これって完全に……
コンビニを出てから一時間が経った頃、俺は自転車を止めた。目安の目的地までは、あと少しだ。だが、行く手を阻むように「工事中」の看板が立ち、道幅いっぱいに張り巡らされたブルーシートが視界をふさいでいる。
ここら付近は住宅街で、どこも細い道が続いている。アプリの画面上で別の道を探すが、どうやら分かれ道が少ないようだ。一旦は西に進むしかない。
「400mぐらい先に分かれ道があるから、そこまで行ってから北に向かおう」
「わかった。それにしても大きな足場が組まれているが……一体何の工事だ、これは」
西に向かうとちょっとして分かれ道に差し掛かった。分かれ道は車一台通れるかどうかといった道幅だ。少し先に道幅ギリギリの中型のトラックが停車しており、自転車どころか徒歩で通れるような隙間も残っていない。
「くそ、またか」
「ここって停車してはいけない所だろ。マナーがなってないな」
仕方なく別のルートを探して進むと、唐突に踏切が見える……電車か、嫌な予感がする。曲がり角を曲がり踏切に近づくと、耳を打つカンカンという警告音が鳴り、真っ赤なランプが点滅し始める。遮断機が下りて行く手を塞がれた。
「……まさかな」
「一応聞くけど、他の北に向かう道はどう?」
警告音がずっと響く中で、スマホを開く。次は600mほど先で、今度は大通りに面している。いくら何でも、大通りならば進めないという事はないだろう。
一応電車が来るまで待った。待って、待って、ずっと待って、いつまでたっても電車は来ない。人を不快にさせる警告音はすっかり耳に張り付いて、幾重に重なって聞こえてくる。
「じれったいな。よし、行くか」
相良はためらいもなく遮断機を掴み、持ち上げる。そのまま線路内の左右を確認する。
「な、おい!危ないぞ!」
「しっかり周囲を確認すれば大丈夫だよ。よし、行こうか」
手で自転車を押しながら、相良が線路内に立ち入った。倫理的な忌避感で、俺は二の足を踏んでいたが、構わず突き進む相良を見て、意を決する。
入り口で一度止まり、線路内の左右を確認する。すると、視界の奥に強い光を見た。光は徐々に強くなる。それが車両の光であることは直ぐに気が付いたが、何処か違和感があった。そして正体に気がつくと、反射的に体が動いた。
「相良ぁ!!」
その場に自転車を放り捨て、全力で駆けだした。俺の声に反応した相良が、もう一度周囲を確認して、立ち止まった。相良の腹に腕を回し、後方へ引きずり倒した。
次の瞬間、金属がねじ切れる歪な高音が響き渡って、轟音と共に暴風が吹き荒れる。相良の手から離れた自転車は、地面に倒れるより先に鋼鉄の塊に砕かれ残骸が飛び散った。
前の前を通り過ぎる電車は異常の速度で突き進む。違和感の正体は速度だった。通常であれば視界に車両が映ってから、踏切に到着するまで二十秒はかかるはず。
だが尋常じゃない速度で運行する車両は、五秒も経たずに踏切を経過した。相良が直前まで気が付かなったのも無理もない。まさか普通の電車が新幹線のような速度で向かってくるとは思わない。
相良を抱きかかえながら、背中を地面につけて這うように後退した。距離を取ってから何とか立ち上がり、遮断機の下を潜り車両から距離を置く。
「あ、ありが、と。周防」
「……おう」
相良は全身を震わせ、呂律が上手く回っていない。俺もそうだ。あと数秒遅ければ相良はミンチになっていたかもしれない。目の前で通り過ぎる電車の風圧が、それをより如実に実感させた。車両は未だ途切れることなく、行く手を塞いでいる。
いくら何でも長すぎる。物流用の運搬車両だとしても、連結されている車両は此処まで多くない。再び顔だけ線路に出して、電車が来る先を見ると、視界の奥から無限に伸びた車両が反対側まで途切れることなく一本の棒みたいに続いている。気味の悪いだまし絵のような光景だった。
「こりゃまいったね」
半ばやけくそ気味に相良が言う。俺も全く同じ気持ちだった。ここまでくれば、恐怖や困惑を飛び越えて何だか馬鹿らしい。露骨過ぎて笑いすらこみ上げる。
「水族館は当分行けそうにないな」
自転車の荷台に相良を乗せて、大通りを目指してペダルを漕いだ。壊れた自転車は放置した。不法投棄みたいで不安に思ったが、相良が「大丈夫だから」と何か確信があるように言い切った。大通りも確認すると決めたのは俺だ。ダメもとではあるが、相良は反対をしなかった。
交差点にたどり着く。十字路になっていて、左……北に進む。
「歩行者が見当たらないな」
背後に乗ったままの相良が耳元で囁いた。耳に息が絡んで思わず肩をすくめる。確かに、目に見える範囲では歩行者が見当たらない。形の無い不安に襲われる。このまま進んだとして、何かしらの妨害に遭うのは確実だろう。
「念の為だ、歩道で行く」
「そうだね。車両が突っ込んで来たら、今度こそ死んでしまう」
誰も居ない歩道に車輪を滑らせる。舗装されたアスファルトをゆっくりと進んだ。今のところ何も起きない。至って平凡な道中だ。しかし五分程漕いだ辺りで違和感を覚えた。初めて通ったはずの道に既視感があるのだ。まるでついさっき通ったみたいに。
道端にケバブ屋を見つけた。陽気な中東系の店員が笑顔で客引きしている。ちょうどいい。コンビニなら目印にならないが、流石にケバブ屋は近所にそう何個もないだろう。店員の顔を目に焼きつけて通り過ぎる。ケバブのスパイスの効いたいい香りを胸に納めて通り過ぎる。
昼と比べて陽射しが弱まってきている。相良の体重分重みを増したペダルは重たいが、漕ぐことはできる。舗装された平坦な道なら何とかなるが、道中に何カ所かあった坂を思うと億劫になった。それにしても相良は自転車の事を両親にどう説明する気なんだろう。電車に轢かれて壊れたとは言えまい。あ、ケバブ屋発見。まさか盗まれたことに……いや大事になっても面倒か。
相良がバランスを崩さないようにゆっくり自転車を留める。脚をつき、ハンドルに肘を乗せてため息を吐いた。クソみたいだよこの街は。
「……相良。俺より先に気づいてたろ」
「そうだよ。君が二週目に入った辺りで、すでに」
「黙ってた理由は?」
「僕はちゃんと目で語り掛けていたのに」
「馬でも真後ろまでは見えねぇぞ」
「ウサギなら360度見えたのにな」
「知識で上回ってくんなよ」
「だが視力は0,1ぐらいだし、近眼だ」
「なおさら口で言えよ」
どういった構造で道がループしているかは分からない。だが不可思議な事が続くと、段々頭が麻痺して、そういうものだと受け入れてしまう。
これでハッキリした。俺達は閉じ込められている。
振り返ると最初のスタート地点が見えた。五分以上は漕いだ筈なのに二百mも離れていない。諦めて帰路に着いた。
「……これ、最初の地点に相良を立たせて、俺が自転車を漕いだらどう見えるんだ?」
「僕のカンでしかないが、それは辞めておいた方がいい。ビルでの出来事を思い出してくれ」
脳裏に昨日の一件がよぎる。白紙が飾られた額縁。壊れたように静止した観客。黒い泥に飲み込まれていく建物。昨日のことなのに、まるで遠い昔のようだ。
「異変は僕達が白紙の絵画を指摘してから、より顕著になった。猛獣の巣穴を突く様なものだよ。下手に刺激すると面倒な事になるかもしれない」
「なるほど、確かに相良の言う通りだ。でもそれだと……ゲームのバグみたいだな」
俺がそう答えると、荷台に座った相良は黙り込んだ。前を向いて漕いでいるので、相良の顔は見えない。
「……それは、どういう意味か教えて貰ってもいいかな。残念ながら僕はあんまりゲームに詳しくなくてね」
俺も別に詳しい方じゃない。光の部屋に行った時にやる程度だ。そのゲームで近しい現象が起きた。
「偶に建物の裏側……テクスチャ?の内側に操作キャラが入り込む事があるんだよ。本来なら入れないエリアなんだが、偶にバグで入り込む事があって。それで来た道を引き返すと壁を通り抜けて元の空間に戻れるんだけど、そのまま内部を進むと床が抜けたみたいに地面に沈んだりするんだ」
「……そうか。そうなると……ゲームはどうなるんだ?」
「ゲームに寄るが、上空に移動して落っこちたり、そのまま沈み続けてゲームがクラッシュしてフリーズするかだな」
「そうか……そうか」
相良の声は怯えを含んでいる気がした。たかがゲームの話で大げさだと思ったが、少し引っかかる。いや、まさかな。そんなわけがない……そんなわけないよな?
不意に、相良の腕が俺の腹部に回される。同時に背中に伝わる柔らかさと圧迫感。相良の凹凸を否応でも感じ取ってしまう。それまで荷台のフレームを掴んでバランスを取っていた相良が前触れなく抱き着いてきたのだ。急なボディコンタクトに驚いて、バランスを崩しそうになる。車体が左右に揺れるが、何とか持ち直した。
「な、なんだよ。急に」
「なぁ、周防。僕に隠している事あるよな」
装った猫撫で声だ。それでも背筋はゾワゾワして、背中の感触に意識が裂かれてしまう。
「な、何の話だよ!」
「隠さなくていいよ。昨日の空に浮かぶ透明なマンタを見て、霊体マンタと言っていたじゃないか?何か宛てがあるんだろ。隠し事なんかしてないで教えてよ」
相良の指先が腹部をなぞる。くすぐったいのと、むずむずとした感覚が同時に昇って意識が強制的に割かれてしまう。頬の内側を噛んで自制する。
「そんな事言ったか?…き、気のせいだろ」
「覚えてるよ。全部覚えてる。僕が忘れるわけないだろ。確かに言っていたよ。それとも焦らしてるのかい?」
耳に息を吹きかけられ、またバランスが崩れる。振子のように車体が揺れて制御がつかなくなるが、地面を強く蹴って、何とか正常に戻した。
「あのね、周防。秘密はいつかバレるから秘密なんだ。嘘をつくのが苦手なことくらい君が一番分かっているだろう?さっさと吐き出してスッキリしたくないか?早く言っちゃって楽になろうよ。ほら、早く言えって」
擽るように相良の腕が俺の体を蹂躙する。色んな箇所が弄られて、思わずブレーキを駆けて自転車を止めた。色々と大丈夫な部分だけに手が伸びているが、それをいじらしい思う気持ちがあって恥ずかしい。
光が何か知っているのは間違いない。口が立つ相良を光の前に連れて行けば、きっと何かしらの情報を引き出せるだろう。でも無理だ。だって光は相良の事を知っている。デートをした事も全部。もし光と合わせたら……どちらかの関係が解消されるか、最悪両方とも台無しになる。
俺の言い分が最低なのは自分が一番分かっている。それでも嫌だ。絶対に嫌だ。選べない、選びたくない。しかし俺の本能がそう叫ぶ度に、状況を俯瞰している俺が声高に非難する。周囲に起こっている異変は普通じゃない。ビルが消えて道路はループして霧原市に閉じ込められている。問題を放置しても好転する事はない。でも嫌だ!俺はいつまでも相良と光の間で揉まれていたい!
「分かってるんだろ?このままで良いわけがないんだよ。夢はいつか覚めるから夢なんだ。それに……閉じこもったのは彼女の意志かもしれないが、それを助長させているのは間違いなく君なんだぜ」
盤面はひっくり返ったみたいに頭が真っ白になる。相良は今何を言った?閉じこもったのは彼女の意志?それは……光の事を知っていないと出てこない言葉だろ。振り返ろう首を回すが、相良の腕が首を掴み固定する。
「……何言ってんだよ」
「周防と最初にキスをした日、覚えているかい?好きな娘が自分に恋愛感情を持っていなくて落ち込んでいた日のことだよ。どうして僕があそこに居たと思う?僕の家は遠く離れているのに、何の用事があったと思う?」
デジャブみたいだった。光に相良とのデートを指摘された時のような、言いようのない不安が噴き出してくる。なんなんだよ。光も相良も、どうして俺の隠し事を知ってるんだよ。
「もちろん僕から切り出す事も出来るよ。でも、そしたら彼女が傷つくかもしれないね。それに僕も……いざ目の前にした時に何をしでかすか分からない」
「……脅迫のつもりか?」
「花を持たせてあげてるんだよ。大義名分が必要?愛しの彼女は、間違いなく霧原市の異常に噛んでいるよ。だから僕達で追及しに行くんだ。君も真実が知りたいんだろ?」
相良の手に力が籠められ、強引に背後を向けさせられる。連動して体も回り、半身になった。
「僕を信じてくれ。それとも周防は僕が信じられない?」
俺を問い詰めているはずの相良の形相は、とても尋問をしている人間の表情じゃない。首に添えられた指は微かに震えていて、いつも飄々としている筈の相良が年相応の普通の少女のように潤んでいる。もしここで拒絶してしまったら、この場で泣き出してしまうような気にすらさせる。
首が勝手に左右に揺れて口が開く。もう、どうにでもなれ。
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