第5話 死んでもいいさぁ……
結局アカネは勉強せず、俺の夕飯用に炊いていたご飯1合分を、ぬか漬けのきゅうり3本分と味付け海苔で食べたあと、「お腹空いたから帰る〜」と言って出ていった。
俺の夕飯はどこに消えたんだよ全く。
まぁ米はキク婆ちゃんが「アカネが世話になってるからさぁ」と言って置いていったものだから良いんだけどさ。
アカネが帰ったあと、炊飯器をセットし直し、夕飯のおかずにだし巻き卵とねぎぬたでも作ろうと思っていると、玄関のチャイムが鳴った。
「はーい」
「お裾分け持ってきたさぁ」
「あっ……、わざわざすいません」
やって来たのは紫の矢絣文様の風呂敷に包まれた重箱を持つ白地の浴衣に紫の羽織をつけたキク婆ちゃんだ。
おかずを過ぎたと言ってお裾分けを持って来てくれる事はたまにあるけれど、湯あみしたあとに来るのは初めてだった。
「夕飯まだだったさぁ?」
「はい、さっきまでアカネがいましたので」
「それでアカネが遅かったさぁ」
もしかしてアカネが遅く帰った理由が知りたくて来たのかな?
「ぬか漬けでご飯1合を食べてましたから、夕飯はあまり入らないかもしれませんね」
「アカネはご飯山盛りよそってたさぁ」
本当にあれだけ食べててもお腹が満たされ無かったのかよ。
「随分と食べるんですね……」
「燃費の悪い子さぁ……、体もなかなか育たないさぁ」
「これから成長期なんじゃないですか?」
サヤカさんはなかなかご立派なものを持ってるし、お尻もプリッとしてるもんな。
「あの子は私に似たのさぁ」
「なるほど……」
確かにキク婆ちゃんは小柄だ。
まぁキク婆ちゃんと同年代の人は小柄な人は多いので、そういうものだと思っていたけれどな。
「中に入って待ってて下さい、移し替えて来ますから」
「返すのは食べ終わったらでいいさぁ」
「それならちょっと待ってください」
夜道だから送って行くべきだし、手ぶらは良くないだろう。
「今夜は月明かりがあるさぁ、気にしなくていいさぁ」
「いえ、ご飯が炊けるまでまだ時間があるので送らせて下さい」
俺はふるさと納税で送られて来た海苔セットのアカネに開封されなかった方の味付け海苔の缶を出し、それを持ってキク婆ちゃんを送る事にした。
「わざわざ済まないさぁ」
「いえいえ、いつもお世話になっていますから」
お隣の家の方を見ると、風呂場の灯りが付いていた。
サヤカさんはうちで入っていったから入らないだろうし、アカネが山盛りのご飯を食べて既に風呂に入っているのだろう。
「ここは何もない田舎さぁ」
「そうですか?」
何もないと言われればそうだけど、人が人として生きるための全てがある場所だ。
「タロウちゃんは何でこんな田舎に来たさぁ?」
「前に話したと思いますが」
キク婆ちゃんは頭がシャッキリしてるから覚えていると思うんだけど。
「ノンビリ暮らしたいという理由とは違う事さぁ」
「それしかありませんが……」
適度に働いて、適度に食べて、適度に抱いて、適度に眠る。前世では望めなかったノンビリとした暮らしだ。
「タロウちゃんには不思議な力があるさぁ?」
「不思議な力ですか?」
もしかしてギックリ腰を治した事でバレたのか?
「去年、癌で余命6ケ月とお医者様から言われていたさぁ」
「えっ?」
もしかして1年前にキク婆ちゃんが妙に老け込んでいたのはそれが理由?
「この前は癌が無くなってると言われたさぁ?」
「手術が成功したんですか?」
「手術は頼まなかったさぁ」
「……診断ミスって事ですか……」
俺はダラダラと背中と脇に汗をかきまくっていた。
キク婆ちゃんに「《成熟》」を使い、急激に老け込まれたのでそれを解除し「《回復》」をし始めたのが去年の事だ。
まさか癌治療まで出来てしまうものだとは……。
「……そうかもしれないさぁ……」
「そうですよ……」
これは誤魔化せた……のか?
「次ぁちゃんとあの世に迎えられたいさぁ……」
「キク婆ちゃんいなくなったらみんな悲しみますよ?」
「頼むさぁ……」
キク婆ちゃんはこれ以上自分に「《回復》」は使うなと言いたかったらしい。
「《回復》」も「《成熟》」も不老不死になるようなものではなく、肉体の寿命まで変える力は無い。だからそのままで良いはずだ。
「親より先に死ぬゆう親不孝はねぇんさぁ」
「それは……」
サヤカだんの旦那さんが死亡扱いになる3ヶ月後までに死にたいって意味だよな?
「爺さんとあんロクデナが待ってるさぁ……」
「……」
キク婆ちゃんは既に親より先に息子さんが死んだと察している。だから待っていると言った。あっちに行きたいと隠喩でいってるだけだ。
「月が綺麗ですね……」
「死んでもいいさぁ……」
俺は足元を明るく照らしてくれる月を見上げたあと、キク婆ちゃんの横顔を見ながら光魔法の「《成熟》」をかけた。本当に死期を悟ったり死を願うと急に老け込んでしまう魔法だ。
「少し冷えて来たさぁ」
「明日は雨だそうです」
今日は初夏と言っていいほど日中はいい陽気だった。けれどまだ梅雨前で冷え込む日も多かった。
「もう家さぁ」
「これどうぞ」
俺はキク婆ちゃんに味付け海苔の缶を手渡した。
その時、アカネが風呂場で掛け湯でもしたのか、ザバァという音が聞こえて来た。
「ありがとうさぁ」
「いえ、お休みなさい」
キク婆ちゃんは月明かりのもと、俺にニコニコした顔をして手を振っていた。
その顔は朝のシャキっとした姿ではなく、少し老け込んでいるように見えていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます