第7話
「挨拶!お客様!」
「え、え…」
「お客様が来たぞう! いらっしゃいませだろが、ボケェ!」
「あ、う…」
腹をポヨンと揺らし意味不明なことを口走っているのは、昨日店に来たクレーマー客だった。たぶん仕事終わりを狙って絡んできたのだ。
「お、お前が…あのガキが、昨日俺にした仕打ち…許せねぇ…許せねぇっ!」
「落ち着いてください…!」
「誰にモノ言ってんだぁぁ!!」
クレーマーは声を荒げる。この大声で誰か駆けつけてくれないかと期待するが、周りは人通りも少なく、その期待は失望に変わる。
「やめましょう…」
「う、うるせぇ。お前も馬鹿にすんのか、あいつらとおなじかっ!!」
「きゃっ!」
クレーマーの勢いが猛烈で、道路に倒れてしまう。そして、クレーマーの巨体が覆い被さってきた。
「襲われるの…?」
そう言った。
「…うへへ…う、うるせえしょうがねぇだろ、お、俺ぁ、お客様だ。これもお客様たいおーだぞ!」
「そう……」
「そうだあ!」
「男なのにか?」
クレーマーは「へ?」とすっとんきょうな声を出した。そして女は立ち上がり、親指で自分の頬をなぞると、まばゆい光につつまれ男の姿へと早変わりした。男はニヤリと笑っている。
「な、なんだてめっ、めっ、あ!!?」
「焦りすぎだろ」
「あ、お前はあの、昨日のガキ! なんだこれえっ!?」
「昨日も使った変化魔法だよ。昨日はあんたの内臓組織にちょーっと変化をもたらしたが、今日は自分の貌に向けた…」
「ど、どういうこと…っだ、意味分からん!?」
「理解しなくても結構。おっさんがなぎの周りをウロチョロしてたのは知ったからな。ただの予防策」
目に見えて狼狽しているクレーマーは、後退りして距離を取ろうとした。
「待てって」
がしかし、手を握られ、動きを封じられる。
「逃がさねーよ?」
「ぉっ…! おぉっ!?」
「あんたにはなぎに謝ってもらう」
「…っ離せ!」
「謝る気も無さそうだ」
クレーマーは手を振りほどこうとするが、岩にでも挟まったかのようにピクリとも動かず、どうすることも出来なかった。
「なら目の前から消え失せろ」
男は拳をグーに、大きく振りかぶる。
「やめっ…!」
というクレーマーの声もむなしく、腹に拳が直に入った。人を殴っても到底出ないような音を辺りに轟かせ、クレーマーは白目を剥きながら勢いよく夜空の彼方へと消えていった。綺麗な一番星になった。
「よし」
「せ、せいくぅん!!?」
草影で見ていた私は思わず飛び出した。
よし、じゃないよ。
「ちょ、ちょっとやりすぎじゃない…!?」
「えー、大丈夫だって。少しくらいお灸据えないと」
数10分前。職場から帰ろうとした時、せい君がどこからともなく現れた。近くにあのクレーマー客が潜んで私を狙っていることを伝えに来てくれたのだ。そして変化魔法で私の姿に似せて、囮を引き受けると言ってくれた。私は危険だからと断ったけれど、せい君はやってくれた。
いや、でも、それにしてもやりすぎだと思う。というか死んだんじゃないか。もちろんちょっとはスッとしたけども。
「大丈夫。死にはしない。殴ると同時に治癒魔法もかけておいたからな。着地後の激痛はあるが、完璧に回復されるし文字通り痛い目を見させただけだ」
なら良かった…のか?
「…でも悪かったな」
急に言われる。何のことだろう。謝られる筋合いは無い。むしろ私の方がお礼を言わなければいけないのに。
せい君は続ける。
「約束破ったこと。今日は魔法使わないって約束してたのに、偶然あのおっさんを見付けたから魔法を使って監視してたんだ」
「ま、魔法……あ」
そういえば朝に今日だけ魔法を使わないでって、私が言ったんだった。
「でも安心してくれ。魔力も直に弱まってくるから」
「え?」
「魔法の弱点だな。魔法は使用すればする程、魔力という根元的エネルギーが脆弱になっていく。あっち(異世界)では、妖精の力を借りて魔力を回復するんだが、こっちにいる訳ねぇからな」
「じゃ、じゃあ魔法は使えなくなる?」
「正確には違うんだけど。時速200キロ出せた車が、150キロまでしか出せなくなるような感じ。まあ…とにかく使わない。嫌いだもんな。なぎの前では今後使うことはないから」
「あ、あれは…」
そういう意味じゃなく…もっとせい君と一緒にいたいからとか…。別に、魔法が嫌だからとかでは。そうではなくて。
いや。違う。
…嫌だった。かもしれない。
せい君が魔法のことを話す時、イキイキしていて楽しそうだった。それを聞いていると、せい君が別世界にいる人のような、ちょっとした孤独感を感じて、胸がズキンとして痛かった。他にももっと大きな感情が。
でも。
「せ、せい君」
「ん?」
「も、もっと魔法のことを聞きたいな! お話をもっと!」
そんなの駄目だよね。何でも怖がっていたら、大事なものを見逃してしまうもんね。
私、もっとせい君のことを知りたい。知ってみたくなった。
「いいのか?」
「い、いいよ! 超いい!」
「そうか……分かった。なら語り口調で教えよう、笑いあり涙あり俺の冒険譚を!」
せい君は息まいた。水を得た魚ってこういうことなのかと思った。
「お、お手柔らかに…」
もしかしてお話長いのか…。私は腹をくくった。
「…でもおかしいな」
せい君は自分の掌を見つめ、ぽつりと呟いた。
「ど、どうしたの?」
「いやな、さっきの奴昨日と違うかった」
「え? き、昨日と同じ小汚ない感じだったけど…」
「見た目の話じゃなくて。…なんだろう…これは、魔力?」
───
「クソおっ! あのガキ、お、俺を馬鹿にしやがって!コケにしやがって!」
森に中年の濁った声がこだまする。殴られた勢いで遠くの森まで飛ばされたようである。
「人間もピンキリか」
森の奥から大きな影が伸びている。逃げるように森の生き物たちがその場から去っていく。
「おまえ…!? お、おまえがヤれるからって言ったんだ!!!」
「すーぐ人のせい。他責思考の放棄こそが成長の第一歩だ」
影は嘲笑うようにゲラゲラと笑っている。
「…う、うるせぇっ!!」
「目的は達成したからもういらん」
「し、しねえっ!」
「死んでるのはお前」
「…あ!?」
グジュッ!!
トマトの潰れたような音と共に、血の雨が草原に激しく降り注いだ。
「思った通り。魔力を扱える人間はセイヤ・チグサだけだな」
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