やけくそ

紫の空は相変わらず目に馴染まない。カモフラージュ機能が故障した霊体マンタ……海洋生物型遊覧船は、今日もノビノビと紫色の空を遊泳している。


見ているだけで頭が痛くなるような光景に対し、足を止める者は一人としていない。天候制御機構の調色設定が異常をきたし、RGBの値がズレただけの空には、通常天候のタグ付けがされているからだ。


スキップで隣を歩く光に釣られて、繋いだ腕が上下に揺れる。光と登校するなんていつぶりだろう。同じ制服に着こんだ光は新鮮で、ずっと見ていられる。


「このままだと遅れちゃうかも。座標移動する?それとも時間をストップしちゃう?」

「……たまには遅刻してもいいだろ。ゆっくり行こう」


楽しそうに跳ねる光の横を、両手を伸ばし両足を一本に揃えたT字でスライド移動する通行人が通り抜ける。顔の半分は黒い泥で埋まっている。あのNPCはもう長くないだろう。


「あ、今日って英語の授業あったっけ?」

「あるけど……教科書忘れたか?」

「うへへ、適当に複製しちゃおっか」

「俺の貸すから一緒に見ればいいだろ」

「……!それイイ!凄く良い!!」


指先を俺に向けて破顔する。そういえば中学生の光は忘れ物が多かった。だが昔の事を考えても意味はない。なにせこの記憶が全て電気信号で作られた仮初のもので、不登校の光の元に通う周防海という設定は、高校入学と共にスタートしたものなのだから。


光は何度もこの日常を繰り返している。俺と光を取り巻く環境を何度も変更して、毎回異なった学生生活を送っていた。一つ前では同じ高校に進学し、同じ運動部に入って切磋琢磨していたようだ。運動部に所属している光はあんまり想像がつかない。

引きこもりという設定は前にもやったそうで、マンネリ解消のために電波設定を付け加えたが、あまり上手に演技できなかったそうだ。


『海くんは私が適当に考えた設定もちゃんと覚えてるんだもん。困ったよ。空から街を見回すだけの遊覧船を絡めて霊体マンタって言ったから、自動バグ取り

で遊覧船のカモフラ機能までフリーズした時はびっくりしちゃった。私だって何なのか知りたいよ……霊体マンタってさぁ』


微苦笑を浮かべて話す光は、あっさりと謎を解き明かしてくれた。


ビルでの一件は、バグの自動除去機能。霧原市の外に出れないのは、そこから先が作られていないから。一般市民が異変を認知出来ないのはNPCだからだ。

だからと言って光は全てを語ってくれたわけではない。


どれだけの間この世界に居たのか。俺の死因や、それまでの記憶。とてもNPCには思えない相良の正体。

これらを問われると、光は頑なに口を開けなかった。『そんなこと知ってもどうにもならない』と言って、うやむやにされてしまう。


今ではそれでも良いと思っている。大切なのは、残された時間をどう過ごすかだ。


「この世界はね、もう限界なんだよ。私が馬鹿なばっかりに……完璧じゃなかったの。実際に運用してみるとバグが沢山見つかって、崩壊を続けてる」


「バグが更なるバグを生み出して……自動バグ取り機能で片っ端から消していってもイタチごっこだった。壊れた部分を削って削って削り切っちゃって、もう

殆ど残ってないの」


「多分もう長くないよ。最後がどうなるか誰にも分からない。存在が消えるのかもしれないし、もしかしたらデータの藻屑になって、永遠にこの世界を彷徨う

かもしれないかもね。……でも、それでも海くんは一緒に居てくれるよね?」


光の言う通り、終わりが近づいているのだろう。どれだけの時間をあの入り口がない家で過ごしたか分からない。

外に出ると空が変色して、壊れたNPCが街を徘徊し、テクスチャ剥がれが至る所に散見されて、自動バグ取り機能が忙しなく稼働している。


「全然忘れ物しないし、海くんはしっかりしてるね」


思考の海に沈んだ意識が浮上する。いつの間にか学校の前まで来ていたようだ。


「まぁ俺は基本全部置き勉してるからな」

「それは威張って言う事じゃないと思うよ」



黒板の隅に白いチョークで10月48日と刻まれて、横には火と金が融合したような謎めいた文字が描かれている。並べられた机は疎らに消えて無くなっていた。穴あきで並べられた机は元の半数ほど。1クラス四十人だったはずなので、恐らく半分のNPCはバグに浸食されて除去されたのだろう。

相良の机は消えて空いたスペースになっていた。光が空中で指を滑らせると、俺の隣の席に座った。


「この椅子硬いね」


アルミと木で出来た椅子は、座り心地が良いとは言えない。また光の指が空を切ると、美容室のソファのようなクッション性の高い椅子に変わる。


「他が全部同じだからか、めちゃくちゃ目立つな」

「海くんも同じのにする?」

「いや、これでいい。座り慣れてる」


少し嘘をついた。周りから指摘されないとはいえ、周囲から浮いている椅子を使うのは気が引けた。


「よお海じゃん。お前学校来るの久々じゃね?」


背後から声が聞こえる。振り返るとクラスメイトである瀬尾が居た。席に着いた瀬尾は一見問題がなさそうだが、よく見ると顔のテクスチャがかなり簡略化さ

れている。両目は四角いブロックになって、口は赤いブロックが飛び出だしてるだけだ。鼻も、凹凸ではなく平面に黒い線が引かれているだけだ。


「う~ん、最適化が阻害されてて、少しでも処理を軽くするためにこうなってるのかなぁ」


光が興味なさげに補足した。


「……あれ、小森じゃん。学校来たんだ、珍しいな」

「気が向いたら来るよ。一応生徒だし」

「一応生徒ってなんだよ。あーあ、俺だってもうちょっと勉強が出来たなら、小森みたいに登校免除になれたのになぁ!」

「もうちょっと、じゃ足りないでしょ」

「厳しい事言わないでよ、ちょっとだって僅差僅差」


瀬尾と光は面識が無かったはず……きっと情報は上書きしたんだろう。俺みたいに。

始業のチャイムが鳴った。担任の先生が教卓の前に立つ。


「縺輔▲縺輔→蟶ュ縺ォ縺、縺代?縲ゅ?繝シ繝?繝ォ繝シ繝?繧貞ァ九a繧九」


耳に届くのは、逆再生された音声に、何重にもエフェクトをかけたような異音。短い間に声のピッチが乱高下して、とても言語のようには聞こえない規則性のない音の羅列。


俺が肩を竦めると、光はせせら笑って首を横に振った。時間割通りならば、一限目の授業は担任の先生が受け持っている科目だ。五十分も意味不明な言語で捲し立てられたら退屈で死んでしまう。


「先生、小森さんが体調悪いみたいなので保健室に連れて行きます!」


返事を聞く前に光の手を取った。直ぐに意図を察した光は「そういう事なんで保健室行ってきます!」と敬礼みたいなポーズを取ると、先生の何言ってるか分からない反論を無視して教室を出る。


「フフ、登校初日からサボるってダメダメだよ?」

「あんな声しか出せないのに授業もクソもねぇよ」


階段の踊り場まで来ると足を止めた。さて、せっかくサボるならサボりに相応しい事をやりたい。光も黙ったまま瞳をキラキラと輝かせ、こちらを見つめてい

る。期待されてるんだ、下手な事は言えない。


「屋上行ってみよう、サボりと言えば屋上だろ」



階段を登り、屋上への扉の前に立つ。扉は施錠されている。たしか屋上は飛び降り防止で立ち入り禁止になっている。


「……開けようか?」


五指を虫みたいにワキワキと動かしている光がそう聞く。確かに光なら開けられるだろうが……それは粋じゃない。屋上に忍び込む時はこれに限る。

力を込めて扉を蹴ると、当たり所が良かったのか一発で空いた。辛うじて蝶番は繋がったままだが、ドア本体はくの字に曲がり、もう施錠はできないだろう。


「うわ!ワイルド~!」

「初めてやったけど意外と一回でイケるもんなんだな」

「だね、何回も蹴ってたら少しダサかったかも」

「……次からは辞めとくか」


屋上は四方を背の高いフェンスで囲まれ、ウレタン防水材の床は張り替えたばかりのように綺麗で、ひび割れ一つない。鳥の糞や汚れで人が立ち入れないような環境も想定していたので、少しほっとした。

フェンス越しに見えるのは霧原市の町並み。紫色の空を緑色のマンタ泳いでいる以外は、平凡で変わらぬ景色が広がっている。周囲を住宅街で囲まれ、遠くに駅が見える。


「空の色が違うだけなのに気持ち悪いね」

「手動で変更できないのか?」

「出来るけど、五分くらいしたら自動制御で勝手に変わっちゃうの。その自動制御自体がバグっちゃってる」

「もう~お手上げ!」と諸手を上げて投げやりに叫ぶ。そのままクルクル回って、ゆっくりと背筋が曲がって地面に手をついた。

「……気持ち悪い」

「仮想空間でも三半規管が狂うって不思議な話だな」

「うぅ……細部に神は宿ると言いまして…ぅ!」

「無理して喋んなって」


光がそのまま地べたに横になろうとしたので、俺が先に座り膝を叩く。いくら仮想空間とはいえ直に寝かせるのは気が引けた。俺の膝を枕に寝っ転がる光は、

まだ気分が悪そうだ。


「うわぁ、ゴツゴツする」

「じゃあ枕でも出せよ」

「このままでいいもん」


光の髪を撫でながら空を見上げる。少なくとも高校一年の春……相良と出会って以降の記憶は作られた記憶ではないはずだ。

その頃は、今のようにバグが目立つことはなかった。あの家に閉じ込められて、どれだけの時間が経ったのかは分からない。

しかし加速度的に崩壊は進んでいる。もしかしたら明日には全てが終わっているかもしれない。


『もし世界が明日終わるなら何がしたい』と言う、何度も使い回されてきた命題がある。まさか自分がその立場に立つとは思いもしなかった。特段やりたいことはない。


だからと言ってこのまま不意に、それこそ電源が落ちるみたいに消える間際で何も思わないかと問われればそんな事は無い。

きっと寸前で、今まで隅に隠れていたやりたい事がこっそり顔を出して、今更になって出てくんじゃねえよって後悔して消えていくんだろう。

多分死ぬ時も同じだ。人の最後は後悔で終わる。確固たる確証はないが、そんな気がしてならなかった……もしかしたら俺の最後がそうだったのかも。


なら今できる事は、最後の後悔をしょうもないモノで終わらせない事じゃないか?人生の最後が『もっかいラーメン食っとけばよかった』とか『昨日迷った服やっぱ買っとけば』なんて情けなさすぎる。後悔が最後に来るなら納得のいく無理難題がいい。変えようのない過去とか、死者の声が聞きたいとか、そうなこと。


焦燥感が汗みたいに滲みだす。俺はここでのんびりしていていいのか。今すぐにでも光を連れて学校を飛び出すべきじゃないか。膝を枕にした光に目をやると、寝息を立ててすっかり寝入っている。クソ、こんなに気持ちよさそうに寝てる光を起こせっていうのか。

切歯扼腕としながら出した答えは静観。けれど時間を無駄にするわけじゃない。口元に垂らした涎で俺のズボンを汚す光を横目に、必死で頭をひねり、やりたいことを絞り出していた。


最初の一歩から踏み外している気がする。

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