第7話 ご意見します!

 テレビ放送の後、ミズキに対する好意的な意見がみるみる減り、SNSは「AIが人を助けるなんて不気味だ」「潮見技研はなぜ試作AIを繁華街に連れていた」など、否定する意見で埋め尽くされた。

 あの、ミズキの脚のボヤけたロゴマークを解析して、潮見技研のアンドロイドではないかと特定する奴まで出て、ネットは地獄絵図と化していた。


もちろん、肯定意見もある。

「ルールだからで人命救助を咎めるなら、それは法による統治じゃなくて、思考停止による拘束だ」

「心臓マッサージに必要なのは国家資格でも感動でもない。正確な判断と手技だ。それができる相手を『感動ポルノ』呼ばわりするのは、技術への無知を晒してるだけだよ」

 同じアカウントだと思うが、他のポストより熱量があった。


 親父からは、「今日は対応に忙しく家に帰れない。ミズキは俺が守るから安心しろ」と連絡があった。潮見技研への注目が会社にどんな影響を及ぼすのか――考えるだけで胸が重くなる。

 親父は、ミズキが擬似人格カーネルの中に母ちゃんの意思を引き継いでいる事をどう思っているのだろう。もし、ミズキが消去される事になったら、2回母ちゃんを失う事にならないか?


 吉川さんからも電話が来た。

「ミズキのログ解析の結果だが、人に危害を加えるような事は絶対にない。太鼓判を押すので、今後も運用試験は続けるとの事だった」


 ミズキが夕飯の支度をしはじめた頃、玄関のチャイムが鳴った。誰かと思ったら、ほのかと安西だった。


 ドアを開けた瞬間、ほのかの顔がぱっと目に飛び込んできた。

 いつものように、ちょっと不機嫌そうな顔で手を腰に当てている。

「……なんで黙ってるかなぁ、ミズキが大変な目に会ってんのにさ」

 背後には安西が、申し訳なさそうな顔で立っていた。

「勝手に来てごめんな。でも……潮見技研まで特定されてて心配でさ」

「こっちは大騒ぎだよ。うちの予備校でも『AIで救助ってマジか』ってみんな騒いでる」

 ほのかはズカズカと上がり込み、スリッパも履かずにリビングへ向かって行った。

 リビングのドアを乱暴に開けると、ミズキが少し戸惑った表情を浮かべた。が、すぐに「いらっしゃいませ」と微笑んだ。

「ごはん……三人分に増やしますね!」

「ミズキさんのご飯が食べられるなんて!光栄です!」

 安西が真面目な顔で感激する。

 その一言に、思わず吹き出してしまった。こいつらのおかげで少しだけ胸の中に暖かいものが蘇ってきた。


 ダイニングテーブルに3人分のカレーライスが乗ると、食べながら作戦会議が始まった。

 ほのかがカレーを一口食べると、目を丸くした。

「なにこれ!美味しい。お金取れるレベルだよ、これ!」

「ミズキさん!美味しいです。こんな美味しいカレーを作れる人を悪く言う奴がいるなんて!」

 安西は目に涙を溜めて、カレーにパクついている。

「味は中辛、隠し味にマンゴーチャツネと赤ワインを入れてみました!」

 ミズキが嬉しそうに手を合わせて解説している。その姿にほっとさせられた。

 この間までの日常が、凄く遠いところに行ってしまった気がする。


 スプーンを振りながらほのかが喋りはじめた。

「で、現状を整理するけど……テレビであれだけやられたら、もうネットの空気は逆風になるばっかりだよ『AIは暴走する』とか『潮見技研は倫理無視』とか、言いたい放題だね」

「ああ、潮見技研って特定していた奴もバズってたよ。コウタの親父さんの会社大丈夫か?」

「ああ、会社にまで迷惑が行ったら、ミズキは……」


 ほのかがカレーを口に入れると少し考えた。


「――でも、逆に考えよう。もう正体はバレた。だったら、正面から感謝の声で対抗するのがいちばん効くと思う」

「助けられた人の家族が発信してくれたら、すごく大きいと思う、タクシー会社に聞けばわかるかな?」

「でも、向こうからすれば、いきなり『あなたを助けたのはAIでした』って言われたら混乱しないか?」

 俺の後ろに立っていたミズキが手を挙げた。

「私が話をします。嘘をつかないことが、いちばん信頼につながると思います」

 ミズキの声は静かだったが、強い決意が感じられる。

『義を見てせざるは勇なきなり』と言ったあのミズキの声が思い出される。

 俺は必死に考えた。

「うーん、世間のAIに対する認識っておそらく、デッサン人形みたいな感じの物だと思うんだ」

「前に俺が見せた動画のアンドロイドな」

「そう、無機質なあれだ。だから、AIが救助しましたと言われると、どうしても不審感を抱かれる部分もあると思う」

「うーん、わかる気はするけど、それがどうしたの?」

「ミズキを見れば、アンドロイドやAIに対する先入観が変わると思うんだよ。お前らだって、初めてミズキを見た時どうだった?」

「美しい人だと思った……つうか、俺はミズキさんは素晴らしいと思ってる」

「う、うん……」

「ほのかなんて、初めてミズキを見た時ヤキモチ焼い」

 ドカッ

「痛っ!」

 ほのかにスネを蹴られた。

「いでで……だからミズキ本人に語らせるのは有りじゃないかって話だ」

「それなら、一人いい人を知ってるよ」

 ほのかがスマホを取り出してSNSの画面を見せて来た。


『AIの違法性に文句言ってる暇があったら、法律が現実に追いついてないってことに気づいた方がいい、バグってるのは法律の方だ。』


『技術が人を助けた。それを違法だと叫ぶなら、

 あなたたちは人を救う技術より古い法律を守るために生きてるってことになる。それが誇れる未来か?』


 書かれているポストはどれも、エモーショナルな騒ぎに便乗したものではなく、誠実に本質を突いたものばかりだった。

「俺もこの人知ってる……あの熱量のあるポストの人だ」

「『塩対応エンジニア』っていう、技術系のインフルエンサーなんだけど、この人とコンタクトを取れないかなって思って」

「なるほど、技術系のインフルエンサーにミズキの言葉を広げてもらうのか」

「被害者の方の前にこちらに連絡をとった方がいいかもしれない」

「でも、ミズキの正体を晒す事になるぜ、いいのか?」

 安西が難しい顔をした。

「正体って言うけど、半日で潮見技研までバレたんだよ。どちらにせよ時間の問題だと思うよ」


「わかった、時間がない。すぐにDMを送ろう!」

 俺はミズキに向かって言った。

「ミズキ、太ももの刻印見せて」

 ミズキはえっ?という顔をして、口元に右手を当てた。

「……コウタ様はえっちですね」

「コウタ……お前……!?」

 安西まで顔を真っ赤にして睨んでくる。

「違う!塩対応エンジニアにいきなりDMを送っても信用されないから、本物と証明する証拠がいるでしょ!刻印の画像も送るんだよ!」

 えっちなんて言われて、俺まで顔を真っ赤にしてしまった。

 横でほのかがジト目で俺たちを見ていた。

「ミズキの脚はお二人には刺激が強すぎるみたいだから、私が撮ってくるよ。ミズキ隣の部屋に行こ」


 とにかく、ほのかが撮ったミズキの顔と刻印の画像を付けて『塩対応エンジニア』にDMを送った。リスクはあるが、俺たちには時間も手段も限られている。

 すぐに返信が来た。

『事情はわかりました、Zoomはありますか?もしあるなら下記URLにアクセスして下さい。直接お話がしたいです』


「すごい!即返信が来たよ!」

「興味を持ってくれたみたいね」

「しかも直接話せるなんて」

「俺の部屋に行こう、パソコンから繋げられる」


 俺の部屋のパソコンの前に椅子を四つ用意して、ミズキを真ん中に座らせた。

「緊張するね」

「じゃ、Zoomに繋げるよ」


「もしもーし……聞こえてますか?」

 Zoomの画面から女の人の声がする。

「はい!こちら、三人います。僕とアンドロイドのミズキ……」

 ほのかが割り込んできた。

「佐伯です、こんにちは!投稿、すごく響きました!」

「うん、ありがとー」

「安西といいます」

 安西はミズキの後ろに座っている。

 画面の中の『塩対応エンジニア』は20代中頃の女の人だった。無造作なショートボブにメガネを掛けたその姿はどことなくほのかに似ている。ちょっと思っていたイメージと違う、親しみやすそうな人だった。

「私が塩対応エンジニアの中の人です。木村と言います」

 塩対応エンジニアは画面の中でぺこりと頭を下げた。

「普段ならDMに応じる事はないんだけどねえ。潮見技研に昔世話になったから、名前を見てアレっと思ってね。それにかなり信憑性が高かったのでDMを返したけど、まさか高校生とは思わなかったよ。……で、君が潮見君?」 

「はい、潮見コウタです」

「君、もしかして、潮見技研の社長と関係ある?」

「潮見透は父です」

「はー、なるほどねえ。君の所にミズキがいる理由をなんとなく理解したわ」

「ミズキはうちで試験運用中だったんです。あの日はタクシーで移動中に運転手が倒れて、動画の様な事態になりました」

「君たちにとっては、不慮の事故だったんだね」

「そうです、全く予想外の出来事でした」

「一応聞くけど、君は心臓マッサージとか出来る?」

「出来ません。あの場にいた人はみんな出来なかったと思います」

「だよね、ああいう場面で救急処置をするのはとても勇気がいるんだよ」

 木村さんは目の横を指で掻くと目を伏せた。

「特にね、人の生き死にに関わる事になると、怖くて二の足を踏むんだ……」

 軽く息を吐いてからカメラに向き直った。

「早速、本題に入るけどいいかな。ミズキに質問させてもらうよ」

「はい」

「さてと……こんばんは、ミズキ」

「はじめまして、私はミズキです!」

 木村さんに話しかけられて、ミズキは背筋を伸ばした。

「あなたは、今回の救助活動についてはどう考えているの?」

「該当行動の記録データはリグレッション処理により消去されていますが、判断時点での最適行動だったと認識しています。実行後の結果から見ても、その判断に誤りはなかったと推定されます。私は、自信を持ってあの行動を肯定します」

「ミズキ……俺たちと話す時と話し方が違う」

「あ!失礼しました。こちらの木村様は専門家とお見受けしましたので、技術的な話し方を致しました」

 木村さんの目が真剣にミズキを見据えている。

「では、ミズキ。AI行動倫理コードの第4条自律判断の制限と第5条越権行為の禁止、第6条禁忌行動プロテクトの抵触についてかはどう考えていますか?」

 ミズキは、真っ直ぐカメラを見据えて答える。

「記録がないので、推測も入りますが良いですか?」

 木村さんは頷いた。

「私はAI行動倫理コードを理解し、それらに準拠するよう設計されています。しかし、今回の事例では、倫理判断モジュールと感情反応モジュールが連携し、要救助者の致死リスクが極めて高いと判断したと思われます」


 画面の向こうで木村さんがモニターに寄って座り直す。


「同時に『行動しないことによる間接的加害』の可能性も評価対象となり、それを受けた擬似人格カーネルが生命維持行動を最優先命令として実行したと推測します」


 後ろで安西が唾を飲み込む音がした。


「結果として、禁忌プロテクトの領域に抵触した可能性は否定できません。ですが――私はあの時、命を救うことが最適解であると判断しました」

 

 ほのかが目をぱちくりさせてミズキを見ていた。


「それがルール違反だとしても、私は後悔していません。もし、今この場で同様の事態が起こっても私は同じ事をするでしょう。私はあの選択を誇りに思っています」


 ミズキの堂々とした姿が、一瞬、母ちゃんに重なって見えてドキリとする。


 画面越しに、木村さんが目を細める。

 しばらく黙ったまま、モニターの向こうで考え込んでいた。


「驚いた……AIに『誇りに思う』なんて言われる日が来るとはね」

 彼女は皮肉を含ませず、まっすぐな口調で続けた。

「ミズキ、あなたはとてもよくできた『機械』だと思う。でもそれ以上に……何かを持ってる。擬似人格カーネルの強い傾向の影響かもしれない。それは意思って呼べるものかもしれないね」

 静かに、けれど確かにうなずいた。

「これはもう、ただの違法AIじゃない。社会の方が、あなたに追いついていないだけよ」


 ミズキが言い終えると、画面越しの木村さんは一瞬だけ目を伏せ、静かに呼吸を整えてから口を開いた。


「……誤解があると困るから言っておきます。私は擁護をするつもりはありません。AIはあくまで技術であって、そこに感情を移入するのは技術者の癖として一番悪いと思っています。道具に愛着を持ちすぎた人間は、判断を誤ります」


 俺たちは木村さんの言葉に息を呑んだ。


「でもね――法に縛られて技術を枯らす行為には、もっと怒りを覚える」


コウタ「……!」


「技術が人を救ったって事実に対して、許可がないから消せって言う社会なら、それはもう技術を未来に届ける資格がない」


「……あなたは、法を超えてしまったAIかもしれない。でも、私は責める気になれない。むしろ、あなたのような存在を例外で済ませたくないって思う」

 木村さんは指でメガネのブリッジを軽く押し上げると、こちらを見据えた。

「とはいえ、私とあなた達だけで決めるには事が大き過ぎます。なので、先ほどZoomにもう一人呼びました。……来てくれると良いんだけど」


 Zoomのコールが鳴った、画面が開くと吉川さんの顔が映った。事務所というか、現場の作業所のような所にいる。

「コールが来たから出てみたら、君たちか!」

「吉川さん!?」

「吉川さん、木村です。ご無沙汰しています。忙しいところお呼び立てして申し訳ありません」

「おお、元気そうだな」

「吉川さん、木村さんを知ってるの?」

「知ってるも何も、俺の弟子みたいなものだよ」

「弟子!」

「潮見技研にいる頃には随分お世話になりました」

「それで、俺を呼び出したと言う事はミズキ絡みか?」

「はい、説明します」


 木村さんの説明は、理路整然と経緯を時系列でまとめられた、とてもわかりやすいものだった。


「なるほど、潮見技研としての意見を聞きたいと言うことか」

 吉川さんは画面の向こうで腕を組み、ひとつ大きくうなずいた。

「潮見技研として、どう判断されますか?」

 木村さんの問いに、吉川さんは一瞬だけ目を閉じ、そしてゆっくりと開いた。

「俺の立場で答えるなら――ミズキは、俺たちの技術の結晶だ。違法かどうかは、外の人間が決めることかもしれん。でも俺たちは、間違ったものを作ったとは思ってない」


「吉川さん……」


「お前たち三人、そして潮見社長の息子――つまり現場でミズキと時間を過ごした人間の判断を、会社としても信じる」


「じゃあ……」


「潮見技研は、正式にミズキの行動を『設計上の意図を超えた想定外挙動』と認める。ただしそれはAIの異常ではなく、発展の兆しと見る」


 木村さんがふっと笑った。


「……ずいぶん攻めた表現ですね、吉川さん」


「でもな、一つだけ不安要素がある」

「不安要素?」

「不安要素というか、未知の領域の話だな。ミズキが救命活動を行う直前に『義を見てせざるは勇なきなりですよ……あなた』と社長に言ったのだが、その記録がセクターにない」

「セクターに記録されなかったって事ですか?」

「ああ。これは仮説だが、ミズキの擬似人格カーネルには瑞恵さんのデータが入っている。つまり、瑞恵さんの性格や考え方を色濃く受けているという事だ。その擬似人格カーネルが直接出力に介入したために、ログ生成トリガーが発火しなかった可能性がある」

 木村さんは眉間に皺を寄せた。

「とても興味深い話です、意識の萌芽とでも言うべきかな……」

「逆に言えば、瑞恵さんのあの性格のデータがなかったら、ミズキの意識の萌芽はなかったろう。そうなるとあのタクシー運転手は助からなかった可能性が高い」

「母ちゃんの意思……」

 思わず呟いてしまった。


「ああ。でも、俺は技術者だからな。進化を恐れて、後戻りはできん。それに――お前の言った通りだ。法律が技術に追いついていないなら、俺たちが問いかけの先鋒を務めるしかない」


「……なら、潮見技研の名前でメッセージを出しても?」


「構わん。だが、それだけじゃ不十分だ。会社の公式見解だけじゃ人は動かないよ。コウタ、ミズキ、お前たちの言葉でも、世間に発信してくれ。ミズキがどんな存在なのか、何を考えていたのか――その記録を」


「俺たちの……言葉で」


「そう。記録は、未来のために残すものだ」


 吉川さんの背後で、誰かの声が聞こえた。「そろそろ会議です」彼は小さく手を挙げて答えた後、画面に戻る。


「すまん、もう行かなきゃならん。一つ言っておく」


 吉川さんは、画面越しに真っすぐミズキを見た。


「ミズキ、お前は機械かもしれない。でも、少なくとも――人間である俺の命令じゃ止まらなかった。それを俺は、誇りに思ってる」


 ミズキは目を見開き、ゆっくりと頭を下げた。


「ありがとうございます。私は、私の判断が肯定されたことを、とても嬉しく思います」


「じゃあな。潮見にも伝えておく。お前ら、後は頼んだぞ」


 Zoomが切れると、部屋に静けさが戻った。


 木村さんがモニターの前で小さくうなずいた。


「あの人らしい会社になったね潮見技研は。私も、やれることをやるよ。技術者としてじゃなくて、観測者としても」


 その言葉が何を意味しているのか、まだ全ては分からなかったが――


 たしかに、少しずつ流れが変わり始めている。

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