5-4 トリア編4 レクターは水泳でゴールの直前に足をつくタイプだ
「ああ……けど、良いのか? そんなことしたらお前は間違いなく勘当されるぞ? それでいいのかよ!?」
ザックは友情に厚い奴だ。
私も同じことを思ったが、代わりにそうレクターに詰め寄る。
だがレクターはフフ、と遠い目をして笑った。
普段の彼からは想像もつかないような優し気な表情だ。
「気にすんなよ、それは俺のためでもあるしな」
そういいながら、胸にしまっていたロケットを取り出した。
この距離では見えないが、おそらく家族の肖像画だろう。
「俺が魔力を失ったら、妹……まあ、妾の子なんだけどな……が後を継げるからな。そうすりゃ、あいつも今より幸せに過ごせるだろうからな」
「じゃあ、グロッサは? 兄がいるからって、グロッサは勘当される必要はないだろ?」
だが、グロッサも同じように寂しそうな笑みを浮かべた。
「あたしはさ、正直トリアのことはどうでもいいんだよ。けど……あたしなんかより、トリアのほうがラウルを幸せにできるからな。顔も性格もずっとあたしより上だから」
「すっげーわかるぜ、グロッサ! お前昔から性格悪かったよな!」
「うるせえよ、レクターのバーカ!」
アハハ、と楽しそうに笑う二人。
だがその表情はどこか悲壮感に漂っていた。
「とにかくさ、俺たちの命に価値なんかねーんだよ。そもそもトリアにもラウルにも、あれだけひどい目に遭わせたんだ。貴族からも問題視されていた。……だから、俺たちが人生詰んでも誰も悲しんだりしねーよ。妹もオーバルも、喜んでくれるはずだ」
「そうそう。まあ兄さまはあたしのことが好きだから……ちょっと気の毒だけどね。けど、ラウルのためなら……ま、しょうがないさ。あいつの未来はトリアに託すことにするよ」
そしてレクターは、ふー……と一仕事やり遂げた後にするような息を突いた後、どこか諦観のまじった口調で呟く。
「それにさ。動機はどうあれ、あいつらをいじめてきたのは俺たちだ。……いじめを正当化する理由なんて、あっちゃいけねーんだよ」
彼らの言っていることは正しい。
私は正直、あの二人が消えてくれればいいと思っていた。
……たった今、この瞬間まではだが。
今すぐにでも私は教室に入り、計画の中止を叫びたいと思った。
だが仮に計画を中止させたところで、結局私かラウルのどちらかが犠牲にならないといけない。
そもそも、それ自体今まで『憎まれ役』をやってくれた二人の努力を無にするものだ。
グロッサはそういえば、と言った後レクターに尋ねる。
「ところでさ、レクター? サキュバスは『魔力を持つものしか愛せない』って本当なのか?」
そこは私も気になっていた。
確か古文書にそんな記述はなかったはずだ。
「正直、それは俺の勘だな」
「え?」
「ラウルはいい奴だからな。今のところ、トリアはラウルの『中身』に惚れてると思うよ?」
当たり前だ。
ラウルは優しいし、色々楽しい話をしてくれるし、いつも傍にいてくれた。
ラウルの魔力など、彼の魅力の一面に過ぎない……と、今の私は思っている。
「けどさ、力を持ったら、持たない人間を見下すようになるのは人間の常だからな。そんな場面を山ほど見てきたから、万一ってこともあるからな」
グロッサも納得したような表情を見せた。
「……恋愛感情って、そういうもんだよな。あたしもラウルのことが好きだって分かったの、最近だし。……逆に、突然好きだった奴に冷めることもあるだろうさ」
「その確率を考えりゃ、ラウルの魔力を失わせるわけにはいかないだろ? それにラウルには……立派な魔導士になってほしいからな」
その返答に納得したのか、ザックはうなづいた。
「なるほどな……。つまり『トリアが家を失う』『ラウルが魔力を失う』という2つの選択肢ではない、第三の選択肢をお前たちが犠牲になって提供するってことか……」
「そうだよ、凄いだろ?」
そして、ザックは首を振り、ぽつりと呟く。
「やっぱ、ぶっ壊さなきゃな……」
「え?」
「あ、いや……。なんでもねえよ。まあさ。『後』は任せろよな、レクター」
「……ま、後は頼んだぜ?」
私はそれを聞いて、何も言わずにその場を立ち去った。
(どうして……みんな、私とラウルのために……?)
レクターもグロッサも、今まで私とラウルをいじめていたのは、全部私たちのためだった。
小さいころから『ブス』と噂を吹聴していたのは、私の周りに寄り付くろくでもない連中を遠ざけるため。
ラウルと私をいじめていたのは、私とラウルの距離を近づけるため。
そして私への恨みを煽ったのは……一つは私が彼らから魔力を奪い、破滅させる時の罪悪感を少しでも減らすため。
もう一つは、ラウルが引っ越せるだけの賠償金を合法的に譲渡し、私とラウルの二人が魔導士として世に出られるようにするためだった。
……彼らは、ずっと私とラウルのために、憎まれ役を買って犠牲になるつもりだったのだ。
(これが、私を欺くための方便であれば良かったのに……)
だが、彼らは今日『クルルのおかげで、私がいつもより早く登校出来たこと』を知らないはずだ。
だからそれはありえない。
(ごめん、レクター……グロッサ……私、何も分かってなくて……)
今日はもう授業を受ける気にはなれない。
私は職員に体調不良だと伝えて、帰途についた。
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