麻婆豆腐

 新年を迎えてそろそろひと月が経とうかという水曜日。


 榊は上司からの指示により休暇を取らされていた。昨年末に大宮で発生した事件が発端で連勤が続いており、じわじわと精神と体力が磨り減らされてはいたが、自分ではまだまだ大丈夫という思いであった。

 それにも関わらずの指示であり、若干見くびられたように感じる反面、そんなにパフォーマンスが落ちていたのかと反省していたところ、私が休まないと他の捜査員エージェント達も休めないと諭された。

 ならば上司、あなたは良いのかとも思ったが、寝ずに動ける相手に言っても詮無いことである。

 

 あの人は上司というだけではなく育ての親でもあるとは言え、少々過保護を感じることもある。だが、これまでを振り返ると真っ当な指摘や指示、アドバイスばかりで、自分の感情的な一面を再確認して軽く憂鬱になる。休みが必要だと言われたらその通りなのだ。


 小さい頃はもっと素直だったのにと自分でも思うが、なかなか感情的に整理のつかないことが日々増えていく。何かと反発していた高校生の頃に比べれば大人になったと自分では思っているが、立場が変われば変わったなりに難しさもある。

 大学を無事に卒業し、評議会カウンシルの職員となったことで、義理の親子だけでなく上司部下という関係性も生まれてしまい、あの人の今まで見えなかった側面が見えることに嬉しさを感じつつも、自分自身の成長や将来を考えると、なかなかに複雑である。


 あの人との関係は、つまるところ、自分の体質。半分しか人でなく、半分しか吸血鬼でないこの身体に起因する。

 血と臓物で溢れかえり、強烈な死臭で満たされたあの部屋。澱のごとく沈殿し、身体に絡みついていた妖気を振り払い、あの闇の底から助け出してくれた手。先日、久しぶりにその手を握った。大きさも強さも、そして冷たさもあの頃と何も変わらない。

 まぁ、考えてもきりがない。そのうち、姉さんたちにでも話を聞いてもらおう。気持ちを切り替えてしっかり休暇を取ろう。


 池袋から地下鉄で数駅のところに榊とその人が暮らす部屋がある。洗濯物を片付け、次の出動の準備をする。家でごそごそとやっていたら、もう夕方である。

 夕食はどうしようか。日用品の買い出しもあった為、ぶらぶらと近所の商店街まで歩く。外食するか、買って帰るか、何か作るか。


 商店街の中ほどにある八百屋の前を通りかかると、店先に珍しく葉にんにくが置いてある。店主に聞いたところ、近所の中華料理店に卸すはずが、急に店主が体調不良で休業となった為、行き場を失ってしまった品とのことだった。

 なかなか気軽に手に入らない。せっかくなので買い求める。葉にんにくがあるならば夕食は麻婆豆腐にしよう。


 家に帰り、グレーのスウェットに着替え、お気に入りのエプロンをかける。髪をざっくりとまとめ上げ手を洗う。


 なかなか立派な葉にんにくだ。縦に切った後、削ぎ切りしていく。断面を多くすると、香りがよくなるらしい。一本切り終えると、水につけた。

 次いで、長葱を取り出す。縦に何度も包丁を入れた後、みじん切りにしていく。好みなので葱は多めに入れる。

 商店街の豆腐屋で買ってきた絹ごしを切り分け、水を張ったボウルに入れた。包丁とまな板を洗い、調味料を用意する。


 中華鍋を引っ張り出し、コンロで熱した。油をひき、豚ひき肉を入れて炒める。肉に十分に火が通っても、脂が濁っているうちはまだ臭みが出る。続けて炒めていると、じゅうじゅうという音がぱちぱちという音に変わり、脂が澄んできた。出来栄えに満足し、火を止めた。

 鍋に甜面醤を入れて肉とよく混ぜる。次いで、紹興酒、醤油、胡椒をかけて肉みそを作った。皿に一度移す。


 改めて鍋に油、すりおろしたにんにく、豆板醤、唐辛子、辣油を入れて火をつけると、お玉の背で一気に混ぜる。混ざった調味料に泡が立ってくると火を止める。食欲をそそる良い香りだ。湯で溶いておいた鶏がらスープを入れ、先ほど作った肉みそを入れる。


 ソースが完成したので、片手鍋で湯を沸かして塩を入れ、切っておいた豆腐を茹でる。沈んでいた豆腐たちが踊りはじめるのを見計らい、湯から上げ、ソースの中に入れる。

 豆腐とソースを絡め、豆鼓、醤油、紹興酒、胡椒を振り、葱と葉にんにくを入れた。味見をすると良い塩梅である。

 水溶き片栗粉を少しずつ加え、とろみの様子を見る。いよいよ仕上げだ。強火にし、仕上げの辣油を入れ、鍋を揺らす。


 麻婆豆腐には白い器がよく似合う。ご飯も準備し卓につく。

「いただきます」

 グラスに注いだ紹興酒。その琥珀色は優しかった。

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