探偵ランチスクープ
駅に着くが、相良の姿は見当たらない。それもそのはず、集合は13時。時計の針はまだ12時半を指している。予定より三十分も早い。
最初は、時間まで適当に時間を潰すつもりだったが、先ほどの事もあり、何かを行うという気分にはなれなかった。
それに以前のデートの事もある。「先に着いた方が偉い」とは考えてないが、今日ぐらいは別にいいだろう。
クーラーの効いた駅構内のベンチに座り、どこを見るでもなくぼんやりとしていた。するとタイミングを合わせたようにスマホが振動した。相良からだ。
「もうついてる?」
短い問いに、一瞬返事をしようと指を動かしかけたが、ふと考え直す。今自分が座っているこの場所からは、以前の集合場所がよく見える。けれど、その周囲に相良の姿は見当たらない。
『着いた』と答えてしまえば、三十分も前から待機していることが相良に伝わってしまう。余計なプレッシャーを与えるかもしれない。「気がつかなかった」とでも言えばいいだろう。無視を決め込もうともう一度スマホの画面を見る。
照明に照らされたスマホ画面に、自分の顔がうっすらと反射する。無表情で画面を見る自分が写り、そのすぐ隣、画面の端に誰かの影が映りこんでいる。心臓が一拍大きく跳ねた。ゆっくりと振り返る。そこには座っている俺を見下ろす相良が立っていた。
「やぁ、周防」
フレアデニムパンツに黒いロンTをタックインさせた相良は。ニコニコと笑顔を浮かべ、手のひらをこちらに見せつけている。
「……いつからここに?」
「いつからと言われれば最初から。周防を呼びつけて時には、僕は既に駅に居たんだ」
なるほど。どうやら同じことを相良は考えていたようだ。でもビックリするから、次からは気を使わないでくれないかな。
「じゃあ、行くか」
「そうだね。それにしても……ずいぶんと早くから待ってるじゃないか」
「それで用事はなんだ?」
「通知も無視していたが一体どうしてだい?まさか急かさないように?」
「駅に集合だなんてどうしたんだ。まさかもう一度水族館に行こうってか?」
「……ふふ。そういう事にしてあげるよ」
相良が勝手に歩き始めたのでついて行く。
どうにか押し切れたみたいで良かった。
「あ、そうだ」
思い出したように相良が振り返った。
「次から15分より前に来るのは禁止。これ以上は不毛な争いになる」
相良について行くと本線のホームに着いた。街に向かう支線ではなく、水族館などの遠出する時に使う路線。夏休みとはいえ平日の昼下がり、人影はまばらだった。ホームに差し込む陽光は静まり返った空間に広がり、時間の流れを曖昧にする。
「それで……どこに行く気なんだ?まさかこのまま水族館に行くのか?」
だとしたらマズイ。前のデートプランは流用できるが、心の準備が済んでいない。だがそんな不安をよそに、不敵な笑みを浮かべた相良はホームに設置された椅子に座り込む。
「説明するのも難しくてね。あと五分もしたら分かるよ」
答えになっていない返答に、首をひねりながら隣に座った。電光掲示板を見る。次の電車は五分後に来るそうだ。
「昨日の事があったにしては、随分と落ち着いてるね……何かあったのかい?」
「ちょっとな。ここに来る前に色々あって、その反動で今はかなり落ち着いてる」
「……ごめん。もしかして自慰の最中に呼んでしまったか?」
思考が停止して、再起動する。
「……違う」
「スゴイ。確かに冷静だ。もっと慌てると思ったが」
「確かめるならもっとTPOに即してくれ」
定刻を迎えたが、電車は一向に来る気配を見せない。なんだか既視感に駆られる。まさかと思い鉄道会社のウェブサイトを調べると、昨日と全く運休の告知が目に入る。
「嘘だろ」
近隣の駅で発生した人身事故による一日運休。昨日と全く理由。同じタイミング。同じ文章。重なるはずのない出来事が目の前で繰り返されている。
「ここは暑い。一回涼しい所に行こうよ」
相良は落ち着いていた。相良が見せたかったもの何なのかそれを朧げに理解する。これだ、きっとこれを見せたかったのだ。反射的に空を見上げた。雲一つない青空が広がっている。もちろんマンタなんかいないし、霊体拡散電波なんてものも見えない。
互いに昼ご飯を取っていなかったので、駅近くのファスト―フード店に入った。よくあるセットを頼み、揚げたてのポテトを頬張った。もし光との事が無ければ、今頃ご飯も喉に通らないまでショックを受けていたかもしれない。頭では絶えず疑問が湧き出ているのに、心は意外と落ち着いてた。
「やっぱりこういう雑なのが一番美味しいよ」
ハンバーガーにかぶり付いた相良は満足気に呟く。
漫画とかだと口にソースが付いたままになってたりするが、勿論相良はそんなことない。どうやったら手や口を汚さないで食えるのか。ソースでドバドバになっているハンバーガーを丁寧に頬張っている。ソースが多いバーガーを注文しているのを見て、こっそりトレイ置きからナプキンを回収していたが、使い道はなさそうだ。
「十時頃かな、駅に行って電車を待ってみたんだ。実は僕も一日運休が引っかかっててね。それに昨日の事もあったろう。もしやと思って待ってみるとだよ……どうなったと思う?」
「……まさか、そんなこと」
「そのまさかだよ」
相良は肩をすくめ、お手上げと言わんばかりに両手で空を仰ぐ。
「……一日運休ならどうして電光掲示板に次のダイヤが表示されていたんだ?見間違えなんかじゃない。五分後に次の電車が来ると表示されていた筈だ」
「うん、僕も確認したよ。そこがおかしいんだ。僕も二時間くらい前に、君が座っていたベンチに座りじっくり考えたんだ。何せ二日連続の運休だからね。そんな偶然あるものか。そしたらね……電車が来たんだよ。運休している筈の本線の電車が。急な運休だからね、てっきり乗客を降ろすもんだと思っていたが違ったよ。ちゃんと乗客は電車に乗り込んでいったよ。直ぐに確認すると運休は解除されていた」
相良はスマホの画面を見せつける。さっき俺が確認した鉄道会社のウェブサイトだ。運休と記載されていた筈の告知画面は、何も記載されていない。
「乗ろうとしない限り、こうなるんだ。まるで僕達を霧原市に閉じ込めているみたいに」
閉じ込められている。目の前で起こった現象だけを見れば、確かにそうだろう。だがそれはいささか発想が飛躍しすぎていないか。
「相良が最後に本線の電車を利用したのはいつだ?」
「ウチは車移動だから……実は利用したことがなくてね。周防は?」
「覚えている範囲だと小学生とかだな。いつだったか覚えてないが、確か親と一緒に乗った事は覚えている」
「じゃあ最近こうなったのかもしれないな」
最後に本線の電車を利用したのは、随分と前の事で鮮明には思い出せない。だが「利用していた」という事実だけは確かに残っている。いや、待て。それよりおかしな点は電車が運休になる事よりも……。
「相良は、本線の電車に乗り込む乗客を見たんだよな?」
「間違いないね。僕たちが乗ろうとしなかった本線の電車は、ダイヤ通りに運転されていた」
背もたれに体重を預け天井を眺める。両手で口を覆い、ため息を吐いた。生暖かい息が顔にかかる。疑問が無限に湧き出てくる。それを無秩序に吐き出してしまいたい衝動に駆られるが、意味をなさない事も分かっている。
「つまり……この異変に気が付いているのは、少なくとも俺達だけか」
「僕が知る限りではそうだね。普通の人は電車に乗って、何不自由なく暮らしてるはずだ」
スマホを取り出して、クラスメイトである瀬尾に連絡を取る。電話を掛けると、すぐに連絡がついた。
「もしもし、海?どしたー?」
スマホ越しに聞こえる声は底抜けに明るい。いつも通りの瀬尾だ。相良にも聞こえるようにスピーカーをオンにする。
「瀬尾さ、本線の電車あるだろ」
「本線って街じゃない方の路線だろ。それがどうかした?」
「最後に使ったのはいつか覚えてるか?
「最後?……一か月くらい前に乗ったけど。なに?どういう質問」
相良が自身に指を指し、通話の交代を願うのでスマホを渡す。
「やぁ瀬尾、ちなみに本線の電車で突然運休になった事はあるかい?」
「相良じゃん。え、運休?……う~ん、ないと思うけど。多分」
一か月前。瀬尾は確かにそう言った。3その言葉が真実であれば、異変は一か月以内に起きたということになるが、瀬尾が「普通の人」なら、その情報もまた参考にならない。
「え、てか二人でいんの?夏休みに?え、え、それって」
あ、マズイ。
相良が持ったスマホを奪い取り「ありがと、じゃあな」とだけ言って電話を切った。すぐに折り返しの電話がかかってくるが着信拒否にする。今度は短文のメッセージが連投されるが、通知を切ってだんまりを決め込んだ。
「あーあ。バレてしまったなぁ。でも周防から電話をかけてんだから仕方ないよなぁ」
心底楽しそうな相良が、長いポテトをこちらに向けて茶化してくる。他人事みたいに。お前だって揶揄われる対象に含まれてるというのに。
「相良は良いのかよ。お前も言われんだぞ」
「?……別に問題はないよ。それとも周防は嫌?」
上目づかいで覗き込むように問いかけられる。Tシャツの首元が浮いて、その中身まで見えてしまいそうだ。視線をすぐに上げて、相良の目を見た。相良の首から下は存在しない。存在しないから。それより下に目線を下がる必要はない。目だけを見るんだ。
「詮索されて、勝手な憶測が広がっていくのが嫌なんだ」
「だったら隠そうとしないで本当の事を話せば?」
そういう事だけど、そういう事じゃないんだよ。いや、相良も分かった上で揶揄っているのか。
「とにかく……電車が使えないなら、他の方法で市外に出れるか確かめるぞ。街に向かう支線は路線が横に伸びているから……北か南だな」
「強引だなぁ。まぁいいや。実は僕も、電車以外の方法で境界を探ることは考えていたんだ。ちなみに周防、これから暇かい?」
「大丈夫だ。それじゃ、何処まで行けるか探ってみるか」
こうなることを予期していたのか、相良はバッグからプリントアウトした霧原市の地図を取り出した。地図には北南に流れる本線と、東西に流れる支線が描かれている。コンパスも取り出した相良は、支線のちょうど中間地点に針を置き、終点の駅に鉛筆を合わせると円を引いた。綺麗に引かれた線は、反対側の
終点とも重なり、見事な円を描いた。
「この円自体はあくまで目安だけど、取りあえずこの円を超えるまでは行ってみようか」
円の最北地点から現在地までの距離を調べると、ざっと三十キロ。自転車を使えば3時間ほどの行程だ。外はカンカン照りが続いている。おそらく険しい道のりになるだろう。
光の事を相良に話すべきか迷った。光は何かを知っている。根拠はないがそう確信している。
だからといって相良に光の話をしても何か得るものがある様に思えない。
……いや、嘘だ。違う。俺は嘘をついている。
話が拗れるのが怖いんだ。話が拗れて、この不安定な関係が崩れるのを恐れている。光に対する劣情を抱えたまま、相良との逢瀬を楽しみにしている自分がいた。
「じゃあ行こうか。帰る頃には涼しくなっていると祈ろう」
相良の話には引っかかる点がある。それは相良が駅に向かった事。運休になったからといって、わざわざ翌日に確かめるだろうか。ビルが消えたんだぞ。他に調べる事はいくらでもあるだろうに。それにさっきの会話もだ。どこか結論を誘導されているように思えた。明確な確証があるわけじゃない。俺の杞憂であればそれでいい。だが手放しで信じ切ってもいいのだろうか。
光は俺の知らない事を知っている。なら相良も何か知っていてもおかしくないではないか。いや、咀嚼できない異常事態が連続して疑心暗鬼になっているだけかもしれない。だがいくら悩んでも答えは出てこない。なら少しでも判断材料を集めるべきだ。
店を出ると、湿った熱気が容赦なく体を包み込んだ。まるで街全体が「待ってました」と言わんばかりに熱烈な歓迎をしてくる。これで片道3時間か──心の中で思わずぼやく。帰りたくなる気持ちを無理やり押し殺し、自転車のペダルを踏み込んだ。
真夏の日差しが殺人的に降り注いでいる。下からは殺人アルファルトの熱線攻撃が続いて、殺人生ぬるい風は余計に熱気を加速させる。ついにこの星の自然が自我を持って、地球に巣くう寄生生物達に牙をむき始めたのではないかと思わせるほどに暑かった。
汗が額を伝い、首元に染み込む。時折振り返ると、相良も同じように汗だくでペダルを漕いでいる。湿った前髪がおでこに張り付いて、頬に触覚のような髪の毛がぴたりとくっついていた。
自転車を漕ぎ始めてもうすぐ1時間だ。そろそろ休憩した方がいいだろう。
通り道で見つけたコンビニに自転車を留める。何も言わずにコンビニに寄ったが、相良は意図をくみ取ってくれたのか、それとも限界だったのか。黙ってついてくる。
コンビニの自動ドアが開いた瞬間、冷気が全身を包む。冷蔵庫の中に飛び込んだような涼しさが、火照った体を一気に癒していく。相良の分の含め、スポーツドリンクを4本カゴに入れた。
「少し多くないか?」
すっかりヘタってる相良が、息も絶え絶えに尋ねてくる。
「相良の分の入れてる」
「ぁ、そう、か。ありがと」
反応が薄い。本当に大丈夫か、これ。熱中症や脱水になってないだろうか。コンビニの中にはイートインが併設されている。暫くはそこで休むのがいいだろう。
レジ前ではアイスクリームやかき氷が売っていた。相良は先にイートインに座り休憩している。チョコとバニラのソフトクリームを注文した。て店員さんからアイスを受け取ると、相良が待つ席に向かった。
「チョコとバニラ、どっちがいい?」
「……バニラ」
残ったチョコの方を頬張った。疲れた体に甘味が染み渡る。血液の代わりみたいにアイスクリームが血管を巡って、上昇した体温を冷やしてくれてる気がした。
「……甘い」
無心にアイスを頬張る相良は見るからに疲れていた。いつもの気取った様子は影を潜め、どこか素直で無防備だ。
「どうしたんだい、ジロジロ見て」
「いや、疲れて見えたから。……ここで終わりにするか?ここからは俺が1人で向かって、結果だけ伝えるから」
「大丈夫だ。それに自分の目で確かめた」
地図アプリで現在地を確かめると、目的の場所まであと半分の位置まで来ていた。予定より早いペースだ。だからこそ、相良の消耗も激しいのだろう。
相良がジト目を浮かべていた。目線の先には俺のソフトクリームがある。
「一口いる?」
「いる」
コーンの部分を持って先端を向けた。相良は動物みたいに首を伸ばして口に含んだ。動物の餌付けみたいで、少しだけ倒錯的な感情が混じる。舌の先が少しだけ茶色に染まって、味を比較するように噛みしめている。
「バニラの方が好きかもしれない」
今度はバニラを差し出される。お返しということだろうか
相良を真似して、手を使わず直接口に含む。ふんわりとしたバニラが舌に溶ける。何だかチョコレートより甘い気がした。
目線を上げると、相良がこちらを凝視していた。頬には薄紅が指して、瞳は俺を捉えてるのに、焦点が合っていないみたいに宙を彷徨っている。やっぱり体調は良くないみたいだ。
「……大丈夫か?やっぱり相良だけでも」
「ん…あ、あぁ!大丈夫だ!大丈夫。僕は大丈夫だから」
大げさに否定する相良はソフトクリームを一気に平らげた。
「そ、それにしても周防は平気そうだな。昨日もおんぶしてもらって思ったが、なかなかに体力がある」
「お、おう。一応中学まで陸上やってたらからな。でも相良の方がすげぇよ。炎天下なのにずっと付いて来てるし」
「ん、少し引っかかる言い方だな」
「え、あ、ごめん。そんなつもりは無くて、ただ男女で基礎体力に違いがあるから、それで」
「冗談だよ。勿論分かってる。ただニュアンスには気を付けた方がいいぞ~。僕みたいなめんどくさい奴が揚げ足を取ってくるからな」
イートインエリアの壁はガラス張りになっていて、外の様子がよく見える。今も目の前を小学生くらいの子供たちが汗だくのまま無邪気に駆け抜けていく。笑い声が熱気の中に溶けて、消えていく。
一見すれば、ここには何の異変もないように思える。いつも通りの日常。だからこそ狭間に潜む異常が恐ろしく映る。もし電車が使えない理由が、俺達をこの街に閉じ込める為だとしたら……その境界には何が待ち受けているのだろうか。昨日から続く異変に対する答えを見つけたい自分と、どうか何も起こらないでくれと祈る自分。その二つがせめぎ合っていた。
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