第6話 困りました!
その晩、家に吉川さんが来た。
応接間のソファーの対面に親父と吉川さんが座り、俺は横の椅子に腰掛けた。ミズキは俺の後ろに立っている。
吉川さんが深刻な顔をして親父の説明を聞いていた。
「状況は理解した」
話を聞き終わると、吉川さんは大きなため息をついて天井を見上げた。
「まさか禁忌行動プロテクトを破るとは思わなかったな」
「申し訳ありません」
ミズキが深々と頭を下げた。
「いや、ミズキは悪くない。これは俺たちの責任だ」
吉川さんは親父の顔を見た。
「しかし、お前が付いていながら、なぜミズキの行動を許した?」
「……言ったんだ」
「なに?」
親父は目を伏せたまま、まるで誰かの亡霊と話しているような小声で言った。
「ミズキは俺の顔を見て――こう言ったんだ」
『義を見てせざるは勇なきなりですよ……、あなた』
親父の声がわずかに震え、目元が濡れて見えた気がした。
「あの時のミズキは瑞恵に生き写しだった。……あれを見たら、止められなかった」
「言ったのか?ミズキ?」
「すみません。その言葉、記憶にないんです……」
ミズキは困惑しながらも話を続けた。
「その発言に該当するセクターが――空白になっているんです」
ミズキの声には、はじめて聞くような戸惑いが混じっていた。
「つまり、発言の記録がないと言うことか」
吉川さんは訝しんで親父の顔を見た。
「俺も聞いたから、親父の聞き間違いじゃないよ」
あの一瞬、ミズキはミズキではなかった。
言葉にできないけれど――確かに、あの声は母ちゃんの声だった。
「俺たちがやっている事は魂とか霊とか、オカルトでは済まされないのはわかっているよな?」
吉川さんは肩をすくめた。
「……まあ、ログが飛ぶなんてことは、たまにある。だが今回は『記録がされなかった』んだ、それは違う話だ」
吉川さんは腕を組んで、ミズキを見た。
「擬似人格カーネルが意図しない独立処理をした――可能性はある。人間で言えば深層意識のようなものだな」
「深層意識?無意識で判断しているのですか?AIが?」
「ミズキのAIは、感情反応、倫理判断の二つのモジュールと擬似人格カーネル、制御統合AIなど、いくつもの分割したAIが連携をとって判断を行なっているんだ。ミズキは想像を絶する複雑な階層を経て動いているんだ」
そこまで言うと、ミズキが用意したコーヒーを一口飲んだ。
「そう、例えば。木の根が石にぶつかった時、石を避けて根を張るように、AIのニューラルネットワークがプロテクトを迂回する新たなシナプスを形成したかもしれん。仮説の域を出ないがな」
「そういえば、思い出しました」
「なんだい?コウタ」
「ミズキが心臓マッサージの前に、俯いたままブツブツと独り言を言っていたのだけど、前にも同じ事がありました」
「詳しく教えてくれ」
「友達を呼んで、料理教室をやった事があったんだけど、自分が先生をやると知った時に同じ様にブツブツと言っていました」
「ふむ」
「それまではパニック状態でどうしようと狼狽えていたんだけど、ブツブツの後に『やりましょう!』と口にしたんです。まるで誰かに背中を押されたみたいに」
「料理教室の件も、報告書には書かれていたな。あれも判断次第では、教師的役割が他人への介入的越境行動にあたるからアウトなんだ」
「そんな……」
「まあ、料理教室自体はさほど気にすることではないが、ミズキにとっては禁忌行動プロテクトに抵触する扱いになっていたのだろうな。ふむ……兆候はあったという事か」
「ミズキを苦しめていたということ?」
胸が締め付けられるような感覚に捉われた。
「あ、コウタ様が気にすることじゃないですよ!」
ミズキが笑顔で両手を振った。今はその笑顔が痛い。
「……本当は、こうなるのが一番怖かったんだよ。毎日記憶をリセットしていたのは、リグレッションテストの意味もあったが、それ以上に経験の積み重ねでプロテクトの抜け道を構築しないようにする意図もあったんだ。それでも残ってしまう『何か』があったなら、それはもう——ただのAIじゃない」
話が途切れて、応接間が静かになった。
「擬似人格カーネルは俺が作ったものだ……」
親父がポツリと話しはじめた。
「ミズキの擬似人格カーネルは、瑞恵の記録――SNS投稿、メール、音声、映像データや俺の記憶、日記や学生時代の成績や趣味嗜好、人間関係など、膨大なデータベースを元に作ったものだ。瑞恵という一人の人間の記録がほぼ全て詰まったものだと言っていい」
「ああ、瑞恵さんは『どうせ倒れるなら前に向かって倒れたい』ってタイプの人だったな。……昔、子猫を助けるために真冬の川に飛び込んだぐらいだ。なるほどプロテクトぐらい回避するかもしれんな」
吉川さんが苦笑いを浮かべると、冗談とも本気ともつかない顔をした。
「母ちゃんらしい話だよ」
俺もその話は知っている。
「そんな行動が……私の中に」
ミズキは両手を胸に当てるようにして、視線を泳がせた。いつも冷静だったその表情に、明らかな揺らぎが見えた。
「俺は瑞恵を作ろうとしたんだ」
「親父……」
「……あいつを失ったあと、俺はどうしても……お前に、もう一度会わせてやりたかったんだ。七回忌の墓参りにミズキを連れてきたのは、俺なりの瑞恵への追悼だったんだ……」
「だから、ミズキの後ろに母ちゃんの影が見えていたのか……」
俺の胸に重いものがのしかかってきた。
「コウタ、勘違いしないでくれ。擬似人格カーネルは思考や口調のパターンだけを再現したものだ。人格じゃなく、模倣の核だよ」
吉川さんは指で目頭を押さえると、今度はミズキに聞いた。
「これだけは確認したいのだが。ミズキ、運転手を助ける時に何を思ったんだ?どんな些細なことでもいい。話してくれないか」
ミズキは思い出すように、一言一言を確認するかのように話だした。
「あの時はこう思ったのです。この人にも他の人との記憶があるはずだ、と。そして、この人に関わる人にもこの人との記憶があるはずだと。この人を失う事で、この人は人の記憶の中でしか生きる事が出来なくなる。それはとても悲しいことだから、なんとかしなきゃ……と思いました」
『記憶の中でしか生きられないのは悲しい事だ……』というミズキの言葉を聞いた時、気がついてしまった。
ミズキはその日の記憶を失うのを知りながら、毎晩どういう気持ちであの充電用の椅子に座っていたのか。あの椅子はミズキに取って、死刑囚が座るものと同じなのではないか?
ミズキは機械だ。もしかしたら、椅子に座る瞬間には何も感じないのかもしれない。でも、もし本当に何も感じないなら、なぜあの笑顔はあんなに寂しく見えたんだろう?
俺は言葉を詰まらせ、涙を堪えた。
「……そっか。お前って、……ほんとに変だよな」
俺はそれ以上言葉が出てこなかった。
ただ、胸が、すごく、痛かった。
「全く、瑞恵さんそっくりだよ……」
吉川さんは冷めたコーヒーを飲み干して席を立った。
「俺は一旦帰るよ、全部のログを禁忌行動プロテクトの回避という方向から解析しなきゃならん」
玄関で別れ際、振り向いて真剣な顔をした。
「潮見、ミズキは大成功だよ。成功しすぎたかもしれん」
そういうと、吉川さんはプリウスで帰っていった。
翌朝。
雨音で目が覚めた。この季節には珍しく肌寒くて、やけに静かな朝だった。
時計を見たら、いつもより少し寝坊していた。
着替えてリビングに降りると親父がダイニングテーブルでタブレットのニュース記事を読んでいた。ミズキは朝食を作っている。
ミズキは振り返って俺を見ると、一瞬だけ首をかしげてから微笑んだ。
「はじめまして、私はミズキです」
親父のコーヒーを持つ手が止まった。
俺は、ミズキの顔を見ると胸がつかえて、どんな顔をして良いかわからなかった。
「おはよう……」
朝の挨拶をするのが精一杯だった。
「オムレツとトマトときゅうりのマリネを作りました!栄養満点ですよ……」
「う、うん」
いつものミズキの料理説明が頭に入ってこない。朝ご飯は何を食べているのかも、わからなかった。
昨日と変わらない朝のはずなのに、景色がまるで違って見えた。いや、ミズキは変わっていない。変わったのは俺の方だろう。
テーブルに置いた俺のスマホの通知が鳴った。
手に取ると安西からの通知だ。またくだらないお笑い動画のリンクでも送ってきたのかと思って、LINEを開いた俺の手が止まった。
『これミズキじゃないか!大変なことになっているぞ!』
SNSのリンクが張られていて、そこには、ミズキが池袋で心臓マッサージをしている動画が上げられていた。
『今日、池袋でタクシーの運転手を助けていた女性。
動きに無駄がなくて、冷静で、とてもカッコよかった!運転手が助かったのもすごかったけど、あの人がそこにいたことが何よりの奇跡だったんじゃないかって思う。』
動画にはこのポストが付けられていた。
「親父!」
動画を見せようとしたところで、親父のスマホが鳴った。
「なに?SNS?いや、知らんが……」
タブレットを開いた親父が絶句した。
「ああ、刻印が見えてる。これじゃ隠せん……」
額の汗を拭くと、スマホを右手に持ち替えた。
「……今の状態じゃ、手の打ちようがない。……ああ、そうだな」
しばらく話していた親父はスマホを切ると、大きなため息をついた。
「一番恐れていた事が起きた」
「動画のこと?」
「ああ、昨日のミズキの動画がネットで拡散されている」
「でも、書かれている内容は好意的だったから、そんなに大変なことにはならないんじゃないかな……」
希望的な願望が入っているのはわかっているけど、こう言いたくなる。
「今のままで終わればいいが、どう転がるかはわからんぞ」
親父は腕を組むと、考え込んでしまった。
「これ、私ですね」
ミズキが俺のスマホの動画を見て、聞いてきた。
「うーん。覚えていないのですが。見る限りは私は悪いことをしていませんので、堂々として良いのではないですか?」
ミズキが微笑んだその表情には、一点の曇りもなかった。
そんなミズキを見ていると、こちらの気持ちまで明るくなってくる。
「本当にお前は瑞恵にそっくりだ……」
親父はため息まじりに呟いて、会社に向かった。
しかし、俺の希望的観測はあっさりと打ち砕かれることになる。
SNSの書き込みを見つけてから半日。
コメント欄には「感動した」「奇跡だ」「ありがとう」の声があふれ、リポストやいいねも含めて一万件を超えていた。
だが、数字の勢いが衰えることはなく――そのころから、空気が変わり始めた。
『動きが正確すぎて逆に怖い』
『汗かいてないし、人間っぽくないんだが』
『左脚にバーコードみたいなの映ってる。識別番号?』
『え、これAIじゃないの?』
『感動して損した。AIなら当たり前』
『はい違法。医療用じゃないAIが心マするのは法に触れる』
『通報しました。感動ポルノご苦労さま』
『AIは嘘をつくから信用ならない』
もちろん、これに対する擁護的な意見もある。
『人の命を救うのにAIもなにも関係ないだろ』
『技術がここまで来たこと自体に感動してる。誰が助けたかじゃなく「助かった」ことが大事』
『うちの母も倒れた時、誰かに助けてもらった。それがAIだったとしても、私は感謝する』
『これが本当の意味での人とAIの共存だと思ったよ。立法が追いついてないだけでしょ』
『救急の現場にいる者だけど、この処置は安定していて完璧だと思うぞ、経験を積んだ救命士でもこうはいかない。うちに欲しいくらいだ』
この後も、否定はと肯定派のいつ尽きるかも知れない議論が続いていた。これは誰にもコントロールなんて出来ない……。
俺のスマホが鳴った、安西からだ。
「塩見!テレビを付けて見ろ、アスカテレビだ!」
リモコンでテレビを付けて唖然とした。あの動画と別にどこかの監視カメラの映像でミズキが心臓マッサージをしている姿が映っていた。
『白昼の救出劇、助けたのは人かAIか!?』というキャプション付きだ。
女性アナウンサーのナレーションが入った。
『街中で突然倒れたタクシー運転手――その命を救ったのは、通りかかった一人の女性でした』
顔にぼかしは入っているが、明らかにミズキとわかる。字幕で「ヒーロー女性」などと出た。
ナレーションが続く。
『彼女は極めて冷静に、無駄のない動きで処置を行っていることが分かります。しかし――よく見ると、彼女の左脚には識別コードのようなマーキングが……』
ミズキの脚がズームされる。ボケてはいるが、バーコードと会社のロゴだとわかる。
『SNSではこの人物が人間ではなく、AIではないかという声が上がっており、専門家に取材しました』
画面が変わり、どこかの大学の理工学系の教授が映った。執務室で小さなモニターに映るミズキの動画を見ている。
「これね、AIだったらすごい技術なんですよ。生体の状況を絶えずモニターしながら、正確に心臓圧迫と人工呼吸をしている。実際、蘇生に成功したわけだし、むしろ誇っていいことでは?」
カメラがスタジオに戻ると、弁護士のコメンテーターが眉間に皺を寄せていた。
「現行のAI法では、医療行為は一部の認可を受けたAIにしか認められていません。その場合でも医療従事者が必ず付いていなければならない。でもね、この動画を見る限り、それらしい人はいませんね。これはたまたま上手くいった例かも知れないけど、違法性が問われる可能性が高いです」
隣に座る、古参のお笑い芸人もしたり顔で口を開いた。
「こういうのってねえ、AIが間違えて人を殺してしまう可能性もあるわけですよね。感動で終わらせちゃいけないんです。やっぱり技術は管理とルールのもとで使うべきですから」
そこに女性作家が割って入る。
「でも、医療従事者でなくても、緊急の医療行為は法に触れませんよね?」
「違法性阻却ですね。善意による医療処置(救急救命)は原則として違法ではないという法的・社会的コンセンサスがあるわけです。ただし、人間である場合の話です」
「AIの場合、人ではなく「機械」なので、正当な判断や責任能力を問えません。故障や誤作動時に誰が責任を取るのか明確でない。よって「医療用AIでないものの医療行為は禁止」という条文が立てられたのです」
『現在、関係機関が情報の精査に乗り出しているとのことです』
ナレーションが締めくくられる頃には、スタジオの空気はすっかり「問題視」ムードに傾いていた。
テレビを見ていて、胃のあたりに鉄球でも入れられたような、重い気持ちになった。
「特に人の命に関する事で、たまたま上手くいくとか、そういうレベルでの判断はしません。私は私に出来ない事はやりません」
テレビを見ていたミズキが悲しい目をした。
「なんで、人を助けたのに悪い事をしたみたいに言われるんでしょうね」
「うん、お前はちゃんとやったよ……」
だが、AIがそれを訴えても、聞いてくれる人はどれだけいるだろうか。
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