第8話








 15年前。


 いやもっと前、ずっと前のこと。あれは大人を見上げていた年頃。


 クラスの子達がガヤガヤと騒いでいる。無垢だった私はそのグループに足を踏み入れた。仲良くなりたい、その一心で。


 するとよく言われたのは『なにいってんだおまえ』という言葉だった。


 舌足らずで、どもりも酷かった当時の私は同年代の子達と上手く馴染めなかった。喋りを馬鹿にされ、喋ろうとすればするほど噛んで、また笑われた。同年代の子達と上手く絡めず、馴染めず、友達を作りたくても出来なかった。

 

 それでも、いつも耳を傾けてくれたのは──


 『なにしてんだ?』


 服を泥だらけにしている私に、気にせず声をかける男の子。


 『ぁ、く、くろーばー』  

 『くろーばー?』

 『よ、よつばのくろーばー、さがしてる』

 『なんで?』

 『ぇ…あ、えっ、ぷ、ぷれぜんとしたくて』  

  

 クラスの子に。そうすれば仲良くなれるかもしれない。そんな安直な理由を抱いていた。今思うと我ながらなんて幼稚で、滑稽な方法だろうか。


 しかも結局渡せずに終わったんだから、本当にお笑い草だ。情けない。


 『じゃあおれも』

 

 その場に座り込み、草を分けて探してくれる。


 私が大丈夫だよと言っても『おれがやりたいだけ』と返答され、そのままクローバーを探してくれた。草むらに向ける目も、探す手も全く迷いはなかった。


 『あったぞ!』


 数分経てばそんな声があっさり聞こえた。手には四葉のクローバーが掲げられて、目当てのものはすぐに見つかった。自分が苦労していたことを彼はやにわに成し遂げた。いつもそうだった。


 『はは…かおまでよごれてんじゃん!』


 夢中で探していたからか、服だけでなく顔も泥んこになっていたらしい。そんな泥の付いた私の顔を彼はハンカチで優しく拭いてくれた。 


 顔を赤くしながら目を伏せる。そしてクローバーを受け取り顔を上げると、どおん。どごおん。


 排気音の混じった衝撃音が聞こえ、目の前は血の海に変わっていた。いたはずの子がいなくなって、前には血にまみれたトラックが一台。そしてタイヤの間に、見覚えのある靴が歪な形になりながら挟まっていた。


 『…せ』 




 「せい君!!!」


 気が付けば、見慣れた天井に視線を向けていた。なにかを追いかけるみたいに手を伸ばしながら。


 私は上体を起こす。額に手をやると、汗が滝のように流れていた。


 どうやら今のは夢だったようだ。ずいぶんと久しぶりに見た。ちょっと前までよく見ていた悪夢、最近はめっきり見なくなったのに。なんて目覚めの悪い。


 『こちら左京です。今、犯人が分かりましたよ』


 テレビから声が聞こえてくる。画面に目をやると倒れたトラックと警察が映っていた。サスペンスドラマの再放送のようだ。どうやらこのテレビが悪夢の原因だった。


 リモコンでテレビを消し、時計を見る。針は昼の3時を指していた。昨日は持ち帰って徹夜で仕事していたからか、疲れてそのまま寝てしまっていたらしい。さすがに寝すぎた。休日に昼寝で時間を溶かすと、罪悪感で結構落ち込む。 


 とりあえず喉を潤そうと台所に行った。するとふいにチャイムが鳴る。


 「よ。久しぶり」


 ドアを開けばせい君が立っていた。


 「…せ」

 「寝てた?」

 「え?」

 

 と間の抜けた声を出し、ちらと窓ガラスを見る。窓ガラスは手入れの行き届いてない跳ねた毛とすっぴんの形相を、嘘偽りなく写し出した。


 「あ」

 「はは…仕事で疲れてたんだな。目の下の隈もすごいな」

 「こ、これは…怖い夢を見てて」


 そのせいで眠れなかった。 


 「夢……か」

 「ど、どうしたの?」

 「いやなんでも」

 

 意味ありげな顔を浮かべるせい君。私の発言に何か引っ掛かることでもあったのかな。


 「あ、そ、それで何か用?」 

 「ん。いや用ってことも無いんだが、元気にしてるかなーって。なぎの家近くに来たのも久しぶりだから」


 確かに会うのは久しぶりだった。


 少し前からせい君は仕事を始めたらしい。昔の友達にたまたま会い、意気投合すると、友達の経営する会社に誘われたという。持ち前のコミュ力と能力で仕事をこなし、15年のブランクをものともせず、あっという間に会社に馴染んでいるようだった。


 凄いな。

 

 「おい」


 そんな真似できない。私なんかは今の会社でも上手く立ち回れてるか不安だし、ネガティブだし、いつも脳内で反省会。せい君は凄いよ。遺伝子レベルで違ってるのかな。凄すぎてなんだか涙が出てきちゃいそうだ。


 「おい」

 「ぇ?」

 「さっきから喋りかけてたんだけど…」

 「あ、ご、ごめん…なに?」 

 「ん」


 手を差し出される。掌にはお金が、120円だけあった。


 「こ、これは?」

 「なぎに返す。ちょい前、スーパーでツケといてくれたろ。ジュース代。それを今返そうってこと。お給料も出たしな」

 

 あ。忘れていた。

 

 「い、いらない」

 「いやでも」

 「ま、まだ今は返さなくてもいいよ…」

 「…なんで?」

 「きょ、今日は受け取る気分じゃないの。ま、また別の日がいい」

 

 怪訝な顔をされる。そらそうだ。


 こんな小さい女……私も見たことない。


 「なんだそれ…。まあ分かった。じゃあまた違う時に」


 納得してくれたようで、お金を持つ手を引っ込めてくれた。 


 

 「なあ、これから夜どうだ?」 


 ふいに聞かれる。


 「よ、よる!?」 

 

 突然すぎて声が裏返った。それはどういうつもりで言ったのか。審議が必要になります。


 「やらしい意味じゃなくて。これから夜飯どうだって聞いてんだよ…」

 「あ、そういうこと」


 ほっとした。なんだ、そんなことだったのか。


 「…ったく、なに考えてんだよ」

 「ご、ごめん…」


 うぅ…ひかれちゃったかな。流石に頭がピンクカラーだった。いつもこんなこと考えてる女だって思われてるよ、絶対。


 「なぎを誘う時はもっとムード考えるっての」

 「そ、そうだよね…」

 「んじゃ、用意できたら駅前でまた」

 「う、うん」


 バタンと扉が閉められる。


 さあ。早く準備しなきゃ。


 「…ん?」


 てか、今なんかとんでもないこと言われた?

 

 気のせいか。


 

 

 



 


 

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