幽霊の懊悩事件簿
深水彗蓮
幽霊の愛情
ヨーロッパの、ある街の山に、屋敷が建っていた。
人は住んでいないのに、庭は掃き清められ、花壇は美しく整備されている。だが、蔦が屋敷を覆っていて、窓も割れている。そのちぐはぐな家の側の湖には、時折、死体が浮かぶ。深雪に包まれ、入るのが困難な時期にさえ、人が浮く。そして、屋敷の前から引き摺られたような血の跡が残っているのだ。
そこは、いつしか死の家と呼ばれている。そのうち、山は立ち入り禁止になった。
だが、ある日、そこに少年が人々を先導して分け入っていった。
(
猟師は、先を身軽に歩いていく少年の背を見つめる。ふわふわ揺れながら、時折木の根に躓く。
(
少年がすっと山の上を見上げた。
……その方向には、例の館がある。
少年は暫くその方向を見つめ、そして——。
(
ママ、聞いて。マリーね、ちゃんとお家を守ってるんだよ。
入ってくる人をね、びっくりさせてね、追い払ってるの。すごいでしょ?
ママがマリーを愛しに帰ってきてくれるまで、マリーはお家を守るからね。約束するよ。
マリーとママのお家はね、山の上に建ってるの。小さいお城みたいなんだよ。マリーのママはね、お外に出て行ってなかなか帰って来ない事がしょっちゅうなんだ。そうそう、マリーには、パパとか、兄弟姉妹はいないんだよ。ママはね、すっごく怖いのよ。でもね、マリーが悪いの。
ママはね、最後の日にマリーを二階から突き落として、屋根裏部屋に押し込めちゃったきりなの。
そのままママは出て行っちゃってね、マリーはママが帰ってくるのを、ずーっと、ずーっと待ってるの。
ある日ね、男の人が二人お家に入ってきたの。マリーは怒ってね、
「ここはマリーとママの家!」
って言ってね、家中を走り回って、ドアをバタバタさせてね、階段を飛び回って、クローゼットを開け閉めしたりしたの。ちょっと煩いんだけどね。
もちろん、ちゃんと男の人達は慌てて逃げだしたよ。懐中電灯を取り落としてね。可哀想に。マリーは懐中電灯を渡してあげようと思ったの。
でもね、男の人達が逃げたのが一番奥の部屋だったから、マリーはかんかんに怒ってね、マリーとママの家から出ていけ、って壁一面に書いてあげたの。もちろん、床や天井にもね。謝るから叱らないでよ、ママ。ここからが本番。本当に面白いんだから。
「わあっ‼︎」
「ぎゃああ‼︎」
って悲鳴をあげてね、男の人たち、逃げてったの。大人なのにね、何度も転びながら自分の影や相手に驚いて逃げていくの。壁に何回もぶつかるしね。夜の蛾がランプにぶつかるときみたいなのよ。馬鹿みたい。ねえ、こんなに面白いんだから、ママは帰ってきてくれるよね?
二回目はね、お金持ちそうな女の人と男の人と、普通の男の人がやって来たの。最初の時みたいに、すぐに追い返したらつまんないでしょ? だからね、マリーは考えたの。偉いでしょ? 感心したら褒めてね、ママ。
それでね、三人がね、歩いて行く先々で、小さないたずらをしたの。まずね、お金持ちそうな男の人の鞄に入ってたね、財布を盗んだの。大騒ぎしたんだけどね、鞄の中に途中で戻してあげたからね、恥ずかしそうにしてたんだよ。
「失礼」
とか、かしこまって言ってね。笑えるでしょ? すっごくかっこ悪いのにね。
それでね、次はね、女の人のポーチを開けるの。閉められたらね、また開けるの。ずーっと繰り返すんだよ。頑張ってちゃんと待つんだよ。ようやくね、女の人が叫び出したの。
「この家、何か居るわ!」
声を裏返して叫ぶんだもの、すっごく面白いの。普通の男の人が怯えたみたいにしながらね、
「そ、そんな訳ないですよ、ミズ・ローズ。前に住んでいた人は普通にしていたんですから。死んだ人も居ませんし。少々黴臭い《かびくさい》のが難ですが、改築などで十分綺麗になります」
マリーとママの家にそんな縁起の悪いことを言うなんて、イライラするでしょ?だからね、その人の頭の上に生きたゴキブリをいっぱい乗せてやったの。ふふ、今でも笑っちゃうな。
「うわあぁぁ‼︎ ゴ、ゴキブリっ‼︎」
って叫んで頭を払うから、髪の毛が飛んでっちゃったの。よく見たらね、あれ、カツラだったの。マリー、あれが一番笑ったんだ。
三人はね、煩く叫びながらお家を出て行ったの。最後まで失礼な人達。ねえ、ママも一緒に驚かせようよ。だから、帰って来てちょうだい?
ある時はね、女の子が来たんだよ。お家を見てね、目を輝かせたの。
「お城みたいで素敵! このお家、いいなぁ」
ってね。ちょっとマリーは嬉しくなってね、特別だよって、お家の中に入れてあげたの。お人形の中に入って女の子と遊んだの。女の子はね、『お人形さんが喋った!』って驚いてたけどね、たくさん遊んでくれたんだよ。
ああ、怒らないでね。続きがあるんだから、ママ。
「このお家に泊まって行きなよ」
ってマリーは言ったの。また遊びたいからね。分かるでしょ? 当たり前だよね。それに、女の子は友達になってくれるって言ったのよ。
「駄目よ。私だってすごくここに居たいけど、私のママとパパはすっごく怖いんだから。また明日来るわ。ごめんね、マリー」
女の子、なんて名前だったかな。ああ、そうだステラ。忌々しい子。
「ステラはマリーのお友達でしょ! マリーにはパパは居ないし、ママは帰って来てないんだから、可哀想でしょ? そう思うよね、ステラだもん。だから、ずーっと、ステラはマリーの側にいてね。居てくれるよね? 友達だもんね?」
ステラは逃げ出したの。悲鳴をあげてね。
さっきまで一緒に遊んでたのに、最低じゃない? 裏切りでしょ? だからね、ステラを捕まえてね、ママがマリーにしたように二階から突き落としたの。
屋根裏部屋には、絶対に行きたくないから、マリーはステラをね、裏の湖に捨てたの。地面と湖は赤く汚くなっちゃったけど、清々したよ。
でも、マリーは独り。だからね、一人ぼっちのマリーのところに帰って来てよ、ママ。お願い。寂しいよ。
帰ってきて帰ってきて帰ってきて帰ってきて帰ってきて帰ってきて帰ってきて帰ってきて帰ってきて帰ってきて帰ってきて帰ってきて帰ってきて帰ってきて帰ってきて帰ってきて帰ってきて帰ってきて帰ってきて帰ってきて帰ってきて帰ってきて帰ってきて帰ってきて帰ってきて帰ってきて帰ってきて帰ってきて帰ってきて帰ってきて帰ってきて帰ってきて帰ってきて帰ってきて帰ってきて帰ってきて帰ってきて帰ってきて帰ってきて帰ってきて帰ってきて帰ってきて帰ってきて帰ってきて帰ってきて帰ってきて帰ってきて帰ってきて帰ってきて帰ってきて帰ってきて帰ってきて帰ってきて帰ってきて帰ってきて帰ってきて帰ってきて帰ってきて帰ってきて帰ってきて帰ってきて帰ってきて帰ってきて帰ってきて帰ってきて帰ってきて帰ってきて帰ってきて帰ってきて帰ってきて帰ってきて帰ってきて帰ってきて帰ってきて帰ってきて帰ってきて帰ってきて帰ってきて帰ってきて帰ってきて帰ってきて帰ってきて帰ってきて帰ってきて帰ってきて帰ってきて帰ってきて帰ってきて帰ってきて帰ってきて帰ってきて
ある雨の日、猟師が来たの。わんちゃんも猟師さんもずぶ濡れでね、マリーは可哀想になってタオルを入り口の側に何枚か置いておいてあげたの。
猟師さんは優しくて正直な人みたいでね、自分より先にわんちゃんを拭いてあげたの。茶色い子と灰色の子。わんちゃんもいい子だったよ。マリーに気づいて、ちょっと怯えたふうにしてたのはがっかりしたけど。
猟師さんが、お礼をしたいってお家に上がって来たの。途端、わんちゃんが吠えて、猟師さんを連れ戻そうとしたの。
「何だよ、お礼を言いに行きたいだけだよ。怖いことはないだろう? 廃墟っぽくて気味が悪いけど、タオルは真新しいんだから、誰か居るかもしれないんだから」
気味が悪いなんて、酷いでしょ? マリーは思わずカッとなってね、猟師さんとわんちゃんをお家に閉じ込めたの。入り口が開かなくってすごく焦ってたな。わんちゃんは怯えながらもマリーに吠えてて、すごく猟師さんに懐いてたんだね。
猟師さんは仕方なくわんちゃんを宥めて家に上がって、出れそうなところを探したの。でも、窓は開かないようにしたし、割れないようにもしたし、出れなくって、二階に来たの。
マリーはステラの時とおんなじように猟師さんを突き落としたの。ステラとは違って地面に叩きつけられた後もびくびく震えててね、生きてるみたいだった。でも、すぐに死んじゃった。
わんちゃん達はね、丁寧に外に出してあげたの。でも、猟師さんの側を離れないの。動かなくなった猟師さんを湖に沈めたらね、わんちゃんが追いかけていくの。猟師さんを沈めたところに泳いで行ってね、必死で潜って探そうとするの。でも、だんだん弱って来て二頭とも死んじゃった。可哀想に。でも、仕方ないよね。マリーのせいじゃないし、何度も湖から出してあげたのに、自分で飛び込んでいくんだもん。
いいな、猟師さん。わんちゃんに愛されてたんだね。ああ、ママ、帰って来て。わんちゃんみたいにマリーをいっぱい愛してちょうだい?
「……君のお母さんは、死んでるんだけどなぁ」
彼はそう言って笑ったの。
彼がお家に入って来たのはね、昨日のことなんだよ。信じられる? ママ。ゴキブリもネズミの死体も投げきったのに、悲鳴を上げるどころか、嬉しそうにしてるし、玄関を閉めたら笑って口笛を吹いたんだよ。すっごくいいことがあった後みたいにね。
「良かった。ちゃんと幽霊がいるんだ」
って。気味が悪いでしょ? すぐに追い出すからね、ママ。だから、人形に入ってね、話しかけてみたの。
「どうして普通にしてられるの? このお家は怖いんだよ。死んじゃうんだよ」
彼は興味を持ったみたいでね、人形のマリーと目を合わせたの。蛇みたいな目だったわ。すごく怖いの、ママ。だって、マリーの方が正しいのよ? なのに、全く気にしてないんだもの。
「何がどう怖いの? 具体的に説明して?」
「この家にいるマリーって子はね、何人も人を殺してるんだよ。嫌がらせ、されたでしょ? 貴方もきっと殺されちゃうよ」
「ふうん。それだけ?」
彼はつまらなさそうに視線を上げちゃったの。でも、ああ、と何か思いついたように笑ってもう一度マリーの入った人形を見たんだよ。
「マリーは何でここに居るのかな?」
この質問なら答えられるよ。とっても簡単。
「マリーはね、このお家から出て行ったママをずっと待ってるんだよ。帰ってきたママに愛してもらえるように、家に入ってくる人は追い出したり殺したりしてきたの。ママはね、マリーがいい子じゃなくて、お手伝いとかをあんまりしなかったからマリーを愛してくれなかったと思うの。二階から突き落として屋根裏部屋に閉じ込めてそれっきりだもの。でもほら、いい子にしてるって知ったら、帰って来て今度こそ愛してくれるでしょ? だから、お家を守ってずーっと待ってるの。健気でしょ?愛されないと苦しいの。愛されないと寂しいの」
「優しいママに心から愛してほしいのかな?」
くす、と彼は笑った。くすくす、くすくす、ずっと笑ってるの。気味が悪いって思ったのは、ママが出て行ってから一回もなかったのに、マリーはすっごく気持ち悪くなっちゃったの。嫌な感じ。
「あー、苦しい。こんなに愉快で幼稚で狂った幽霊は久しぶりだよ! 楽しめそうだね、サー!」
彼はそう言って咳き込んだの。とびっきり楽しそうにね。マリーはびっくりして何も言えなくなっちゃった。赦してね、ママ。だって、おかしな人にびっくりしちゃうのは当たり前でしょ?
「この家から住人が居なくなったのが何年前か知ってるかい?」
涙を拭って彼は言うの。マリーはそんなこと知らないし、興味もなかったから、首を横に振った。
……ううん、知りたくなかったの。ママが帰って来てない年月をね。あ、ママを責める訳じゃないんだよ。マリーの気持ちのために、知りたくなかったの。
「そう。じゃあ、予想してみて」
彼は二階へ上がり始めたの。慌ててね、突き落とそうとしたら何かに弾き飛ばされたの。真っ赤な髪の大きな女の人。
怖いよ、ママ。お願い、助けて。
彼はそのまま二階を歩き回ってね、とうとう、屋根裏部屋を開けちゃった。
「ちょっと! 嫌、やめて! 触らないでよ‼︎ マリーの家なの‼︎」
「あ、やっぱ当たりっぽい。サー、よろしくね」
必死で彼を屋根裏部屋から落とそうとするのに、幽霊の怖い顔の女の人がいて弾かれちゃうの。おまけに彼は鼻歌まで歌ってるし、本当に嫌な人達だね。早く追い出すから、早く殺すから、大丈夫だよママ。殺さないで。
「これ、で全部かな」
彼は白いものを透明な
あれ、は……? 知らないよ、マリーは。ママは知ってるのかな。知らない、大丈夫、知らない、分からない、マリーは知らない。知らない知らない知らない……大丈夫。
あれは一体、なんだろうね、ママ。
「さっきの問題の正解は、百三十一年前。君は虐待をする母親に殺された哀れな幽霊。この
彼はまたくすくす笑い出した。
マリーはこれ以上ないほど怒ったよ。だって、全部ママのためにやってきたんだもの。それが無駄だったなんて信じられる? ママに最期まで愛されなくって、これからも愛されないなんて受け入れられると思う? ママがマリーを殺したなんて、信じられる?
今までやってきた嫌がらせを全部再現したよ。思いつく限りもっと増やしてね。
ドアが壊れるほどバタバタさせて、階段が抜け落ちるぐらい飛び跳ねて、シャンデリアを落ちるぐらいぐるぐる回転させて、壁に穴が開くぐらい鞭を打ちつけて、カーテンを高速で開け閉めして、洗面所やお風呂の水をね、真っ赤にしてじゃあじゃあ流して、廊下をどだばだ走り回って、化粧台も棚も全部倒して、血文字で出ていけって書いてね、ゴキブリとネズミを彼に降らせて、それから、小物をありったけ全部ぶつけたの。手鏡も、お皿もスプーンも燭台まで、全部投げたわ。すごいでしょ?
でも、彼はそれでも動じないし、投げたものが女の人に防がれて彼にはぶつからないし。それで彼は、すっごく面白くて仕方なさそうに笑ってるのよ! とっても怖いの、ママ。
マリーが攻撃をやめたらね、お家に反動が来ちゃったの。ごめんなさい、ママ。マリーとママのお家が崩れちゃった。壊れちゃった。無くなっちゃった。でも、仕方ないよね。ママもマリーをこの家に縛りつけたまま逝っちゃって、マリーを裏切ったんだもの。ああ、マリーも壊れちゃいそう。どこかにマリーも逝っちゃうわ。
「ママ……」
彼が見える。いつもの形に戻ったマリーと彼の眼がしっかり合った。
「まさか家を壊すなんて。とんだ悪霊だな……」
「違う、マリーは良い子、いい子にしてるから、ママ……」
彼の手がマリーの髪をぎゅっと乱暴に掴んだ。その時だって彼の口元には笑顔があった。
——でも。
彼の瞳は、笑っていなかった。
「最期の願いの通りの夢をとくとご覧あれ。…… Marie」
ねえ、ママ! マリーを愛して、ママ。一度でいいの。殴らないで、蹴らないで、鞭を使わないで、殺さないで。それから、優しく抱っこして、キスして、買い物に行って、遊んで、ご飯を食べて、お風呂に入って、寝て過ごしたいの。ママ、お願いよ、愛して。普通の愛が欲しいの。
ねえ、そろそろ帰ってきてくれてもいいんじゃないかな、ママ。お腹が空いたよママ。ねえ、ママ。ママ、ママ、ママ、ママ、ママ、ママ、ママ、ママ、ママ。いつになったら帰ってくるの?
目を閉じたら、
「ママ!」
「ほら、買い物に行くんでしょう、
ずっと欲しかった笑顔がようやく向けられたの。ああ、夢みたい! 素敵ね、ママ!
ニッと彼は笑った。一度だけ木々の間を振り返る。
「夢っていいよね。理想通りだったり、恐怖を具現化してくれたりする。さて、あの洋館の幼女殺人鬼は、愛を手に入れてどうするんだろうね。——
「いいのか? あいつはマリーで、あの映画はメアリーだろ? しかもあれはバッドエン……」
「ま、それは人殺しの罰って事で」
彼は崩れ落ちた洋館と依頼人衆を背に、受け取った代金を手にして街へ去っていった。
「愛ねぇ……」
ファイルを閉じてそう呟き、スファレはソファに身を沈めた。ここ最近、目に余るほど怠惰な態度なのであたしはちょっと怒り気味。スファレと一回も視線を合わせない覚悟だ。
先の『洋館のマリー事件』でこっちはかなり疲れたのに、本人だけは平然としているのが憎たらしい。現場が外国だったから観光。事件に関しては挑発のみ。あと、初歩的な謎解き……本当にこれ以外何もしていないんだから、腹が立つのも仕方がない。
「あっ、そう言えば。どうしたんだい、サー? 不機嫌そうだね」
スファレがこちらを振り仰いだ。心から不思議そうにしている。そして、そういえば、ですか。
「今、あんたにサーって呼ばれたくないね、スファレライト」
にっこりとあたしの主人は笑った。どこ吹く風で無駄に綺麗な顔が言う。
「分かったよ、サーペンティ。ああ、こんな時間か。お茶の時間にしようじゃないか。さ、用意してくれ」
「あのさぁ……もう、
「それがどうしたの、サーペンティ? 不都合でもあったかな?」
上機嫌そうにスファレは笑う。あたしらは互いに宝石から取った偽名を名乗っている。恥ずかしながら、スファレが宝石がいい、って言うから。あいつ、あの時ティーンエイジャーだったから、厨二病の勢いでつけただけと思っていたのに、二十過ぎても普通に名乗ってやがる……。
ともかく、本名は互いに知らない。あたしは幽霊なのに、腐れ縁からスファレの守護を担っている。
あたしは結界も張れるし、幽霊に幽霊の力で対抗する事ができる。退治した幽霊の力を取り込む事ができるから、この力は肥大化していくのみだ。
幽霊の能力は生まれつき決まっている。新しく取得はできない。けれど、あたしが幽霊を取り込むとその分の幽霊のエネルギーは得ることができる。
スファレは自身が前に聞いたり見たりした事を相手に見せることが出来る。それが、映画などの映像や本、聞いた話から想像したものであっても。要は、他人から与えられたものだけ相手に見せてやることができる。それ以前に、スファレは幽霊を視れる上、やろうと思えば触れられるし、基本的な攻撃ならできる。それから、幽霊と会話もできる。それをいいことに幽霊を挑発して遊ぶんだから、嫌な坊ちゃんだ。守護者がいるからって安心しているのも気に食わない。それに——。
ちりん、と遠慮がちに扉が開いた。女が不安そうな顔を覗かせている。
女に聞こえないようにスファレは言った。
そう、こいつの嫌な性格は幽霊だけに向く訳じゃない。
「ああ、迷える子羊のご登場だ」
「何故そこで聖書を使う?」
くすりと彼は笑い、女を招き入れた。
「驚いたでしょう、ここは二十四時間営業仕様なんです。と言っても、お客様が緊急の用事をお持ちでなければ迷惑客しか来ないんですけどね。お嬢さんは前者のようだ」
くしゃりと笑って、スファレはおどおどとしている女を、向かい合わせに置いてあるソファに座らせる。
「さて、どういった案件ですか? うーん、そうだな……犬探し、などでしょうか? ゴールデンレトリバー? レオン? 」
びく、と女が震える。おろおろとしながら、どう話したらいいのか思案しているのだろう。スファレはそれを面白そうに、笑いを堪えているんだから、最悪な趣味の持ち主だ。
「ど、どうしてそれを……」
菓子よりも甘くスファレは笑う。一方で、女には見えないように手をひらりひらりと動かしている。
「まあ、探偵の端くれなんでね」
手の意味はどうせ「早く菓子とお茶を用意してこい」だろう。腹が立つったらありゃしない。人間で、探偵だと言うのに、何と言う体たらく。
「……この、詐欺師」
スファレがちらりとこちらを見てソファに座った。あたしは素早く視線を逸らす。目は合っていない。セーフだ。
そう、この坊ちゃんは最低だ。だが、女に憑いている低級霊の言っている事を参考にしているとはいえ、四分の三……いや、半分(だと思い込まないとやっていけない)ぐらいは自分で考えているんだから否めない。
ちなみに、こういう質の霊は思っている事を口に出すしか能がない。言わないほうがいいことまで言う。聞いてるこっちが恥ずかしくなってくるようなことも
「河原、河原に、ずっといるよぉ……真央……レオンは、河原に……河原に探しに行きなよぉ……」
真央がこの女の名前だろう。そして真央が握りしめているスマホのカバーケースに収まっている写真には飼い主と犬が写っている。
そして、河原。裏路地に面したここに何の音も立てず、車やバイクで来ることは無理だ。駅もなく、バスもあまり通らないここでは、真央は自転車、もしくは徒歩で来れるほどの近所の者だろう。そして、近所に河原と言える場所は一つしかない。
殆どレオンは見つかったようなものだ。
「そ、そうなんです。愛犬のレオンを探してほしくて。それでも十時過ぎに来るなんて、酔狂だと思われるかもしれませんけど、あの子、寒がりだから、こんな夜を越せるか、不安で……」
「ええ、よく分かりますよ。不安だったでしょう、これからでも遠慮なく来てくださいね。さて——」
真央が可哀想になりながら、あたしは台所に入る。
もし一流の役者に混じったスファレを演技だけで見つけ出せる奴がいたら、ぜひ事務所に来るお客さんの補助をしてあげてほしい。きっと半分以上の依頼は破綻するだろう。
キッチンに放置された等身大のよくできた人形に憑依し、菓子と茶を用意して応接間に急いで戻る。この事件は秒速で解決しそうだ。だが、動物のこととなると、妙にやる気を出すスファレは、今から出かけるそうだ。……あたしと真央をここに残して。
行く、と言い張る真央にウィンクをして見せ、
「飼い主さんが倒れられたら、レオン君も怖がるでしょう?」
と言って、なんだか怖い笑みを浮かべてスキップしながら出て行った。
あたしが不安そうな真央を宥めなくちゃならないのだろう。おろおろするばかりの真央に、あたしはたわいもない話題を投げかけた——。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます