幽霊と少年と少女


 スファレは夕方の川辺を黙って散歩していた。サーも黙ったままだ。

 突然、道の先に、ぬっと白いぶよぶよした妖怪が姿を現した。

 妖怪は怨念を持っていない。幽霊は怨念や後悔、未練を持っていて、人の形をしていることが多い。

「ねえ! ちょっと!」

 少女の声高い叫びが聞こえる。スファレは溜め息を吐いてジャケットのフードを被り直した。

 人間は嫌いだ。面倒臭いうえに、頭が固い。妖怪の進路に高校生らしい制服を着た少女が飛び出した。強気そうに腰に手を当てている。

「聞こえてるんでしょ! 探偵の居場所を教えなさい! 幽霊の見える探偵よ!」

 ……へえ。

「名前、教えて、くれたら、いいよ」

「な、名前? い、いいわよ!私はき——」

「やめとけ!」

 ぶよぶよをサーが取り込んだ。

「……余計な事を……」

 ぶよぶよが崩壊するように液体状になり、サーの手のひらに吸い込まれていく。

 少女は目を丸くしている。

「サー……助けなくてよかったのに」

「あのなぁ⁉︎ お前、会話聞いてただろうが! 可愛いお嬢さんを助けないなんて紳士として……いや、人間としておかしいだろ! こんな常識を幽霊に言わせるな!」

「……立ち聞きは感心しないね」

「貴重な客を迎えないなんて、怪異探偵の名が廃れるな、スファレ‼︎」

 勝ち誇った表情でサーがスファレを見下ろす。

「サー……」

「あっ、貴方が幽霊が見える探偵ねっ! 意外に同い年ぐらいなのね。高校は通ってるの? どこに事務所があるの? 私の依頼を受けてくれる?」

 きびすを返そうとしたスファレをサーは捕まえて、

「内容によるぞ。金額もな。事務所で話を聞こう。いいよな、スファレ」

 スファレは仕方なく頷く。

「……いいけど、この世ならざる者に名を教えてはいけない。話しかけるのもやめてほしい」

 気圧されたように少女は頷いた。

「う、うん。でも、貴方達には言っていいわよね」

「まあ……話していいと思うなら」

「私は貴船よ。貴船想葉香きぶねそよか。よろしくね、探偵くん」

「……どうも。僕はスファレ。スファレライト。こっちはサー。サーペンティ。あ、これは偽名」

「偽名……」


 土手を上がり、事務所へとんぼ返りする。貴船想葉香は道中、たくさん質問をして来た。

「今何歳?」

「誕生日は? 私は九月なの」

「学校はどこに行ってるの?」

「ご両親は? 兄弟姉妹は? 私は一人っ子」

「習い事はしてるの?」

「幽霊は怖くない? 私はちょっと怖いな。急ににゅっと出てきた時、びっくりする」

「一人暮らし? 私はまださせてもらえないのよねー」

「スファレって呼んでいい?」

「どうやって幽霊を退治するの?」

「どんな依頼を受けるの?」

「幽霊さんもサーって呼んでいい?」

 スファレは返事をしなかった。サーが勝手に答えている。サーには漢字が読めないので、ほとんどの個人情報は知られていないが、念押しをしておかないとまずいかもしれない。

「……ちょっと、サー。個人情報の類いは言わないでよ」

「なんでだよ? 別にいいじゃないか」

「不審者に教えてやりたくない」

「へーへー。気分悪くするなよ、貴船。こいつはいっつもこんな感じだから。人間に対してガードが高い、みたいな?」

「へー。なんで?」

「……」

 スファレは階段を登っていく。ちょっと遅れて想葉香がぴょんぴょん跳ねて付いている。スファレはドアを開けて中に滑り込んだ。貴船もドアを開けて中に入って来る。

「サー。お菓子」

「ラジャー。貴船、希望は?」

「うーん、ラスクとか、西洋系のがいいな!」

「オッケー。確かラスクはいくつかあったし……クッキーの類いも……」

 サーが奥に消えたのを見届けてから、スファレは貴船をソファに座らせた。


「それで、依頼内容は?」

「私のパパに幽霊がいるって知らしめてほしいの! それで、喧嘩をやめさせてほしいの。私、最近幽霊が見えるようになって……。ママ、私を庇ってるせいでパパに無視されてるの」

「……残念ですが、うちではなく他を当たっていただいた方がよろしいようです。では、お帰りください」

 スファレは溜め息を殺して丁寧に頭を下げてみる。焦った声が言うより先に立ち上がった。

「ちょ、ちょっと待ってよ!」

「お帰りください」

 スファレは事務所から出た。サーが困ったようにこちらを窓越しに見ていた。スファレは滑らかに視線をずらした。

「仲直りしたいなら、君が一言、勘違いだったって嘘を吐けばいいじゃないか」

 これだから人間は、意味が分からない。




 あたしは窓に手を当てたまま、背後を振り返った。想葉香はカンカンだ。

「なんなの! すっごく自己中心的じゃない!」

「あ、あたしでよかったら何か手伝おうか? こう……ポルターガイスト?とか、足首掴むとか?」

「え、えっ! いいの⁉︎ ありがとう、サー!」

 貴船はあたしに抱きつこうとした。が、触れられない。貴船があたしを通り抜けてしまうのだ。蹌踉けた彼女を支えることも出来ず、サーは声をかけた。

「大丈夫か? 貴船」

「う、うん。想葉香でいいよ……。私が変なのを見たって言うせいでパパとママがずっと喧嘩してるの。冷戦? みたいな感じなんだけど。パパがママを無視してるんだよね。ママは私の味方。まあ、パパ、最近は私とも関わってくれないんだけど……。この険悪さ、やめてほしいんだよね。だって、家族なんだから本心から愛してほしいじゃん? 気持ちよく過ごしたいし」

「そうだね。まあ、一つスファレを擁護するとしたら……スファレは孤児院出身だ」

「え、」

 サーは頭を掻いた。

「それでもあいつが悪い。言わなかった上に、あんな態度で最低だわ。気にすんなよ」

 想葉香はドアを振り返って凝視している。あたしは視線を逸らした。




 スファレはぶらぶらと街を進んでいく。きっと貴船からの依頼はサーが独自に受けるのだろう。

 サーはきっと、両親がいることに嫉妬して断ったのだと思っているだろうけど、スファレには両親に愛されてたいという気持ちや、両親を納得させる方法は分からない。だから何もできない。それで断った。


 スファレは溜め息を吐いた。

 冬へ降下していく気温の中、制服姿の高校生の二人組とすれ違う。普通なら、友達などと青春を堪能しているべきなのだろう。常識だと理解はしていても、スファレはくだらないと思っていた。

(友達に合わせて遊びにいくなんて反吐が出る……)

 自然と人がいない方へと足が向く。所在無げに飛ぶ、仲間に独り残された、最後の生き残りの赤いトンボが木の枝に留まった。

「スファレー! おいこらー! 待てったらー‼︎ 」

 貴船の声が背後から聞こえてきた。

 スファレは脇目も振らずに駆け出した。山間からの視線が刺さる。スファレはそいつを手招いた。

「おい、お前。取引しないか?」

「……何を、くれる? 何を、恵んでくれる?」

 小鳥のように高い声が子供のような調子で聞こえてくる。それは滑らかに山との境界を横に移動してくる。

「鳥の生肉」

「……牛がいい」

「鳥と豚は? 量はこのぐらい」

 サーのアドバイスで持っていた、生肉のパック計三パックを取り出して見せつける。豚が二パックだ。

「……いいよ。おれ、何する? それと、証拠に前払いして」

 山に一層近づいている。見せびらかしていた、鳥の生肉を半分ほどそいつに放った。ぬっと木々の間から頭が覗く。何かの口が肉を飲み込んだ。そいつは犬か狼……いや、狐のような見た目だった。体毛はクリーム色で、目は紅玉を嵌め込んだかのように朱い。

「これだけの、つもり?」

「完遂できたら残りをやる。今の量の五倍以上だ。お前の家はどこ?」

「この山の、反対側」

「よし。そこまで乗せていって一晩泊めてくれ。そしたら、今あげた肉の五倍は食える。どうだ?」

「お安い、ご用意」

 大きな狐が飛び出してきた。後ろから驚きからくる悲鳴が聞こえた。想葉香のものだろう。スファレは狐の毛を掴んで跨った。

「飛べ」

「あ、待てぇー‼︎」

 想葉香が立ち止まって叫ぶ。サーが呆れたようにこちらを見上げていた。

 妖怪と幽霊は交わらない。互いに忌み嫌う存在なのだ。彼女はスファレを追えない。

「君の事、狐って呼ぶね」

「いいよ。人の子。幽霊の、匂いする」

「襲わなくていいよ。君の方が強い」

 こん、と狐は鳴いた。嬉しそうな様子だ。

「強い。狐、強い。幽霊より。大丈夫、人の子。人の子、安全。だから、肉、失くすな。約束。破ったら、殺す」

「うん。よろしくね」




 「妖怪と会話するなって言ったの誰よーっ‼︎」

 想葉香が叫ぶ。あたしはすっかり取りなす役目だ。

「あれは期間限定の調伏だよ。報酬をあげて利益を得るんだ。すごく危険なんだが、上手くやったな。あのガキ」

「どうにかできないの?」

「妖怪と幽霊は敵同士だ。……今のあたしじゃ、無理だな。で? ご両親を驚かせるんだろ。あんなやつ、忘れちゃえ」

「そーだけど……せっかく人が謝ってやろうっていうのにぃ」

 想葉香は年相応に頬を膨らませた。

「なんか、ごめん。あんなやつで」

「別に、大丈夫。なんか、幻滅してもうどうでもいいやって感じ。ありがとう、サー。大作戦は明日でもいい? 土曜日だから」

 想葉香はにこっと笑った。あたしも笑い返す。

「了解」

「じゃあ明日、迎えに行くよ!」

「よろしく、想葉香」




「マンションなんだな」

「まあね」

 想葉香は沈んだ声で言う。

「ママとパパ、喧嘩してるから、結構家汚いんだ。許してね」

「全然大丈夫だ!」

 想葉香は少し笑った。そして、緊張した面持ちで鍵を開ける。

「ただいま……」

 そろっと想葉香は扉を開ける。

 奥にいた母親が顔を上げた。

「ああ、おかえりそよちゃん……」

 髪がほつれ、げっそりと痩せこけた母親は、それこそ——。

「ただいまー。……ママ、幽霊みたいでしょ。やつれちゃってさ」

 想葉香は引き攣った笑顔を浮かべる。

 彼女はサーを自室に招き入れた。

「……なぁ、想葉香、」

「お父さん、帰ってきてないし、びっくりさせるのは夜になっちゃうかも。それでいい?」

「ああ、いい、けど」

 想葉香は、悲しそうに顔を伏せる。

「ずっと、こんな感じなの。パパはママを無視するし、幽霊なんかいないって怒鳴るし」

「想葉……」

「酷いよね! ママだって、離婚していいと思うんだよ。……ほんとはして欲しくないけど」

 サーは、思わず黙りこくった。

「あ、今玄関開いたよね⁉︎」

 想葉香は忙しなく部屋を飛び出す。そこで、立ち止まった。

「だ……誰……?」



 家族。

 それがいいものなのか、悪いものなのか、僕にはさっぱり分からない。


 スファレは夕闇に沈む街を歩いていた。

 狐はスファレを約束通り一晩泊め、肉を食い、序にスファレを喰おうとした。

 スファレは難なく逃げ切れた。……が、現在地がパッと分からない。

 粗雑に巻いた包帯が少しうざったい。


 と、突然街から悲鳴が上がった。


 一人の少女がマンションのエントランスから転びそうになりながら駆け出してくる。それを追って走ってくるのは、おそらく彼女の母親だろう。酷く痩せこけている。

「あっ、ス、スファレ! 聞いて! パパが、ママなんか居ないって……! 居るよね⁉︎ ほら、ここ‼︎ 居るよねぇ⁉︎」

 サーと、想葉香の父親らしき人物、数人の白衣を着た医者。

 怒声。

「こら、想葉香! 少年が困っているだろう!」

 確かに、縋りつかれてるせいで、周りの好奇の目が痛い。

「ねえ! お願いスファレ、私、嘘なんて吐いてないよね⁉︎ ママ、ここにいるじゃん……‼︎」

 スファレは、泣きそうな顔をしてこちらを見ている母親に目を遣って、ゆっくりと言葉を放った。

「それは、半分だけ正解だ」


 スファレは極めて冷静に、場所を変えることを促した。



 散らかった部屋の中、スファレは全員の視線を集めていた。

「まず、想葉香」

 少女は肩を飛び上がらせる。

「君の母親は死んで、幽霊となってそこにいる」

「え」

 サーを除いた、その場の全員が唖然としている。

「ちょっと、君、幽霊なんて」

「お耳を貸してください」

 ショックを受けている様子の想葉香の横で、医者にも聞こえるよう、スファレは方便を述べた。

「想葉香さんは幽霊を信じてる。なら対話のためには想葉香さんが見ている現実に寄り添ってあげる必要がある。それは、分かってくださいますか」

 医者は皆揃って頷き、父親も渋々頷いた。

「じゃあ、話を戻そう。君は母の死を受け止められず、過度のストレスにより、幽霊が見えるようになった。君の母親は、君の精神状態をとても心配して、だいぶ体調が悪そうだ。君は、もう少し落ち着く必要があると思うよ。まず、幽霊と生者の見分けをつけようか」

 スファレは唇を舐める。

「まず、幽霊の多くはそんなに喋らない。支離滅裂な言葉を放っていることもる。それから、輪郭が微妙に揺らいで見えないかな。死者と生者は別次元にいるからね」

「あ……た、確かに……」

 想葉香はサーとスファレ、母と父を見比べる。

「ね? 君が成人するまで、多分君のお母さんはそばにいてくれる。でも、それで騒いじゃいけないよ?」

「は、はい……」

 スファレは立ち上がった。

「僕の講義はこれで終わりだ。様子を見るなり、その精神科医に診せるなり、なんとでもすればいい。僕はこれで降りる。じゃあ」

 居間の扉の前まで進んで、スファレは振り返った。

「どんなに辛くとも、目を抉るなんてことするなよ。自殺なんてもってのほかだ。全て、君の母上は見てるんだからな」

 父母の仲を案じたなら、間違っても自殺なんかしてはいけない。

「以前、僕が会った急に霊視できるようになった少女は、気が触れてそのまま窓から身を投げた。……君は、そんなことするなよ」




「最後の台詞、要らなかったんじゃないか?」

「まあ、我ながら蛇足だったけど。……母が死んでるって聞かされても、ちゃんと僕の言葉を聞いた。なら、相当心は強いはずなんだ。……ただ、こんなことになっちゃうぐらい、母が好きだったんだろうね。悪魔祓いとか、除霊に関しては将来有望だよ」

「そんなに強い心の持ち主なら、自殺を踏み止まれるって?」

「まあね。あと、親父さんへの忠告」

 ラスクって美味しいの?と、スファレは問いかけてくる。

「まあそうなんじゃ……って、これは全部、想葉香のだ!」

「あの子は、多分もう来ないよ」


 そして、その言葉通りになった。


 医者の助言もあったらしく、想葉香たちはあっという間に引っ越して行った。別れの挨拶もなく。


 でも、想葉香は彼らが最後に挨拶に来てくれたことを知っている。

 いつの間にか荷物に紛れ込んだ、安っぽいラスク。

 基本的に、幽霊は何かに取り憑いていない限り、物を大きく動かすことはできない。悪霊ならまだしも。

 焼き付け刀の知識が、初めて役に立った。

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