楽しいね

テストが終わると入れ替わるように夏休みに突入した。


順位は真ん中くらい。光の助力が無かったら赤点もあり得ただろう。

テストが終わっても俺の勉強は続いた。検索履歴には、普段なら絶対に打ち込まないであろうキラキラした語群が並び、甘ったるくて溶けそうになる字面を、頑張って頭にぶち込んでいく。下手すれば、テストよりこっちの方がしんどいかもしれない。


車道側は危険だからってなんだ。田舎の道なら分かるが、街中だとむしろ歩道側の方が危ないだろ。

勿論、これらの知識が安全うんぬんの話じゃなくて、そういった細かい気遣いが思慮深さの証明だという事は理解できる。だからこうして頭に詰め込んでいるわけだが、納得はできない。


色々詰め込んで真っ先に浮かんだのは……せめて週一、二回くらいでもバイトをしておけば良かったという後悔。時間に融通を利かせるため、中学校から続けてきた陸上を高校では辞めたわけだが、週に二回ぐらいなら時間を作る事ができたろう。

自分で稼いだお金だったら変に意識せず『奢る』と言えた。だが労働経験のない俺が自由に使えるお金は、お小遣いやお年玉といった『親の金』だけ。『親の金なのにしたり顔で奢るのはダサい』『初デートくらい男なら奢るべき』そんな意見を睨みつけて、頭を抱える。


最低賃金の半分とかでいいから、今すぐ働ける仕事をくれよ。



夏休みに入って最初の水曜日。相良と待ち合せをしている駅に向かった。


この霧原市には路線が二つある。一つはこの辺りで一番栄えている中心部……通称『街』が終点駅である支線だ。中心部は少し歩くだけで地名が変わるので、俺らは総称して街と呼んでいた。住宅街の中心にぽつんと建っている霧原第二高校は、周囲に遊べるようなお店が殆どない。遊ぶとなると自然と街一択になる。

街ならば昔から通い慣れているので、お店選びには困らない。だが問題点がある。それは街に行けば必ず誰かと顔を合わせてしまう事だ。今は夏休み。エンカウントの確率はかなり高まっている。


ならば選ぶべきはもう一つの路線、それは県全体を横断する本線。

どこかのサイトで『初デートは水族館が良い』と書いてあった。水族館は少し外れた所にあり、行くには本線に乗る必要がある。もちろん水族館近隣のお店も一通りチェック済みだ。


駅から水族館まで約一時間。十時半に集合して、現地に着くと、事前に目を付けている喫茶店で昼ご飯を食べる。食後に水族館を楽しみ、夕方くらいに出ると、陽が落ち切る前に集合場所の駅に変えることが出来る。我ながら悪くはないプランだろう。

問題があるとしたら奢るべきか奢らないべきか、それだけ。その時の俺はそう思っていた。


十時半の待ち合わせだったので、十分前につく様にする。駅前の駐輪場に自転車を置いて、駅構内に入ると、すでに相良が待っていた。

そういえば相良の私服を初めて見る。高校で知り合った相良とは、まだ四か月くらいの付き合いで放課後に集団で一緒に遊ぶ事はあったが、タイミング的にいつも制服だった。


ベルトが強調されたグレーのプリーツスカートに、幾つかの色合いがストライプ状にはいり幾何学模様をした半袖ニットをタックインさせている。小さなバッグを肩にかけて、スカートの端からは黒いブーツが見えて肌を全て隠していた。


何とか言う……大人っぽい。制服姿はストンとした直線的なシルエットだが、相良の私服は上が引き締まっていてスカートに行くにつれて横に広がっている。確かこういうのをAラインと呼ぶのだっただろうか。

一方、俺はというと半袖の開襟シャツにスラックス。マネキン買いした没個性ファッション。マイナスにならなければいい、という雑な意識が服装からにじみ出ているようで、少し恥ずかしくなる。


「ごめん、待たせた」

「いいさ。待ち合わせの時間よりは早い。僕が早すぎただけ」

「いつから待ってたんだ?」

「……秘密」


次は待たせないように目安の時間を聞いてみるが、相良は教えてくれない。

目安が分かれば、次からその時間に合わせようと思ったが、秘密なら仕方ない。もし次があれば一時間前から待機していよう。


「私服……始めて見たけど、凄い新鮮だ」

「新鮮?そうか、新鮮か」

「それと、似合ってる」


光で学んだ。こういう時は、素直に思ってることを口に出すべきだ。

相良が褒められて赤面する姿は想像できないが……もし見れたら少し嬉しい。


「ありがとう、そういう時はもっと細かく褒めた方が良いだろうね」


相良は誇るように胸を張って答える。もっと細かくか…なるほど。目線を上下させ、全体をよく観察した。


「服のシルエットが制服と違うから……いつもよりスタイルが良く見える」

「まだ足りないね」

「色合いが寒色でまとまって大人っぽい。何と言うか…相良の良さが凄く際立ってる」


言ってる最中は頭がフル回転だったので、あまり恥ずかしくなかったが、言い終わってから冷静になり、頬が少し熱くなる。視界の中央は首から下に向けて、視界の端で相良の顔を見た。


「……じろじろ見すぎ、もっとスマートにしてよ」


口を尖らせて、眉を顰めている。それはどの感情なんだ?。そのまま相良が、何事も無かったように駅構内に進んでいくので、急いで後を追った。

滅多に使わない路線だから、乗るホームが違って新鮮だ。平日の昼間ということもあり、ホームにいる人の数は少ない。このまま誰にも会わない事を祈るばかりだ。

ホームに設置されたベンチに並んで座り、電車を待つ。しかし一向に電車は来ない。スマホに表示された時間で確認しても、すでに定刻は過ぎている。


「遅延か?」

「どうだろう、いまウェブサイトで確認する」


相良がそう答えてスマホをフリックする。「…あ」という普段の相良からは聞きなれない素っ頓狂な声と、ホームに備え付けられた電光掲示板に遅延の文字が流れたのはまったくの同時だった。


「人身事故で今日は一日運休だって。ほら」


相良がスマホの画面を見える。そこには簡素なフォントで『当面運休』と記載されている。


「……電車が一日運休ってあるか?人身事故でも普通は数十分くらいだろ」

「でも書いてるから仕方ないんじゃないか」

「まだ昼前だぞ。夜間も運行だってあるのに、決断するにしては早急すぎやしないか」

「やるやる言って結局できませんでした、よりはマシなんじゃない?」


相良はそんな事もあるだろと言わんばかりに平然としている。俺は内心かなり焦っていた。

デートプランは俺が考えると相良に宣言しているから。計画に運休は盛り込まれていない。本線の電車が動かないとなると、全部おじゃんだ。まずいぞ、これから全てをアドリブで乗り切らないといけないのか?


相良が含みある微笑を浮かべ、目を細める。動物園の動物を見るみたいな視線。それが何を意味するのか直ぐに分かった。


こいつ……俺の焦ってる姿を見て楽しんでやがる。


デートプランは相良にも伝えてある。だから、全てが白紙になった事も伝わっている。今の俺は相良にとって、支えを失った張りぼてだ。もともと不慣れな状態で、それでもリードしようとする俺をポップコーン片手に観戦しているに違いない。

頭をフル回転させて、即興でプランを考える。頭の中に天秤があった。デートに失敗した頼りがいの無い男と、周囲からの生暖かい視線。答えは一つしかない。


「街に行こう……それでいいか?」


勢いをつけて言ったのに、語尾が少しだけ弱まった。相良は楽しげに破顔した。


「いいよ。こんな日だからこそ、今日は楽しいデートにしようか」




電車に揺られながら、俺は必死に脳内シュミレートを繰り返していた。

初デートだ、相良が行ったことない店を選んだ方がいいだろう。記憶を探り、隠れ家的なお店を必死でリストアップしていく。くそ、どれも相良なら行ってそうだ。

そんな俺の苦慮を更に加速させるように、相良は質問攻めを敢行してきた。


「今日は凄く天気が良いね」「…そうだな」「日焼け止め持ってるけど、使うかい?」「今はいいや。最近は籠りがちだから」「部活をしてないから?」「あぁ」「じゃあむしろ焼きたい気分?」「かも」「まぁ、そうだな。男は少し焼けてるくらいが一番健康的に見える」「あぁ」「街なら誰かに見られるかもしれないな」「そうだな」「周防は恥ずかしがりそうだ」「恥ずかしいよ」「胸を張れよ。そんなこと言われると、相手に問題があるかもと誤解されるぞ」「……ごめん」「ふふ、僕に理解があって良かったな」「本当にそう思う」「本当にそう思っているか?」「思ってる」「まぁいいや。この前クーラーを使用せずに一夜を過ごしてみたんだ」「そうか」「窓を開けて扇風機を付けていたが……起きると寝間着が汗でぐっしょりだった」「それは大変だ」「あぁ、就寝時の熱中症もあるそうでな。周防も素直にクーラーはつけて寝ろよ」「肝に銘じておく」



全く考えがまとまらねぇ。少し黙っててくれないかな。


勿論わざとやっているのだと分かっている。何せずっと揶揄うように笑い、話しかけてくるからだ。さては…デートを楽しむのではなく、デートをリードしようと悪戦苦闘する俺を見て楽しもうとしているんじゃないか?そう思えてならない。


街について最初に向かったのは喫茶店だった。以前クラスメイトの瀬尾が彼女とのデートで使ったと、教えてくれたお店。店内には落ち着いたジャズが流れていて、内装は昭和レトロな雰囲気で統一されている。

背筋を伸ばし、たおやかに座る相良は店の内装を見渡して口を開いた。


「へぇ、うん。雰囲気がいいね」

「まぁな」

「周防はよく来るの?」

「それはもちろん……」


俺は普段喫茶店なんか入らない。もっぱらファーストフードやラーメンが主流だ。少しの量で千円を近くかかるお店に、好き好んで入りたいと思わなかった。でも見栄を張りたくてつい『もちろん』まで口にしてしまった。だって普段から通ってたら、なんかかっこいい感じがする。


「…………滅多に来ない」

「正直なのは良い事だと思うよ」


普段行かない店に連れてくるとか、デートで背伸びしてる奴みたいで居た堪れない。でも嘘をついてもバレそうだ。なにより相良に嘘が通用するとは思えなかった。


「正直な周防に一つ良い事を教えてあげよう」

「なんだよ」

「実はね、僕は喫茶店に来た事がない」


驚いた。大人っぽい相良は、てっきりよく通っているのかと。


「意外だ。てっきり通ってるもんだと」

「雰囲気より質を優先するタチでね」

「喫茶店にも質はあるだろ、たぶん」

「僕の言う質は量だ。安くてお腹いっぱい食べたいんだ」

「実は俺も。じゃあ、次は質を重視した店にしとくか」

「次?…次ね。フフ、じゃあ次はそうしようよ」


失言に気が付いて顔が熱くなる。

俺がコーヒーにトーストが付いたセットを頼むと、相良はコーヒーとショートケーキのセットを注文した。俺が八百円で、相良は九百円。これぐらいであれば俺の小遣いで何とかなる。だが連続すると難しい。やはりアルバイトを始めてみるべきか。


「相良はバイトした事あるか?」

「アルバイトだったらないね。どうした?欲しい物でもあるのかい」

「そんなとこ。週に一、二回ぐらいやっとこうかなと」

「良いじゃないか。労働は素晴らしいよ。社会に自分の価値を刻みつける事が出来る素敵な行為だ」

「バイトしたことないんじゃないのか?」

「アルバイトはね」

「……相良の家って自営業だっけ?」

「ふふ、秘密。僕は秘密が多い女だからね」


あんまりそれを自称する女はいない。そうツッコミを入れる前に、注文したセットが届く。湯気が立ったコーヒーに備え付けのミルクと砂糖を入れてかき混ぜる。慣れてないせいで、スプーンがカップの縁に小さく音を立てる。なんだか恥ずかしい。


「周防は雑だなぁ」


喫茶店に来た事がない筈の相良は、慣れた手つきで音をたてずに混ぜている。

器用だな。……いや、違うか。普段喫茶店に行かないだけで、家ではコーヒーを豆から焙煎して飲んでいるのかも。実家が喫茶店だとすれば?これが正解な気がする。家の手伝いであればアルバイトではない。

俺は指を鳴らし快活に言い当てる。気分は名探偵だ。


「相良の家って喫茶店経営してるだろ」

「え、全然違うけど」


違うのかよ。





「僕も出すよ」


会計の際に相良はそう言って財布を取りだそうとした。内心揺れてはいたが、レジ前でごたごたするのは好きじゃない。「じゃあ、後でな」と言って先に二人分の料金を払って外に出る。


俺はお小遣いが多い方じゃない。でも今回の会計は2000円もいかないぐらいだ。流石にこの値段で出させるわけにはいかないだろう。だって、男だし。


「別にいい。最初だし」


根底に残っている名残惜しさを悟らせないように、少し気取って答えた。でも相良は納得がいかないみたいで、反論し始める。


「僕はそういうタイプの女じゃない。それに互いにバイトをしてないんだから、同じじゃないか」

「同じだけど違う。俺がそうしたいから払ったんだ」

「お金で男らしさを表現するのは安易だよ。でも楽に走る道を覚えてしまえば、行うべき努力も怠けてしまいかもしれない」

「それなら、俺が怠けた時に相良が教えてくれ。そしたら直せるだろ」


何で俺は、自分を追い詰める選択ばかり選んでいるんだ?自分で言っておいて疑問を感じたが、勢いで飲み込む。多分そんなもんだから。


「……じゃあ、次は相良が出してくれ。それでおあいこだ」


適当にぼかす。こういうのは時間を置けばうやむやになる。そうネットに書いてあった。


「……へぇ、いつもそうやってんだ」


相良が訝しむように言った。“いつも”とは多分光の事を指しているんだろう。 もし光とデートを重ねていたのならこんなに悩む事も無かったろう。


「してない。誰かとデートしたのなんて今日が始めてだ」

「ふ~ん」

「嘘じゃないって」

「それで、次の予定は決まっていたりするのかい?」

「……駅前のビルの中に色んな店とか映画館が入ってるから、そこで店とか見ながら映画見たり…みたいな」


語尾が少し弱まったのは、自分でも納得いってからだろう。無難を選んだにしては詳細を固められていない。


「なるほど。ちゃんと頑張ってる」


何か言いたげな相良は、言葉を選んでいるようだった。


「考えて貰った側がでしゃばるのは良くないだろうけど、ちょっとは僕も考えてみたんだ。もし周防が良ければ、僕の案に乗る気は?」


口調から後ろめたさが伝わってきた。でも俺にとってはありがたい提案だ。行きたいところがあるなら初めからそう言ってくれ。本当に、お願いだから。


「でしゃばってるなんて思わない。行きたいところがあるなら、どんどん言ってくれ。ぜひ行こう。さぁ行こう。よし行こう」

「そうか、なら——良かった」


ほっとしたように息を吐いた相良を見て、当たり前だけど相良も不安に感じたりするんだな思った。そりゃそうか。いつも余裕を見せているから、つい忘れそうになるが、相良も所詮は高校生のガキなんだから。



耳につんざく電子音が鳴り響き、薄暗い店内には色とりどりの電光が目にダメージを与えるように点滅している。音と光が交錯して、非常にやかましい。


「どうせなら、二人じゃないと出来ないことをやろう」


訪れたのはゲームセンターだった。小さなビルが丸ごとゲームセンターになっていて、UFOキャッチャーの筐体で埋まっていた1階をスルスルと抜けて、大型の筐体がある階にたどり着く。


「相良はよくゲームセンターに来るのか?」

「いや、前に皆で来ただけだ」

「それいつの話だ」


「前の金曜」


なるほど、俺がちょうど風邪で寝込んでいた時期だ。


「皆でって……ゲームセンターに皆で出来そうなのなんてあったっけ?」

「ちょっとクレーンゲームやって……エアホッケーをしたぐらいだ」

「あ、エアホッケーがあったか」


多分前に皆で来たというのはここなんだろう。相良は入り組んだゲームセンター内を迷いなく進んでいく。そうして目的の筐体にたどり着いた。

それはプリクラのような箱型の大きな筐体だった。両脇にある入り口はカーテンで仕切られ、外装にはゾンビのおどろおどろしいイラストが描かれている。


「前に見つけたんだ。二人までしかプレイ出来ないから皆でやるわけにもいかなくてな」

「確かに。一人でやるには敷居が高い」

「ん?いや周りの目を気にならないが……こういうのは二人でやる様に設計されているんだから、二人でやった方がより楽しめるだろ」


より全てを楽しめる……か。もし今日電車が運休しなくて水族館に行けていたら、展示されている魚の生態を全部暗記するぐらい前のめりで回ってそうだ。

ソファーのようなシーツに横並びで座る。筐体の中はあまり広くない。膝と膝が触れ合ってしまう。目の前にセットされたハンドガンを抜き取って、互いに100円を投入した。


目の前のモニターに車に乗った男女が表示される。

どうやらゾンビパニックが起きた街を車で駆け回りながら、ゾンビの親玉を倒すのが目的のようだ。ゾンビの親玉ってなんだよ。


「怖いのは苦手かい、周防」

「人並みだな。相良は?」


その横顔を見たら、答えを聞かずとも分かる。大きく弧を描いた口元が、裂けてしまいそうなほど開いている。


「……大好きだ!」


相良が弾を放つ。ヘッドショットを食らったゾンビは一撃で倒されていく。俺もハンドガンを構えて、こちらに襲い掛かるゾンビに向けて引き金を引いた。頭が弱点らしいので頭を狙うが、的が小さいので上手く当てられない。仕方ないので的のデカい胴体を狙ってみるが、それではなかなか倒しきれずに、せわしなく引き金を引き続ける。


相良はどうだろうと横を見て、仰天した。

相良の放つ弾丸はその全てがゾンビの頭部を打ち抜いている。一発も外さずだ。ハンドガンの構え方からしてなんか違う。両手で真っすぐ構えている俺と違い、ギャングが銃を構える時のように、水平に構え片手でぶっぱなし、終いにはこちらのカバーまでしてくれている。


「相良…初めてやるみたいに言ってなかったか」

「ん?そうだが……どうかしたか?」

「初めてにしては上手過ぎやしないか」

「そうか……?僕は運動ができる方だからね」

「運動神経とこれは絶対に関係ない!」


作中のシーンに合わせて俺達が座っているシートが激しく振動した。

ガタガタ揺れて、照準が合わせずらくて仕方がない。


「うお!凄いな周防、遊園地のアトラクションみたいだ」

「くそ、指先が震えて照準が合わねえ」

「ビビっているのか新兵、黙って撃ち続けろ!」

「何キャラだよ、それは!」


最初は人型ゾンビだけだった敵も次第に多種多様なものに変わっていく。空を飛ぶ鳥人間ゾンビ。全身が硬化しているアイアンゾンビ。仏像と融合した仏ゾンビに、手足に重火器を植え付けられたアンドロイドゾンビまで現れ、もうめちゃくちゃだ。

最初はホラーだったのに、いつの間にかハリウッドの馬鹿映画みたいなノリになってきた。


「そうだ、こうしたら震えないだろ」


相良が腕を伸ばし俺の肩を抱いた。上から体重が掛かり、尻がシーツに沈む。首の裏を相良の皮膚がなぞり、ぞわぞわとした感触が走る。


「んッ…!」

「どうした?女の子みたいな声を出すじゃないか」

「うるせぇ、いきなり触られたら誰だって声出るだろ」


相良は左手で俺の肩を抱いたまま右手を伸ばし、ゾンビを撃ち続けている。

なんだよこの状況。だんだん相良が助手席に女を連れてドライブするこなれた男に見えてくる。

利き手で銃を構えながら、反対の手で相良の腕を離そうとするがガッシリ掴まれてるせいでなかなか剥せない。そうこうしてるうちに、俺のキャラの体力が尽きてしまった。


「一回腕離せ。コンティニューするから」

「あ、ちゃんと復活してくれるんだ」


死んだからここで終わり、なんてつまらない事を言うつもりはない。財布から百円玉の幾つか取り出すと、投入口の上に塔みたいに並べて、一枚投入する。


「どうせやるならクリアまでやるぞ!」


力を込めてコンティニューボタンを押した。



ラスボスを倒した後の画面にはリザルトスコアが表示されている。

俺の評価はCで相良がSだ。ダメージと被ダメージの量、それにコンティニュー回数で評価が決まるみたいだ。俺はクリアまでに600円を費やした。相良の援護がなければ二倍は使っていただろう。ちなみに相良はノーコンティニューだ。絶対初めてじゃないだろ。


それにしてもトンチキなストーリーだった。ゾンビの原因は宇宙人が作りだしたウイルスだし、親玉を倒したらと思ったら時空に穴が開いてタイムスリップが起こるし、何故かジュラ紀に転移して蔓延る恐竜ゾンビを全部倒したと思ったら世界の上位者が現れるし。これまでの出来事は全て主人公たちの妄想の出来事であると告げられるが、それは上位者のついた嘘で、最後はこれまで倒してきたゾンビたちの力を借りて上位者を打ち倒す……改めて考えても意味が分からない。


外に出て、相良と一緒に伸びをした。ずっと暗くて狭い筐体の中に居たから、外に出るだけで開放感がある。


「次の展開を予測させないストーリーだったな。終始驚きっぱなしだ」

「予想させないストーリーというより……無秩序だろあんなの」

「そうか、僕は面白かったがな。どんな手段を使えばこのストーリーで責任者に納得させる事ができたのか。色々と考察が捗る」

「嫌な部分を考察しようとするな!」


相良のお目当てをクリアした後もゲームセンターでの散策は続いた。

ダンスのゲームでは相良と同じダンスを踊っていたはずなのに、俺だけ無様な盆踊りになった。パンチ力を競うゲームでは、俺が普通にスコアで勝つと「なんだ、男の子じゃん」と言われドキッとした。クレームゲームでは「重さと傾きを計算し、適切なボタンを離せば確実に取れる」と豪語した相良が、全然取れなくて珍しく頭を悩ませていた。


クレーンゲームには確率機と呼ばれる筐体が存在する。一定の金額に達するまで、アームの力が極端に弱く設定されている筐体の事だ。

その事を相良に伝えると、憤ると思いきや意外にも称賛しだした。

「よく考えられている」だそうだ。ゾンビゲームの企画がどう通ったのか考察すると言っていたし、相良は裏の仕組みについて考えるのが好きなのかもしれない。




気が付けば、ゲームセンターに来て3時間近く経っていた。


クレーンゲームで少なくないお金をつぎ込んで得たのは、大きな犬のぬいぐるみ一つだけだった。ゲームセンターで貰ったビニールに無理やり詰め込んでるから、袋は歪な形でパンパンに膨れている。袋を持つというより抱えるように、俺が持って歩いていた。ぬいぐるみ自体は相良のだ。


「気になる所がもう一カ所あるんだ。どうだろう」


そう言って見せてきたスマホには、この辺で開催している展覧会の告知画面が表示されていた。モノトーンでおしゃれな感じでまとめられた画面には『現代アート展』と書かれている。


現代アートと聞いて、ピンとくるものはあまりない。テレビで特集を一回見た記憶があるが、確か会場に男性用便器をそのまま置いただけだったり、壁にバナナを張り付けてだけのものを作品と評していた。


「展覧会…芸術に関しての知識は全くないが、それでも大丈夫なのか?」

「知らない。僕だって初めて行く」

「そうなのか、てっきり好きだから気になったんだと」

「分からないから行くんだよ。せっかく二人でいるんだ。全然だめだったら夕食の時に一緒に腐せばいいだろう?」


確かにその通りだ。でもそれってどっちかが好きになった場合どうするんだ?

まぁ状況によって話を合わせればいいか。話を合わせる事は苦手ではない、中学の終わりからずっとやっている。


「このデカいぬいぐるみ、どうするか」


脇で挟むように抱えているぬいぐるみを体の前で構えて、相良に聞いてみる。何となく展覧会と聞くと厳かなイメージがある。流石にドレスコードとかはないだろうが、大きな荷物を持っていたら浮くんじゃないだろうか。


「いいんじゃない。そのままで」

「そういうもんか?」

「もし駄目だったら入り口で預かってもらえばいいよ」


預かってもらうか。確かにそれならいけそうだ。

車道側に歩くことを意識して並走する。クーラーの効いた室内にずっといたせいか、外は余計に暑く感じて、背中が汗ばんでいる。人影はまばら、で二人の足音だけが響いていた。


「……喫茶店もゲームセンターもそうだったけど、今日だけで沢山の初めてを経験してしまった」


前を向けながらも目線だけを相良に向けた。でも相良は前だけを見ていたので、目線を戻す。


「俺もだ。展覧会なんて初めて行く」

「デートを例に上げないという事は……?」

「だから……デートも初めてだ。初めてだった」


喫茶店もゲームセンターもそうだ。少なくとも自分一人だけだったら行くことはないし……光と一緒に居ても来る事は無かっただろう。光とでは全てが部屋の中で完結してしまう。


「周防、君にとって素敵な話をしてあげよう」


一拍置いて相良が息を呑む音が聞こえた。


「これから僕が喫茶店やゲームセンター、展覧会だって……誰かとデートする時だってそうかもしれない。おそらく僕は……周防の事を思い出すと思う。そういえば初めて来たときは周防と一緒だったなぁとか、周防だったら今見ている光景に対してどう思っただろうとか、そんな感じの事を思って、君の顔が頭に浮かぶ。人は声から忘れていくから、どんな声だったか分からなくなって、いつかきっと顔すら思い出せなくなったとしても…君と色々な場所を回った事実だけは忘れることが出来なくて、僕はそうやってこれからの長い人生を過ごしていくんだと思う」


再び隣を見れば相良の力強い瞳と重なった。

眼球が糸でつながったみたいに繋がって離せない。古い過去を懐古するように、その瞳は俺を通して俺ではない何かを見つめていた。遠く海岸線に消えていく船をただ港から眺めているような。手を伸ばせばきっと届いたというのに。

その瞳は既視感があった。でも何時だったか思い出せない。でも何度も見た気がする。


わけもなくイライラした。感情が勝手に先行して、あても走り出す。どうして俺は憤りを感じているのだろう。


「勝手に過去にするな」


頭の中で言葉を組み立てるより先に音になった。そこでようやく自分の抱えている感情に理解が追い付いた。


「何も始まってないのに終わらせようとするなよ。俺は察しが悪いから何か駄目な所があったんだろうけどさ……でもせめてここは良くないから辞めてくれとか、そう言ってくれれば直すから。だから……勝手に完結させるなよ」


きっとここまでで、俺には分からない粗相があったのだろう。相良にとって許容できない大きな粗相が。でもせめて、何処が良くなかったかぐらいは教えて欲しい。勝手に終わりにするのは余りにも……いや、待てよ。


デートの初めから振り返る。電車の運休はしょうがないし。でも光だった場合は?そりゃデート中に光だったらこうはなってないだろうなと連想したが……それが伝わっていたのでは?女のカンと言う言葉もある。それに相良にとって俺と光の関係は不快極まりない物だろう。もし顔に出ていたのだとしたら…完全に俺が悪い。デート中に他の女の事を考えるなんてご法度だ。


嫌な汗がこめかみに伝う。表情に出ないよう顔に力を入れるが、きっと顔色は誤魔化せていない。地に足がつかないような錯覚に襲われ、体がぐらぐらする。

しかし相良の反応は予想と反していた。両手で顔の下半分を隠し、開いた目を泳がせて、虚と突かれたような顔を浮かべている。


「そんな風に、見えた?」


掠れた声だ。恐怖や不安というよりは、動揺している自分に驚いているような。


「そうでもないと、そんな言い方しないと思って」

「……そうか。そうだ。確かに、うん。」


相良が突如、力強くかぶりを振った。綺麗にセットされてた前髪は乱れ、口の端に細い髪が張り付くほど乱れている。突然の奇行も何も言えず茫然と見つめた。パチンと両頬に手のひらで叩いた。毛細血管が破れた頬は少しずつ赤らんでいく。両手が離した相良はいつも通りの顔に戻っていた。


「訂正させてくれ。別にこれで無しとかは全く思っていない」

「お、おう」

「本当だよ、誓ってもいい。僕がいま抱えている感情の全てを周防に伝えられなくてもどかしく思うほどには」

「……あぁ、そうか」


突然の豪速球をどう返したらいいのか分からず、そっけない返事になってしまった。


「嘘じゃない。それを今、証明してみせよう」


そう言うと相良は俺の手を取り、路地裏に引き込んだ。大きなぬいぐるみを落とさないよう必死に抱えながらも、相良の強い手の引きに逆らえない。ビルの間の狭い空間に入り、壁際に押し付けられる。相良の手が顔の横に伸び、もう片方の手が俺の顎を優しく持ち上げた。


直感で、次に何が起きるのか分かった。


これまでの触れるだけのキスとは違った。

形を歪ませるように口唇が強い押し当てられる。激しい感情が肉体を超えてぶつかるみたいに、荒々しく重なって吸い付いてくる。種子が発芽するように、相良の舌の先が少しずつ口内に侵入してくる。爪の先ほどの長さまで入り込んだ舌は、唇の裏に当たるとすぐに引っ込んで、唇ごと離れていった。

相良の呼吸は荒く、微かに頬が紅潮している。俺も、最初にキスした時はこうなっていたかもしれない。俺の場合は最初からディープキスだったので余計に。


「これで証明になったかな」


手の甲で口元を拭った相良が挑発的に微笑んだ。

髪が乱れ、息を荒げ、口元を潤ませている相良はとても煽情的だ。


「……わか、分かった、から。一回、出るぞ」


バクバク震える心臓に手を置いて、路地裏から出た。

手のひらを見ると少し黒ずんでいた。壁際に押し込まれた際に、支えとして手を置いた換気扇の汚れが付いたんだろう。もしかしたら相良の手も汚れているかもしれない。


「トイレとか入って、どっかで手を洗おう。いいだろ?」


落ち着きを取り戻したい一心で、そう提案する。展覧会に行く前に、一度頭を冷やす時間が必要だった。こんなんじゃまともに絵が見れねぇよ。



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