた破裂音とともに、常磐の胸元が吹き飛んだ。
血と肉片が宙に舞い、近くにいた幹部の頬やシャツに飛び散った。礼服の胸は見るも無惨に裂け、骨すらも砕けた空洞が、そこにはあった。
「っ――!!」
誰かが叫び、誰かが銃を抜いた。怒号と驚愕と、本能的な恐怖が空気を揺らした。会場は一気に騒然となった。
だが、誰ひとり、壇上に倒れた常磐に近づこうとはしなかった。
彼のまわりには、静けさだけがあった。人の気配のないその空間は、まるで死そのものが生んだ結界のように常磐には感じられた。
床に横たわる常磐は、うつ伏せに倒れた身体を、かすかに起こそうとした。指先が震え、唇から血がこぼれた。
孤独だった。誰も駆け寄っては来ない。罪人に化された罰だと、常磐は思った。
彼の全人生は、いまこの瞬間のためにあったのか。そう思えば、皮肉にも、こみ上げてくるものがあった。
「……はは」
乾いた、から笑いが口から漏れた。
せめて、最後に、妻に看取られたかったな。
それが、胸に浮かんだ最後の願いだった。
視界がぼやけていく中、常磐は自分のマイクがまだ機能していることを、ただ願った。
そして、最後の力を振り絞って、血の滲む唇を震わせた。
「お前の思い通りにはいかないぞ……夜燈……!」
その声がどこまで届いたのか、誰の耳に入ったのか、もう彼にはわからなかった。
「これで…啓太のところに…」
そう呟いた次の瞬間、常磐の身体は完全に力を失い、動かなくなった。
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