第4節 消えた名前と“契約の鍵”

アルマディナ――ラストレアの心臓。その中央に位置する「記録の泉」は、都市のあらゆる記録が収束する場所だった。白い珊瑚で築かれた円形の広場の中央に、青く発光する泉がある。泉の水は静かに回り、まるで呼吸しているように、わずかに揺らいでいる。周囲には光の紋様が広がり、そこに記された名と契約が、まるで星座のように連なっていた。

「ここが、“記録の泉”。契約を結ぶ者が、最初に名を刻む場所」

フラウがわたしを泉の縁まで導く。

その声は相変わらず軽やかだけれど、どこか張り詰めた空気を帯びていた。

「さて。君は“仮の名”しかないけど……まあ、大丈夫。この泉は“名を宿す意志”に反応するから。形だけでも、記録にはなるよ」

「……わたし、何をすればいいの?」

「この水に手をかざして。名を思いながら、“ここにいる”って、心の中で唱えて」

わたしは深く息を吸って、泉にそっと手を差し出す。冷たい。けれど、その奥に、確かな“何か”の気配がある。


 “わたしは、ここにいる。――シズク”

泉の水が、ぴたりと止まった。音が、空気が、世界のすべてが、一瞬、止まる。次の瞬間、光が走った。泉の底から――黒い影が、ゆっくりと浮かび上がってきた。名の連なりが、乱れる。契約の紋様が、崩れ落ちていく。

「……え?」

周囲にいた記録士たちがざわつく。ひとりの神官が走ってくる。

「誰だ、この名は……記録に一致しない。“存在しない者”が反応している!」

「いや、待て。紋様が……自己修復していない? まさか、“鍵”が――」

「やっぱり、か」

フラウがつぶやいた。どこか諦めたような声で。わたしが振り向こうとしたとき、泉の奥に何かがきらめいた。小さな欠片。まるで、古びた金属の破片のような……“鍵”。

それは、わたしの心臓のあたり――衣の内側に、最初から隠されていた。自分でも知らなかった。けれど、それはたしかにあった。

 「契約の鍵」――誰かが、そうつぶやいた。泉の光が消え、空気がどこか張り詰めたものに変わる。

「……記録の拒絶反応だな。契約に適合しない存在だ」

冷たい声が響いた。振り返ると、黒衣の神官たちがゆっくりと歩み寄ってくる。

「名を持ち、鍵を持ちながら……記録に適合しない者。君の存在は、王国にとって“脅威”だ」

フラウがわたしの前に立ちふさがった。

「待ってください。彼女はまだ何も――」

「沈黙を」

神官の一人が、空中に文字を描く。

その瞬間、フラウの声が止まった。まるで音が封じられたように。

「君を、暫定的に“記録保留対象”として拘束する。異例ではあるが――王国の安定が第一だ」

黒衣の神官の目が、わたしをじっと見据えていた。

 ――名を持っても、存在できないの?

 ――わたしは、ここにいるって、ちゃんと伝えたのに…胸の中に、鍵の欠片が静かに熱を持っていた。

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