第12話







 



 「共に異世界へ帰ろう」


 


 自身の爪を高く突き立て、狼男は嬉々として言った。

 


 「セイヤ・チグサ、ここは息苦しいだろ。お前の居場所はここじゃないからな」


   

 狼男は続ける。


 

 「こんなつまらない世界じゃなく、もっと広く、魔法にあふれた世界がお前を待っている。掃き溜めに生きるペガサスはいないだろ」



 岩のような大きな手を差し伸べた。



 「さあ共に帰ろう」

 

 

 ──ずっと怖かった。


 せい君が蝋燭のようにフッといなくなった、あの日を忘れたことなど一時もなかった。

 

 やっとまた帰ってきてくれたけど。彼との日常にいつも暗い影が潜んでいるのを無視できなかった。彼はこの世界にいるべきではない。そんな不安を拭い去るなんてできなかった。


 ずっと怖かった。


 そして、今、その時が来たのかもしれない。


 

 「さあ!」



 せい君の顔を見たい。 

 

 今、彼はどんな顔をしているのだろうか。私と同じ顔をしているのだろうか。


 



 「…ウィータ=モルス」


 せい君は狼男の名前を呟くように言った。


 そして突然、この場を白い煙が包み込んだ。 


 「煙幕か…」 

 「魔法で水蒸気爆発を発生させた。逃げるぞ!」


 説明しながらせい君は、私の手を引き狼男から距離を取ろうとした。

 

 だが、数歩移動したらすぐ、私たち二人とも身動きが取れなかった。後ろに強く引っ張られるような力が働いてそれ以上進めなかった。


 「これは…! 魔力で引っ張られている…?」

 「ここは狼男のなわばりだ。オレの魔力を纏う者はなわばりから出れない。原理はケルベロスのマーキングに近しい」


 瑞々しさを感じる白い煙の中から、狼男の声だけが響いた。


 「待てよ、あり得ない。それはつまりお前の魔力に触れなければ発動しない。俺たちはお前に触れたこともない!」


 無遠慮で、下卑た高笑いが聞こえてくる。


 「オレの魔力は経皮感染けいひかんせんの特別性でな、皮膚から皮膚へと媒介するように出来ているんだ。例えば、そうだな、オレの魔力を纏った別の人間族に触れただけでも条件は満たすな」

 「…そういえば最近魔力を感じたことがあった…あれは、なぎを襲った時の…中年──」


 せい君はハッとした。


 言っているのは、この前私を襲ったクレーマーのことだろうか。あの時はせい君が退治してくれたが、その際、男から妙な魔力を感じたと言っていた。あのクレーマーを介して魔力を私たちに付けていたという訳かな。たぶん。



 「用意周到だな…」

 「お前と闘うために何の準備をしないとでも?」

 

 煙が晴れる。形成は変わらず、また狼男と対峙することになる。


 「…逃げられないなら倒すまでだ!」


 せい君は目にもとまらぬ速さで狼男に近付くと、脇腹をえぐるように殴った。メキメキと音が響いた。だが、その攻撃が効いてる様子もなく、相手は小馬鹿にするように牙をこぼしていた。


 せい君は危機感を感じ、すぐに拳を引っ込め、後ろへ下がる。がしかし、その動きを予想していたかのように狼男も同じ動きをした。

   

 「また逃げるか?」

 

 間髪入れずに、狼男の大きな爪が降りかかる。私が危ないと叫ぶと、せい君は腕の間を上手くすり抜け、また脇腹に入り攻撃を狙った。


 「今度は衝撃魔法…!」


 ドンという、鈍い音が周りに響くと狼男はよろけた。だがそれはそんな気がしただけだった。狼男は表情一つ崩さず、「終わりか?」とせい君に訊ねた。さっきと同じく効いてる様子は無かった。


 「魔法の使い過ぎだ。魔力消費量は、特にこの世界で激しく…妖精もいない」

 「魔法の弱点…」


 それは前にせい君が言っていたことだった。


 魔法というものは、使えば使う程魔力というエネルギーが減少していき、特に異世界(ここ)では顕著であった。妖精という回復手段を用いない限り、魔力を元の水準に戻すのは難しいらしい。


 「それはお前もだろうが…っ」


 上から見下す狼男にせい君は攻撃的な口調で言った。しかし狼男は嘲るように笑い飛ばした。


 「ぐはは、忘れたのか?」


 狼男は自身の身体を爪で傷付け、赤い血を噴き出した。急なマゾ展開に私はドン引きしたけど、せい君の方は正反対の表情をしていた。やられた…と、小さく呟くのが聞こえた。


 「…オレの能力は、血の焚火たきび。血を魔力に、魔力を燃料に炎を生み出す」


 狼男の身体がメラメラと炎に包まれていく。


 「最も魔力効率が良く、血さえあれば無限に燃え盛れる。異世界で魔力切れを起こすことはない!」

 「そうか。この世界で殺人事件を…人を殺し回っていたのは血で魔力を補充するためだったのか…」

 「それだけではないっ!」


 狼男は足に力を入れ、せい君を吹き飛ばした。せい君は咄嗟に自身を守れたものの、体勢を崩され、更なる狼男の猛攻を食らう形になる。

  

 「血に際限は無く、血を浴びれば浴びるほど、炎は勢いを増す。研磨され鋭さを増す剣のように!」


 狼男の連続攻撃。爪で引っ掻き、足で斬り、炎を繰り出す。せい君は必死に避けようとするが、攻撃は火に油を注ぐような勢いで加速していく。血がどんどん彼の身体から離れていく。 


 止めてくれと懇願する私の声も届かない。一方的な蹂躙だった。 




 「…龍に聖剣だな」




 絶望的な状況だった。

 













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