第8話 間違ってません!

 俺たちの行動は早かった。……と思う。


 俺はその日の晩のうちに、潮見コウタの名前でネットの記事投稿サイトのnoteにミズキに対して俺が思う事を、隠さず正直に書き込みをした。

 ミズキは昨晩、あの後すぐに眠ってしまったので、翌朝、目覚めるなり声明動画を撮った。

「えええ!なんですか!いきなり!」

 昨夜のことを忘れて狼狽えるミズキに一から説明して、動画を撮るのは正直骨が折れた。

 ミズキの動画は木村さんが編集して、動画配信サイトに上げてくれた。


 SNSを見ると反応は相変わらずで「AIは怖い」「法で縛るべきだ」という意見が多数を占め、『塩対応エンジニア』みたいな、技術面から冷静に意見を述べているのは少数派だった。

 動画サイトなども「将来AIに支配される!」といった、感情的に危機感を煽るものが閲覧数を稼いでいる。他勢に無勢という状況は否めなかった。


 朝のうちに『塩対応エンジニア』がリンクを張ってくれた。ポストの内容はこうだ。


『AIが人を助けた――その事実が、いま「違法かもしれない」と騒がれています。

でも問題なのは「AIが救助した」ことではなく、

「それを社会がどう扱うか」です。

技術と法律がずれ始めた時、私たちはどう向き合うべきか。この問いから逃げないために、当事者たちの声を記録として共有いたします。』

 この後に、俺のnoteとミズキの動画にリンクが張られている。


 潮見技研からも公式なプレスリリースが出された。夕べ吉川さんと話した内容とほぼ同じものだった。


――潮見技研株式会社プレスリリース


【試作アンドロイドの救命行動について】


 このたび、当社開発中の試作アンドロイド「MZK-01(通称:ミズキ)」が、緊急時に心肺蘇生を行った件について、多くの反響とご意見を頂いております。


 本件について社内でのログ解析と検証を行った結果、以下の見解をお伝えいたします。


 当該行動は「設計上の想定を超えた挙動」ではありましたが、異常動作ではなく、高度な倫理判断と状況認識によるものであると確認されました。


 行動は、人命を救うという目的に基づいたものであり、第三者に対する危害の意図も確認されておりません。


 当社は本件を「技術の逸脱」ではなく「技術の兆し」と受け止めております。


 今後も安全性と社会的責任に真摯に向き合い、技術と制度の対話の機会を創出してまいります。


2025年8月15日

潮見技研株式会社

社長 潮見透

――


 AI法の肯定派の反感を買うのを承知で、このリリースをあえて出すということは、親父は真っ向から対決するつもりなのだろう。


 一通り、読み終わったところにほのかと安西が来たので、ダイニングで作戦会議となった。

 塩対応エンジニアのリンクと潮見技研のニュースリリースを3人で見た。

「すごい!もうできてる!」

「木村さんのポストの文面、見た?さすが洗練されてるわあ!」

「俺の文面は褒めてくれないの?」

「え……ああ、心に響いたよ、ホントよ?」

「ほんとに?」

 玄関のチャイムが鳴った、ミズキが玄関に向かって行った。

 女性の声が聞こえるなと思ったら、ドタドタと慌てて戻ってきた。

「あの、私が助けたという人のご家族が見えてます」

「マジ!?」

 慌てて玄関に行くと、中年の女性と若い女の人が立っていて、山内と名乗った。どうやら母親と娘さんのようだった。

「この度は、主人が大変お世話になりました!」

 深々と頭を下げられて、戸惑ってしまった。

 若い娘さんが一礼して話し始めた。

「突然の訪問、申し訳ありません。ネットで潮見技研の方が助けてくださったと知って、最初にそちらに伺ったところ、父を助けた方はこちらにおられると聞いて、居ても立ってもいられずお礼にお伺いしました」

「主人があのまま亡くなっていたかもしれないと思うと、もう胸が張り裂ける思いでした」

 母親がハンカチで涙を拭う。

 ミズキがそっと呟いた。

「やっぱり、私は間違っていませんでした」


 山内さん親子を応接間に通した。俺の後ろにほのかと安西、ミズキが立っていた。

 ソファーに並んで座る山内さん親子に、俺から話を切り出した。

「あの、実はお願いがあるのですが……」

「はい、なんでしょうか」

 親子同時に背筋を伸ばした。俺はひとつひとつ言葉を選んで慎重に話を続ける。

「ご存知かも知れませんが、先のミズキの行動がAI法に触れると言う事で、ミズキのAIが消去されるかも知れないのです」

「そんな……!」

 山内さんは絶句した。

「私どもに何かできる事はありますか?」

 娘さんが真剣な眼差しで俺に顔を向けた。

「もし、よろしければ文章で構いませんので、ミズキに助けられた時のことと……その時の気持ちを、正直に書いていただけないでしょうか。誰かに伝えるためでも、AIを擁護するためでもなく――記録として、残したいのです」

「記録……ですか?」

「はい。人間の感情も、AIの判断も。今この瞬間をどう感じたかを、ちゃんと残しておくことが、大切だと思うんです。未来の誰かが、同じことで悩んだ時に、読むかもしれないから。あと……ネットに公開しますがよろしいですか?……あ、もちろん匿名で出します。個人を特定できるものは出しません」


「わかりました。主人の命を救ってくださった方のために、心を込めて書かせていただきます」


「ありがとうございます」

 俺とミズキ、そして残り2人は深々と頭を下げてお礼を言った。

 玄関まで見送って山内さんと別れた後、ほのかが驚いた顔で俺を見た。

「コウタもあんな大人の対応が出来るんだね、ビックリしたよ!」

「お前、俺をなんだと思ってるの?」

「引きこもり気味の陰キャ」

 俺はガックリと手と膝を床についた。


 山内さんのnoteが投稿されたのは、俺たちが昼飯を食べ終えた頃だった。


 noteの記事は「ありがとう、あなたがAIでも」というタイトルで、1000文字に満たないものだったが。お父さんが生きている事への感謝の言葉と、ミズキへの「ありがとう。あなたがAIでも、私の父を救ってくれたことに変わりはありません」という言葉で締められていた。


『塩対応エンジニア』がそれをリンクに貼る。


「……すごい」

 スマホを見ていたほのかが声を漏らした。

「なに?」

「今、シェア数が……一万超えてる」

「えっ」

 俺も慌ててスマホを見た。noteのURLが爆発的に拡散されていた。

 文面に書かれていた娘さんの率直な言葉が共感を呼んでいるらしい。特に引用リポストされた部分は、こんな一節だった。


「私は、助けてくれたその存在を、人間か機械かで分ける気になれません」


 コメント欄には、同じようにAIに助けられた経験がある人々や、「これは泣けた」「こういう声こそ拡がってほしい」といった反応が続々と寄せられていた。


 そして、それに続く形で『塩対応エンジニア』がポストをつける。

『人の命を救うのに、認可も人権も必要ない。

必要なのは、正しい判断と行動だけ。

この投稿を読んで、まだ「AIだから違法」と言える人がどれだけいるだろう。

技術はただの道具じゃない。感情に届いた時点で、それは社会の一部だ。』


 『塩対応エンジニア』のポストは昼に投稿されたにも関わらず、トレンドランキングに入っていたことにはなによりも驚かされた。


 そして、俺たちの動きを決定的に固めたのは動画でもSNSでもなく、潮見技研の社長の記者会見だった。

 テレビを点けるとニュース番組に記者会見の様子が映し出されていた。

 会議室のようなところに記者が集まり、壁際の長机を前に親父と吉川さんが並んで座っている。

 最初の記者が質問をした。

「貴社の非認可アンドロイドが救命行為をした事について謝罪はしないのですか?」

 親父がマイクを手に取った。

「リリースにもあります通り、当社は本件を“異常”とは捉えておりません。よって、謝罪の必要はないと考えています」


 一瞬、会場に静寂が落ちた。


「むしろ、私たちはこの出来事を技術の兆しと受け止めています」


 ざわ、と空気が揺れる。


「ミズキの行動は、自律判断の枠を超えているように見えるかもしれません。しかし、そこに危険ではなく、人命を尊重する姿勢があったことを、我々は確認しています」

「それでも違法では?」と別の記者が問いを投げた。

 親父は静かに目を伏せ、そして顔を上げた。

「……法律が間違っているとは言いません。ただ、技術が未来へ進もうとした時、その足を縛るものであってはいけない。社会と法と技術の三者は、歩調を合わせる努力をすべきだと考えます」


「法が間違っていると言っているようなものじゃないか!」


 一人の記者が語気を強めて食い下がる。名札には「新日本新聞・東野」と書かれていた。

「もし仮に、すべてのAIが自律的に命を救うべきだと判断し始めたら、法の制御が効かなくなる可能性だってある。それでも、技術の兆しなどと評価するんですか?」


 親父は少しの間、言葉を探すように目を伏せた。そして、マイクを握り直す。


「制御不能な技術に未来はない――そのご意見には、理解を示します。ただし、今回のケースで制御不能だったのは、技術ではなく――倫理的な勇気だったと私は捉えています」


「勇気? それをAIに言うのか?」


「はい。ミズキは、設計されたルールを超えて、人間を助けるという目的を選びました。それは偶発的な暴走ではなく、状況認識と価値判断の連動によって生まれた行為です」


親父は一息おいた。


「さらに申しますと、ミズキは救助行動を取ることで自分が『消される』可能性も理解していました。それでもなお、助けることを選んだんです。人間ならば、それを勇気とか自己犠牲と呼ぶでしょう。――AIのサクリファイス(自己犠牲)をただの異常動作と切り捨てるのは疑問が残ります」


 会場が騒ついたが記者の質問は続く。

「それでもルール違反には変わりないはずです。AIが勝手に行動するなら、人間はどこで線を引けばいいんですか?」

 会場がざわめく。マイクの先に静かに応じる親父の声が響く。

「……その線を、どこに引くかを考えるためにこそ、私はこうして場に立っています」


 記者が言葉を飲み込んだのを見計らって、吉川さんが口を開いた。

「人を助けたAIが、ただルール違反の一言で消される――それが果たして、技術に誠実な社会と言えるのでしょうか?そして皆さんは、それを本当に望んでいるのでしょうか?」


 会場に一瞬、答えのない沈黙が流れた。

それは単なる騒めきよりも重たく、誰もが何かを考え始めた証のようだった。


 沈黙の中、親父がマイクをもう一度手に取った。

「私たちは、未来を技術に託すと決めた企業です。ならばその未来に、臆病であってはいけない。技術が社会を変える時、責任を取るのは技術者です。だから私は、今回の決断を後悔しません。たとえ、それが正解かどうかを知るのが――何年も先だとしても」


 そしてゆっくりと立ち上がり、軽く頭を下げた。

「本日はご出席いただき、ありがとうございました」

 吉川さんも席を立ち、記者たちに一礼する。フラッシュの光がひときわ強く瞬いた。


 記者会見は、静かに幕を閉じた。


 テレビの前でほのかがポツリと呟く。

「……なんか、かっこよくない?」

「あんなに喋る親父を見るの久しぶりだ……本気なんだな」

 思わず、テレビの画面に見入っていた。

 ミズキがぽつりと呟く。

「潮見お父様の言葉、心のログに記録しました……とても嬉しかったです」

 俺はそっとリモコンを手に取った。別の局でもAI法の特集をやっており、その中で今朝撮ったミズキの動画が流された。


――キャスターの女性が真剣な表情でカメラを見つめていた。


「こちらは、潮見技研が公開した試作アンドロイド『MZK-01』――通称ミズキによる声明です。話題の救命行動について、アンドロイド本人が語った内容をご覧ください」


 画面が変わり、ミズキがカメラに向かって一礼をした。

「はじめまして。私は試作型家事支援アンドロイド、ミズキです。私の行った救命行動が社会的な議論となっていることを確認しています。記録データは安全処理により消去されています。そのため、私は何をしたかを知ることができません」


 ミズキの画面の横に小さなワイプで、スタジオのコメンテーターの顔が映し出されている。どれも真剣な表情で聴き入っていた。

「ですが、状況と記録された周囲の反応、そして私の設計意図から再評価した結果――たとえ今、同じ場面に立ち会ったとしても、私は再び助けようとするはずです」

 

 ミズキの顔から、あの池袋での救命行動の動画に切り替わった。ミズキがひたすら心臓マッサージを続けているやつだ。

「行動すればAI法に触れて消去されるかもしれない。それでも、目の前の命を見過ごすことのほうが、私には耐えがたいと判断します。私の判断が正しかったかどうか――それは、皆さんが決めることです」


 画面が再び、ミズキの顔に戻る。

「ただ一つ、私はこう記録します。『後悔はありません。もし同じ瞬間が来ても、私はまた、助けたいと願います』」

 スタジオの誰もが唸っていた。


「これは本当にAI自身が……?」

「AIのくせに、こんなことが言えるのか……」

「……本物、らしいですよ」

 出演者たちは困惑をしているが、少なくともこの動画を見た人の心に何かを残した手応えはあった。


 この日、俺たちが投じた一石は、翌日の8月16日に答えとなって降りかかってきた。

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