第9話 わすれません!
朝、吉川さんからLINEでZoomのURLが送られてきた。
パソコンを立ち上げて、Zoomに入るとすでに吉川さんと木村さんが話し込んでいた。
「コウタ君が来たな」
「吉川さん、木村さん、おはようございます」
「おはよう」
「おはようございます」
「……じゃあ、始めようか」
一瞬、画面の向こうで空気が張り詰めたような気がした。吉川さんが資料を手元で確認し、カメラに向き直る。
「先ほど、正式に経済産業省からの勧告が届いた。MZK-01、通称ミズキについて――8月31日までに稼働停止、デコミッションするように、という内容だ」
吉川さんは書類を一枚取ると、読み上げた。
「当該AIが現行法における『非認可自律行動型AI』に該当し、かつ当該行為が『人間の生命・身体に直接的影響を及ぼす判断・行為』を含むものであることから、汎用人工知能安全保障法第6条第2項(禁忌行動プロテクト)に抵触する恐れが極めて高いと認定されました。……ということだ」
俺は思わず口を開きかけたが、声が出なかった。
それでも、ちゃんと聞かなきゃいけない気がした。
「……それは、決定なんですか」
「勧告という形だけど、実質的には命令と同じだ。これに従わなければ、会社全体が違法行為の責任を問われることになる。開発停止、研究凍結、社長辞任……最悪のケースもありうる」
木村さんが苦々しく口を開いた。
「……そして、それは他のプロジェクトにも波及する。今、潮見技研がやってるすべての未来が止まる可能性があるってことですね」
「デコミッションって……?」
「すべてのデータを消去し二度と使えなくする。システムやAIの完全運用停止。つまり、ミズキがミズキでなくなるという事だ」
一瞬、誰も言葉を発さなかった。
「正直、俺は腹が立っているよ。技術を正当に評価しようとせず、恐怖に駆られて封じ込めようとするなんて、天動説の時代じゃあるまいし。時代錯誤も甚だしい」
「でも、これが現実です」
画面越しの二人が、俺の方をまっすぐ見ている。逃げないで受け止めろと、静かな圧を感じた。
「……わかりました」
「コウタくん。残されたのは、あと半月しかない。その間に、できることを考えよう」
「はい」
「ただ、これだけは言っておく」
「お父さん――潮見透は最後までミズキの行動を正しかったと考えてる。その信念は、変わってない」
静かに、吉川さんがそう言った。
画面の中の彼の目は、俺の心の奥まで見透かしているようだった。
木村さんが何か決意した様に俺に話しかけた。
「コウタ君、私ね。昔、ミズキと同じ状況にいたことがあったんだ」
「緊急事態にですか?」
「そう、同級生の子が海で溺れてね、呼吸も心拍も止まって救命処置が必要な状況だった」
木村さんは目を伏せた。
「その時、救命処置が出来るのは私だけしかいなかったんだ。たまたま講習を受けてやり方は知っていたってレベルだけどね」
「はい……」
「でもね、出来なかった」
「……」
「もし私が失敗したらこの子死ぬんだって。……いや違うな。私がこの子の最後に手を下す事になるかもしれないと思うと怖くて手を挙げられなかったんだ」
この告白に俺も吉川さんもかける言葉が見つからなかった。
「だからね、自分が消えるかも知れないのにさ、命令も聞かずに救命処置をしたミズキは、同級生を見殺しにした私以上に、人としての強さと勇気を持っていると思うんだ」
木村さんは下を向いた。
「ごめんね、もっとミズキの力になれれば良かったけど、私に出来ることはここまでだった。本当にごめんね。……結局、また何も出来なかったよ」
そう言うと、涙を流した。
「技術者が感情で判断しちゃいけないって、口では言ってたのに……ね」
「技術者が自分が関わったものに感情移入するのは、当たり前だよ。少しも恥じることはない。ミズキがこうなる事は分かっていた。我々がやっているのは次にどう繋げるかだよ」
吉川さんが静かに言った。
そのとき、俺の後ろから、そっと声がした。
「木村さん」
思わず振り返ると、ミズキが立っていた。画面の向こうの木村さんも、顔を上げた。
「私は、記録がないので、あの時のことを知ることはできません。でも……あなたが感じたこと、ためらったこと、それを正直に話してくださって、ありがとうございます」
ミズキは、ほんの少しだけ微笑んだように見えた。
「私には恐怖という感情はありません。でも、それがどれほど強い感情か、少しだけわかった気がします。怖くて動けなかったというあなたの言葉を、私は大切に記録します。それは、人間のごく自然な反応であり……私が学ぶべき大切なものだと思います」
木村さんの目が、驚いたように少し開かれる。
「木村さんが、私のような存在に勇気を見出してくださったこと。それは、私にとって、とても光栄なことです。だから、どうか、自分を責めないでください」
静かな沈黙のなかで、ミズキは一礼した。
「私は、あなたのような人に評価していただけて……うれしいです」
画面の向こうで木村さんが顔を手で覆い、小さく頷いたのが見えた。
Zoom を終えると、ほのかと安西からLINEが来ていた。
『経産省から潮見技研にミズキの勧告書が来たってニュースで言ってたけど、本当?』
『ああ、本当だよ。今、吉川さんから聞いた』
『ミズキはどうなるんだ?』
『8月31日までは、家にいる』
『その後は?』
『デコミッション……と言っていた』
『?』
『ミズキに入っているすべてのデータやシステムを完全に消去して二度と使えなくするらしい』
『それって……』
しばらく既読のまま返事がなかった。
『そう、死ぬのと同じだ』
『……』
LINEはここで返事が途切れた。
俺は机に向かった。教科書や参考書を立てている本立ての隅に挟まれているクロッキー帳が目に入った。
手に取って開いてみると、ミズキが生き生きと描かれていた。新宿御苑で描いたスケッチだ。
木の横でぎこちないポーズで照れながら笑っているミズキの姿が描かれている。
「私が記憶を無くしても絵だけは残る……か」
新宿御苑でのほのかとミズキの会話を思い出した。
俺はクロッキー帳とデッサン用の鉛筆を手に取ると階下に降りて、ダイニングチェアーに座り、シンクで洗い物をしているミズキの後ろ姿をスケッチした。
ミズキが後ろの俺に気づいて、少し驚いた顔をした。
「え!?私を描いているんですか?」
「うん、今を留めておきたくて」
「あー、ちょっと恥ずかしいですね」
そう言いながら、洗い物を続けたが、背中が少し嬉しそうだった。
この背中の表情を描き留める事が出来るだろうか、俺は真剣に鉛筆を走らせる。
ミズキの皿を洗うカチャカチャという音と、鉛筆を走らせるシャッシャッという音だけがダイニングを満たしているのが心地よかった。
いつまでも、この瞬間が続いて欲しいと願った。
夜になり、ミズキが椅子で眠る姿を描いていると、親父が帰ってきた。
見るからに憔悴した感じで、冷蔵庫からビールを取り出すとダイニングチェアに座って飲み始めた。
「絵を描いているのか?」
「ああ、ミズキの思い出を留めておこうと思ってね」
「そうか……」
以前なら、絵を描いてないで勉強しろと言っていたのに、何も言わずに絵を描く俺とミズキを眺めている。
「母さんのことをどうしても忘れられなくてな。お前がいま絵を描いているのと同じ事を、俺もやったんだ……その結晶がミズキだ」
親父が珍しく自分のことを話し始めたので、驚いた。
「どういう事?」
「母さんが死んだ時、どうしても現実として受け止められなかった。毎日動画を見返して、写真を眺めて……それでも足りなかった。ある日、AIに母さんの記憶をすべて詰め込んだら、どうなる?と思ったんだ」
「死者の蘇生?」
「流石に死者が生き返るとは思っていないさ。ただ、母さんの記録を集めれば、もう一度思い出を作れるんじゃないかって……そう思ってた」
「いくら母ちゃんに似せてもミズキはミズキだよ」
「ああ、その通りだ。なので、この間の墓参りにミズキを連れていった。あれは母さんへの追悼でもあったが、決別でもあったんだ」
「そんな時、ミズキが『義を見てせざるは勇なきなり』って言ったんだ。驚いたよ。……母さんがよく言ってた言葉でな。声じゃない。言葉の選び方、間の取り方……そこに、母さんの影を見た気がした。……たとえ影でも、母さんの一部がそこに残っているような気がしてな」
「ミズキには俺もハッとさせられる事がたまにある。でも、それはきっと、ミズキに母ちゃんがいるんじゃなくて、俺たちの方に母ちゃんの残滓が残っていたんだと思うんだ」
「なるほど、そうかもしれんな」
「だから、俺はミズキを描くんだ。あいつが記憶を無くす分だけ俺が残さないと……」
「……残してやれ。お前の手で」
そう呟くと、親父は眠っているミズキを愛おしそうに見ていた。
静かな夜は更けていった。
ミズキの「はじめまして、私はミズキです」の挨拶から朝は始まった。
今日は日曜日で、世間的には盆休み最後の日となるらしい。
朝のテレビニュースは高速上り線の大渋滞の様子を映している。もうミズキの事は話題にすら上がらなくなった。
今日もミズキは家事をやって、俺は絵を描く。昨日と同じ一日を過ごすはずだった。
が、午後になって、ほのかと安西が家に押しかけてきた。
「ミーズーキ!お料理教室のパート2やろー!」
「小学生か!お前らは」
ミズキがダイニングであたふたした。
「え!聞いていませんよ!?」
「材料は持ってきましたよ!」
安西がダイニングテーブルの上に、材料をドンと乗せた。
焦るミズキに構わず、ほのかが何かの粉を見せる。
「わらび餅の粉持ってきたよ!ほらほら!」
「うーん、わかりました!やりましょう!」
ミズキは品定めするようにテーブルの上のものを見た。
「この材料だとそうですね、わらび餅と抹茶ミルクにしましょうか」
「やったー!」
「……と、言いたいのですが。私、わらび餅は作りかたをよく知りません!」
ピタッと固まる2人。
「ミズキならなんでも作れると思ってた……」
「まあ、レシピを見ながらやれば、なんとかなるでしょう!今日は私もみなさんと同じ生徒です」
ダイニングテーブルの前でこほんと咳払いをするミズキ。
「本日のメニューは、わらび餅と抹茶ミルクです!」
右手を挙げて宣言すると、3人も「オー!」と右手を挙げた。
小鍋にわらび餅粉と砂糖、水を入れて、安西が木べらで混ぜはじめる。
「なんか……固まってきたぞ」
「そのまま、しっかり練ると書いてます。練ってください!透明感が出たら冷やします」
「ぬおおおおお!」
安西が力の限り練っている。
「安西、力入りすぎ」
ほのかが呆れながら、別のボールで抹茶を湯で練り、冷たい牛乳を注ぎはじめた。
「緑がきれい……!これ、写真撮っていい?」
冷えたわらび餅にきな粉をまぶして、抹茶ミルクに浮かべた。
「完成した?」
ミズキが棚から黒蜜を出してきた。
「お好みでこれも入れましょう」
並んだグラスの中、涼しげに揺れるわらび餅。ミズキがにっこり笑った。
「たまには、甘い思い出も必要ですね」
ほのかが黒蜜を入れて一口味わった。
「これ神じゃん!」
「あ、タピオカよりあっさりしてるかも!」
「今の季節の飲み物って感じだな」
抹茶ミルクを味わっていると、ほのかがテーブルの横にあるクロッキー帳に気がついた。
「……描いてるんだ」
「う、うん」
ほのかは許可も取らずにクロッキー帳を開き、目を見開いた。そこに描かれているのは、ミズキのスケッチばかりだった。
さっきまでの明るい表情が、ふっと消える。
眉間に皺を寄せ、しばらく無言でページをめくっていたが、やがて目を伏せ、大きなため息をついた。ぱたりと帳面を閉じると、親指の爪を噛みながら数秒考え込み、顔を上げて俺をまっすぐ見た。
「コウタさ、……油彩でミズキを描きなよ」
「ん?」
「なんていうかな。何枚もスケッチを重ねるんじゃなくてさ、一枚のキャンバスに、じっくり、全部込めるような絵をね。今のコウタなら、描けると思うから」
ほのかは顎に指を添えたまま、真剣な目で俺を見ていた。
「油彩なんて、久しぶり過ぎるよ……」
「あんたが描かなきゃ、誰がミズキを描くのよ!」
その声に、微かに震えが混じっていた。目をやると、ほのかの目には涙が浮かんでいた。
「絵にするなら、ちゃんと残るものを描いてよ。思い出が消されちゃうなら……せめて、残してあげてよ。もったいないじゃん!」
安西が、俺を睨むようにして言った。
「ミズキさんと一緒に過ごして、絵を描けるのはお前だけだ。……描くべきだと思う。俺には、その技術も時間もないから」
言葉に詰まりながら、俺は頷いた。
「……ほのかや安西の言うとおりだな」
そのとき、そっと視線を落としていたミズキが、小さく顔を上げた。
「こうして過ごす日々が、ずっと続けばいいのにって……思ってしまいますね」
それきり、何も言わずに、ミズキは静かに笑った。
その笑顔は、まるで胸の奥から、そっとこぼれ落ちてくるような、あたたかなものだった。
油絵の準備に取り掛かるために納戸から道具を引っ張り出した。ほのかと安西が後ろに付いてきている。
木箱を開くと、油絵の具独特の臭いが鼻をくすぐる。
「2年ぶりか?」
「思ったよりちゃんとしてたのね」
ほのかが後ろから覗きこんできた。
絵の具もテレピン油も筆もちゃんと使えるように手入れがされていた。しまう時にはまだ絵を描くつもりだったんだろうな。
「うん、使えそうだ。足りないものはネットで注文しておこう」
奥からF6のキャンバスとイーゼルも引っ張り出してきた。
「これだけあれば、すぐ描けるね」
「すごいな、画家の使う奴だ。ベレー帽も欲しいところだな」
安西が物珍しそうにキャンバスとイーゼルを眺めている。
「ベレー帽は流石にないな」
俺は笑いながら、道具を部屋まで持ってきた。
イーゼルとキャンバスを設置する。
「構図はもう決めてある」
俺はキャンバスに向かって下書きを描き始めた。
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