プロローグ 黒白 下

 私の告白大作戦は結果からいえば大成功だった。あのおまじないがどれほど効果をもたらしたかはわからないけど背中を押してくれたのは確かだった。

 彼とは長い付き合いで今さら好きですなんて言えなくて。こんなことは正直初めてだった。いつもは普通に告白できていたのに。

 そんな私が偶然にも聞いたのが怪異屋の話だった。怪異がどうとか怪しい部分はあったと思ったけれど"これだ"と思った。

 そうして嬉しいことに彼と付き合うことができた。今までに感じた事のない幸福感を私は感じていた。これが本当の恋だったんだと今は思う。

 だけど恋と勉強で忙しくて中々自由な時間を作ることができなかった。でも充実した生活で特に何の問題もなく過ごせている。そんな風に思っていた。


「ノノちゃんってこれ、嫌いだったけ?」


 何気ない一場面、学食で友人とお昼を食べているときだった。私が食べ残したものを見て友人がそう聞いてきた。そう気にすることではないことかと思うかもしれないけど言われてあれ? て思ったんだ。

 そういえば最近好き嫌いが増えたなって。いや、増えたとかそういうんじゃなくて、好き嫌いがはっきりするようになったんだ。

 一度気づいてしまうとふとしたことで前までの自分との違いが気になって仕方なかった。そして気づけば私は妥協というものができなくなって人とぶつかることが多くなっていった。ダメだとわかっていても自分を抑えることができなくて正直気持ち悪かった。

 そして今朝彼と喧嘩してしまった。100%私が悪いのはわかっていたけれどどうしても引くことができなかった。

 もう学校に行きたくない。誰かとぶつかるのが怖くてしかたなかった。その日は授業は受けられず保健室で泣いて過ごした。

 ふと顔を上げると不自然な場所にドアがあった。だって入口はあっちにあるのにそこにドアがあるなんておかしい。でもそういったドアには覚えがあった。

 私は保健室のベッドを下りると縋る思いでそのドアへと近づいて行く。私はドアノブに触れた瞬間異様な気配を感じた。このドアの先に何かいると直感的に感じる。

 本当にこれはあの場所につながっているドアなのか。そんな疑問が浮かびかけたが私はそれを無理やり振り払う。今の私は一度疑えばもうこのドアを開けられなくなってしまう、そんな予感があった。

 ここで必要なのはいつもの思いっきりの良さだ。私は勢いよくドアを開けて中に飛び込んだ。勢いよく飛び込んだせいで躓き転びそうになったところを受け止められた。


「あ、ありがとうございます」


 そう言って顔を上げるときれいな女性の顔が私の顔を覗き込んでいた。この人がツクヨミさんなんだと私は一目見ただけで何となくそうわかった。


「礼を言うのはまだ早いわよ。とにかく座りなさい」


 ツクヨミさんは私から離れて近くにあった椅子を引く。周囲に棚がない所を見るとここは以前のお店とは違う場所のようだ。この部屋は棚の代わりに等間隔に机と椅子が並んでいる。ただ何となく周囲の雰囲気が似ている気がする。


「怪異、「狭間部屋」。別名存在しない部屋よ。状況によって部屋の様相が変化するから以前あなたが入ったおへやも今いる処置室へやも本質的には同じ部屋よ」


 疑問が解けたなら座りなさい、とでも言うようにツクヨミさんは椅子の背を指で叩く。私は逆らわずに素直に椅子に座ると彼女は机に腰を下ろした。


「まずはようこそ、怪異屋へ。貴女の来訪理由はわかっているけれどその前にこちらから話をしてもいいかしら?」


 ツクヨミさんは優しく微笑みながらそう尋ねてくる。ツクヨミさんが親身になってくれてるように感じて自然と肩の力が抜け、私は頷いた。


「少しは顔色がよくなったようね。精神的に落ち着いたといったところかしら。数日黒白を体内に入れてその程度で済んでいてよかったわ。まあ、でも貴女が怪異を甘く見なければここまで悪化することはなかったけどね」


 その最後の言葉を口にしたとき彼女の瞳の奥が冷たく光った気がした。彼女は変わらず微笑んでいるが内心は冷めきっているような。


「貴女、ちゃんと説明は受けたはずよね。だって契約書にサインしたんだもの。あなたが買い取ったものは怪異だって理解していたはずよね? だというのにそれを放置だなんて愚かとしか言いようがないわね」

「そ、それは――」


 私は弁明しようと口を開いたが彼女に射竦められてそれ以上言うことができなかった。実のところ告白の後一度郊外には行ったのだ。昼間は学校とかデートとかで行けなかったから深夜に寮を抜け出して。だけど1時になっても鐘は鳴らないし、以前の場所にドアがなかったのだ。


「即返品、に来なかったということは目的は達成したんでしょうね。おめでとう。けれど浮かれていたなんて理由は怪異には通じないのよ。薬も転過ぎれば毒になる。まじないも過ぎればのろいになるのよ。怪異に長時間触れれば蝕まれ影響も強くなる。このまま放置していたら貴女だけの問題ですまなくなっていたでしょうね」


 ツクヨミさんの言う通りだった。私は浮かれていたし怪異のことを甘く見ていた。怪異屋を見つけられないならヒロトくんが言ったようにお祓いを受けに行けばよかったのだ。お金を渋ったばかりにこんなことになって……。


「途中で自分の変化に気づけて良かったわね。契約上私が手を出せるのは怪異による問題だけだからあなたが問題だと自覚してくれなかったら扉をつなげることができなかったもの」


 ツクヨミさんはそう言って肩を竦めた。


「こちらに不手際がなかったわけでもなさそうだしこれ以上は言わないでおくわ。次からは気をつけなさい。まだ怪異に関わる勇気があればね。話はここまでにして貴女から怪異を引きはがすわよ」


 そう言ってツクヨミさんが立ちあがった。それと同時にツクヨミさんから感じていたプレッシャーがふと消えた。


「引きはがすっていったいどうするんですか?」

「あなたは特に何もしなくていいわよ。売り物には色々と仕掛けをしてるから。あえて言うなら目を瞑っておいた方がいいわ」


 私は言われたとおりに目を閉じる。正直、少し怖かった。でも従わない方がもっと怖い目に合いそうだったから。

 しばらくしてツクヨミさんが私の周りをぐるりと歩いてる気配がする。その際に何か呟いているがよく聞き取れない。それが数分続きいた後、急に体から力が抜ける。まるで体の中から何かを引き抜かれたようなそんな感じだった。


「大丈夫かい?」

「はい。なんとか」


 全身が重くて運動した後のような疲労感はあるが倒れるほどでもなかった私はツクヨミさんに手を引かれて立ち上がり、ふらふらとドアの方へ向かう。やっぱりしんどいし少し保健室で休んでから行こう。


「えっと、ありがとうございました」

「待ちなさい」


 最後に礼を言って出て行こうとしたらツクヨミさんに呼び止められた。また何かあるのかと思ったら封筒を差し出された。


「約束通りの返金分よ。受け取りなさい」


 私は驚いてその封筒とツクヨミさんの顔を見比べる。


「こんなにしてもらったのに受け取れませんよ!」


 私はそう言って返そうとしたがツクヨミさんは一歩も引かなかった。


「貴女を助けるのは私の義務。そしてこの金を受け取るのがあなたの義務。わかったなら受け取りなさい」


 私はそれ以上言い返す気力もなく封筒を受け取った。改めて頭を下げて店を出るとそこは元の保健室だった。そっと振り返るとドアは出てきたはずのドアはどこにもなかった。私はばたりとベッドに倒れこみ、数秒でそのまま睡魔にのまれていった。



***


 僕は放課後になり、いつものルートを通って店に入ると店の様子がいつもと違っていた。

 何だこれ。会議室にでもなったのか?

 いつもなら棚が並んでいるところに机と椅子が並んでいる。いったい何があったのかと思い店の奥に行くとツクヨミさんがしげしげと瓶を眺めながら机に座っていた。


「貴方を待っていたわよ、ヒロト」


 瓶から僕の方へと視線が移動する。彼女が僕を待っていることなどあの日以外ではなかったことで僕は身構える。正直碌なことだとは思えない。


「僕、何かしましたかね?」

「……貴方、これに見覚えはあるかしら?」


 そう言ってツクヨミさんは手に持っていた瓶を投げて寄越してきた。何とかキャッチしたが危ないったらありゃしない。もしも僕が落としていたら大惨事だ。


「ああ、はい。覚えてますよ。お客さんが知っている人だったので。無事に戻って来たみたいでよかったですね」


 僕がそう返すと彼女の瞳孔が少し鋭くなった気がする。もしかしなくてもツクヨミさんの機嫌がよくなさそうだ。


「ええ。ちょうどさっきお迎えしたところよ。わざわざ外に扉をつないでね」


 ちょうどさっき……。確かあの先輩が来たのは1週間以上前だった気がする。それが今日返って来たとなると――


「ノノさんは大丈夫だったんですか!?」

「ええ、まあ。怪異にある程度耐性があったみたいで呑まれるまでには至ってなかったわ」


 ツクヨミさんの言葉に僕はほっと胸をなでおろす。彼女が望んで手を出したとはいえ知っている人に不幸になって欲しくはないから。でもどうしてノノさんはこんなに遅くなったんだろう。後回しにするような人ではなかったと思うんだけど。


「どうやら一度ここを尋ねてきたそうなんだけど入ることができなかったそうよ。さあ、どうしてかしらね?」

「……あれ?」


 確かノノさんは時計台の固定ドアから入って来たはずだ。あそこは基本入り方を知らなければ入れないはずで、そこから入って来たということは入り方を知っているということで――

 混乱している僕を見てツクヨミさんはわざとらしく大きなため息を吐いた。


「前提を間違っているわよ。入り方を知らなくても入れる時間を知っていればここに入ることは可能よ」

「ん? その2つの何が違うんですか?」


 時計台のドアを抜けてここに入るには鐘を聞くこととメモを目にすることが必要で鐘が鳴る時間を知らなければ入れない。うーん、メモを見ないと入れないことを知らなかった? でもそのことはすぐに気づきそうなことだし。


「あの子がここを訪れたのは何時か覚えてるかしら?」

「……昼間の1時ですね」


 昼休憩明けに入って来たのでよく覚えている。


「そして2度目に彼女が訪れたのは深夜の1時だった」

「え? どうしてそんな夜中に?」


 普通のお店ならもう閉まっている時間だしツーオペなこの店ももちろん店じまいしている時間帯だ。


「彼女が勘違いをしていたからさ。店が開くのは1時であるとね。扉をくぐれるのは鐘が鳴った直後。そして鐘が鳴るのは時計台が示した時計の時間だということを彼女は知らなかったということね」

「……」


 ここでやっと僕は自分のミスというものに気が付いた。彼女はここの入り方を知ってると思い込んで入店方法の説明を省いてしまった。それが今回の一因となったのは明らかだった。

 通りで現在進行形で機嫌がよくないわけだ。


「中途半端な情報を流したであろうにはあとでプレゼントを送るとして……」


 不吉な笑みを浮かべてツクヨミさんが僕に視線を送ってくる。


「ごめんなさい、ツクヨミさん!! 以後気を付けるので今回は勘弁してください!」

「……」


 僕が頭を下げて謝罪するがツクヨミさんは無言だった。頭を上げていいかもわからず固まっているとその頭にぽんと手を置かれた。


「今回は貸し一つということにしておくわ。借用書を増やすなんてことはしないから安心しなさい。損害が出たわけでもないから」


 そう言ってツクヨミさんは僕の隣を通り抜けて歩いて行く。


「えっと、ありがとうございます? ってどこ行くんですか!」

「散歩よ。今日はお店の方は頼むわ。何かあっても臨機応変に対応しなさい」


 僕が引き止めるのも虚しくツクヨミさんは僕が入って来たドアを抜けて出て行ってしまった。僕は気が抜けて近くの椅子に腰を下ろした。


「……このレイアウトでどうしろというんだよ」


 飲食店と間違われそうな状態をせめて直してから行ってほしかったと僕は一人嘆くことしかできなかった。

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