3話目
『あの〜まだかかりますかねえ?』
かかりますか?じゃない!かかるに決まってるだろ!
優は震える指を止めようと必死になる。指先にはコンタクトレンズが乗っていた。
かれこれ1時間はずっとこの調子である。
アニマニアで必要な物を買い、カラコンを買う準備として店員さんに勧められたこの鈴木眼科で視力検査を終えて、練習用にコンタクトを装着する事になったのだが。
付けられない。
コンタクトを目に近づけるとどうしても目の抵抗感で閉じてしまう。
考えてもみろ。人間に大切な目に何か触れようとするのは、本能で危険察知して閉じてしまうものなんだ。
『はい、お疲れ様でした〜』
自分より後に検査に来て、コンタクト装着練習を終えた人が多数。みんなあっさりと装着しているのだが、怖くはないのか?
危険察知とか本能とか言っている自分が情けないくらい時間がかかっている。ちなみに焦燥感はとっ国やって来て優を煽り散らす。
それでもちょっとずつ、本当にちょっとずつだけどもコンタクトを眼球に当てる事に慣れ、ようやく左目にコンタクトを装着する事が出来た。
左目だけで景色を見ると鮮明に辺りが映る。左は乱視もあったのだが、乱視用のコンタクトがあったので違和感は無かった。
その調子で右目は、今度はさほど難なく装着出来た。試してみて分かった。人間の眼球は思った以上に硬くて丈夫なのだと。
両目コンタクトでみた世界はとても鮮明であった。優は、これが眼鏡無しの普通の人の景色なのだ。と、眼鏡にはない感動を覚えた。
『付けましたか、良かった』
看護師さんはやっと終わったのか、といった感じであった。
『寝る時は必ず外して捨てて下さいね、ワンデー用ですから』
『助かりました、ありがとうございました』
優はそう言って会計を済ませて後にした。
それから数日後。
夜勤の日の出勤数時間前。優はいつもより早く起きて、ある準備をしていた。
彼は先日購入した本、コスサイドを開いていた。衣装が届く前にメイクの練習をしようと思っていた。
既に眉毛の整いは終えた。専用のハサミと毛抜きで優の眉は細くキリリとしていた。こんなに細くしていいものかと不安になったが、男装メイクはそうしろって本に書いてあったから…
そしてメイクの前にコンタクトを入れるのだが、やはりここは未だに苦労した。震える指先にコンタクトを乗せ、目に付けようとするのだが、まぶたのシャッターが防衛本能でそれを防ごうとする。それをなんども繰り返し、今回は30分程度で装着出来た。
そうしてようやくメイクをするだけなのだが、買って来た化粧品を見て思い出してしまう。
あの羞恥心は辛いものがあった。
優は眼科でコンタクトを購入した後、最後にメイク用品を買おうと駅前のデパートに行ったのだが。
女子!女子!女子!当然の事ながら、化粧品コーナーには女子しかいなかった。
その中に普通の男が一人で入るには、相当の覚悟と勇気が必要だった。それは服を探しに誤って、女性下着売り場を通ってしまったかのように。
しかしコスプレをする上でメイクは欠かせないのだ。南無三!!と彼は思い切って特攻した。何のどれを買えば全然分からなかったので、スマホでググって調べ上げる。
その間に、女性とすれ違う度に、『女装マニアの変態がいる』かのように思われてそうで、心臓がバクバク高鳴っていた。
そうした思いをしたくない事もあり、必要なアイテムをパパッと選び、会計を済ませて速攻で抜け出す。会計も会計で『いや、彼女に頼まれて』と、突っ込まれても返せるように、架空の彼女を作った。
今更ながらお会計が一万近くして軽く目眩がした。高すぎだろ…というより女子ってお金かかるんだなと感心した。恥ずかしくて値段をロクに見ずに買った男の末路である。
そして今に戻る。早速コスサイドの男子メイクコーナーを読むと、メイクをする前にまず化粧水を塗って水分を持たせ、乳液で潤いを保持させる。これにより化粧のノリが良くなるのだ。
その次に化粧下地を塗る。額、鼻頭、左右の頬、顎にそれぞれ1円玉くらいの大きさの塊を付け、それを全体に伸ばす。
次にコンシーラーである。これは主に目のクマ、ホクロやシミ等を隠す物であり、ピンポイントに塗っていく。優は長年の不規則な会社のシフト生活で目のクマが酷かったので、このアイテムは助かった。完全、とは言わなくてもある程度クマは目立たなくなった。
その次にファンデーション。パウダータイプを顔全体にパフでまぶしていく。ここで先ほど塗った目のクマのコンシーラーに重ねるとほとんど見分けがつかなくなった。メイク凄っ!と、優は感嘆した。
まだまだやる事がある。次はアイメイクである。筆型のリキッドタイプのアイライナーで目のふちをなぞるように描く。ちなみにこのアイライナーは『ウォータープルーフ』タイプであり、水に強く、汗や涙等で簡単に落ちない性能だ。もちろんお値段もお高めである。
このアイメイクは相当時間がかかった。なにしろ目のふちに描く訳である。コンタクトレンズ同様、プルプルとペンを持つ手が震えて、はみ出したり太くなったり上手く描けない。
ちなみにミスったアイラインは、綿棒で軽くなぞって擦れば消えてくれる。
締めの段階に入る。チークをまず眉の付け根の下から鼻柱のサイドに向かって軽く塗っていく。こうする事で鼻が細く見えてカッコ良さが出る。次にまたチークを耳下から頬に向けて顎下までシャッシャッと塗る。これで顔全体が引き締まったように見えるようになる。色はなるべく暗い色が良いらしい。
最後に唇潰しというメイクだ。これをしないと折角の男装メイクに赤紫な唇の色が目立ち、台無しになる。なので、メイクした肌色に近い色合いにする。これが唇潰しだ。
まずコンシーラーを唇全体に塗る。その上にリップクリームで潤いを持たせ、最後にファンデーションを塗って口をすぼめて開くのを数回すれば唇全体がなじむ。唇の色はメイクした肌の色みたく変化した。完成!!
ここまで2時間近くはかかったな…これを女性は毎日、まあ男装メイクとは違うが、やっていくのだから尊敬する。
改めて鏡に写る自分を見る。これは…ヴィジュアル系バンドマンみたいにカッコよく写っていた。
おお、まさかこんなに変わるなんて思わなかった。化粧映え、というやつか。元々自分の顔は男らしさが濃いわけでは無かったので、優は初めて、こんな自分に産んでくれてありがとうと母親に感謝した。
これを練習とはいえすぐ落とすのは勿体無いな。ちらっと時計を見やる。もう少しで出勤の時間だ。
『よし、このまま行ってみんなをびっくりさせよう!』
見せたがる優は、ある意味コスプレイヤーの資質があるのかもしれなかった。
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