カラの城下町

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カラの城下町

 戦時中、とある城下町から忽然と人が絶えて百年。

 人がいなくなった原因は諸説あるが、今だ定かではない。

 ただ一つ確かなのは、そこが「カラの城下町」と呼ばれるようになったということだ。


「その空の城下町に配達ねえ」

「あー、空の城下町? そっか。『ポストマン』がねえ」

「ボクは初めて行くんだけど、何かあるのかい?」


 自前の白い翼をはためかせながら、茶髪の男が一通の手紙を運んでいる。近くを飛ぶ渡り鳥から話しかけられ、男は首を傾げる。

 男は白い翼を生やしているが、天使ではない。ただ、そこそこ気の良いやつでどこにでも現れて手紙を届けるということから、彼は親しみを込めて『ポストマン』と呼ばれていた。


「行けばわかるよ」

「平気平気、死にゃしないよ」

「いやだな、怖いね。脅さないでくれよ!」

「大丈夫だって。それじゃあね!」


 苦笑いするポストマンに、渡り鳥たちはそれだけ残して地面へと降りていく。

 ポストマンも軽く下降して、空の城下町の位置を確認する。


 もう少し羽ばたいたところに、山積みになった灰色の石垣が見えると、彼は目を細めてまじまじと眺め始める。

 建造物もいくらか風化しているが、石造りの町並みはまだ残っている。


「うーん、戦争って感じのさびれ方じゃないね。崩れてるところもほとんどない」


 上空を旋回し、ポストマンはますます首を捻る。

 だが、何はともあれ配達だと、彼はゆっくりと地面に向けて降り始めた。


「よいしょっと……うわー、寂しい感じ……」


 彼は城下町入り口の石畳に着地して、見回してみた。あたりには人っ子一人いない。

 腐った看板に書かれた歓迎の文章は、かすれてしまって読むことができない。


「おーい!」


 声を掛けてはみるものの、声が石造りの家々に反響するだけで、反応はない。

 ポストマンは手紙を取り出して、宛先を再確認する。


 ――百年彼方の女王、アヤに贈る。


(城の方に行けばいいんだったっけ。人いるのかなあ)


 空の城下町の頂上にある城まで、ポストマンは歩き始めた。生活の跡を探そうとしたが、物干し竿に放り出された洗濯物はない。作りかけのシチューの鍋が置き去りにされていることもない。

 外は日差しが当たって、深い深い影ができているだけだ。


(なんか変だなァ。全部掃除された後だとか?)


 ポストマンは不自然さを覚えていた。というのも、こういう空き家には浮浪者がつきものだというのを、彼は知っていたからだ。それどころか、動物さえ見当たらない。


「疫病なら鼠とかさ、骨とか……そういうのがあったりしない? どう?」


 窓辺からベッドを覗き込んでみるが、どこもかしこもからっぽだ。人という痕跡自体が残っていない。


(少なくとも人払いはあるっぽいな……翼の根っこがビリつくっていうか、鳥肌が立つっていうか。ここで泊まろうって気にはなれないかも)


 これほどまでに謎めいた場所でありながら、調査に訪れている人間だっていない。

 本当に、誰もいない。

 漠然とした居心地の悪さを感じて、彼は軽く身震いした。


「うーん、となると大規模魔術の線なのかなあ。でも百年分からないことが、来たばかりのボクに分かるってのもおかしくない?」


 魔術までは詳しくないポストマンは、差出人不明の封筒に話しかけながら城へ歩き出す。

 坂を上る最中も灰色で、彼と手紙の蜜蝋だけが色づいている。

 彼はバザーがあっただろう大通りを抜けていく。穴の開いた灰色の天幕が、風に揺れている。

 もちろん、テーブルを見てみたが、商品は乗っていない。


(なーんにもない。置き去りにされて腐った食材だとか、風化したお土産さえない……ほんとに、カラだ)


 居心地の悪さに加えて、漠然とした不自然さが、ポストマンの脳裏をかすめる。

 空論は回る。だがそのひとつとして、形になることはない。

 やがて、彼は閉ざされた城門の前にたどり着くが、そこまでももちろん、人に会うことはなかった。


「立派な城門だ。んー、こういう時は……窓、窓っと……」


 巨大な扉を自力で開けることができないと判断したポストマンは、手近な窓を見つけて、そこへ向けて翼を広げ、跳躍した。

 軽やかに塔の窓から滑り込み、相も変わらず人の気配ひとつない城内をうろつき始める。

 城の中は、薄暗くて視界が悪い。


「おっと」


 かつんと、ブーツの先に何か当たった感覚に、彼は視線を落とす。

 汚れた銀貨が一枚、落ちていた。拾い上げて、眺めてみる。

 刻印から旧い硬貨であることだけが分かっただけで、何の変哲もないコインだった。

 ただ、彼にとってはやっと見つけた、持ち運べる意味のあるものだった。


「うーん……廊下にポイっていうのも、なんか気が引けるなあ。その辺の机とかに置いちゃおうかな? もしもーし、誰かいますか?」


 さて、持ってしまったからには置かねばならない。が、通路の真っただ中に落ちていた以上、元の場所に戻すのもどうだろうと、ポストマンは悩み始める。

 指と指の間にコインをくぐらせながら、適当な机がないか探し始める。

 そして、そういう時に限って、丁度いい場所というのは見つからないものだった。

 彼はうろうろしながら、階段を降りて、玉座の前にたどり着いてしまった。


「……」


 灰色の玉座がふたつあった。おそらく、王と女王の腰かける椅子だ。

 ポストマンは近づいて、玉座を眺めてみるが、やはり灰色だった。

 椅子の木材も、張られた布も、何もかも灰色だ。今までと、同じだった。


「おかしくない?」


 両手を腰にやって、彼は誰に言うともなく呼びかけた。


「今までは石造りだからって思ってたけど、王様とか女王様が座る椅子に灰色だけってのはないでしょ」


 赤、紫、金。玉座とは王の座る場所であり、王の力を示す場所だ。

 その威厳を知らしめるのに、周囲と同じ灰色では格好がつかない。見る限り、色が劣化したわけでもない。

 ポストマンは納得いかない風で、近場の窓を覗き込んだ。緑に囲まれた城下町は、繰り抜かれたように灰色だった。


「灰色なのは、石造りだからってだけじゃないのか……? これ、ひょっとして、全部『色』が抜けてる……?」


 ポストマンがそう呟いたとほぼ同時に、彼の背後から呼び声が掛かった。


「戦争は、終わりましたか?」

「うわっ、びっくりした」


 翼を毛羽立たせて、ポストマンは振り返る。

 そこにいたのは、一人の影法師だった。輪郭と声から考えてドレスをまとった女性ではないかと彼は思ったが、顔も分からない。


「戦争は終わりましたか?」

「……」

「手紙を、お持ちになったのでしょう?」


 女性の声に、ポストマンは差出人の名前を思い出し、手紙を差し出す。


「あなたが、アヤさん?」

「まあ、まあ。この時をどんなに待っていたでしょう。確かに、私はアヤです。アヤだったものです」


 女性はそっと手紙を受け取って、大切そうに封筒を胸元へと抱き寄せた。

 ポストマンは軽く頭を掻いて、天井の方を見上げる。灰色の国旗が張られている。


「この城下町はどうして空なのか、ご存知で?」


 やっとのことで言葉を出したポストマンに、女王は答える。


「百年の昔、ここは戦火の中にありました。私たち王家は被害を回避するべく、一つの魔法を使うに至ったのです」


 アヤと名乗った影と二人で、ポストマンは窓からの景色を見つめている。

 空を見れば、渡り鳥たちは城下町の上空を避けて通っている。


「『かげおくり』と呼ばれる魔法です。私たちは、国の全てを、建物の影の中に隠したのです。国民も、国民の大切にしているものも、時を止めて」

「それで誰もいなかったのか……人は新しく住んだりしなかったのですか?」


 影は窓辺に手を添えて、軽く頭を垂れる。


「ここに迷い込んだ者は、みな、同じように影の中に送られてしまいます。それを、人は本能的に察知します。居心地が悪くありませんでしたか?」

「確かにそうだったよ。でも、ボクは別のとこにも手紙を届けなきゃいけないから、それは困るなァ」

「いいえ。もうその心配はありません」


 アヤは封筒を開く。封筒の奥から、きらめく何かが溢れ出す。


「百の年月があなたを遣わし、『あや』をくださいましたから――私の役目は終わりです」


 ポストマンは、封筒の中から無数の色が溢れ出るのを見た。床に落ちた七色の雫が、石を本当の石の色に変えるのを見た。玉座が金と赤に輝くのを見た。国旗が青を取り戻すのを見た。


「ちょ、ちょっと! ねえ、役目が終わりって、どういうことだい!?」


 色の嵐に目を細めながら、ポストマンはアヤに問いかける。世界が彩られるにつれて、彼女もまた女王の姿を露わにしていくはずだった。

 だが、彼女だけが影法師のまま、輝く世界に置き去りになっていく。窓の向こうで、市場のテントが赤い色を取り戻す。


「私の役目は百年『かげおくり』を維持し、百年先の自分に託した手紙を待つことでしたから」

「折角平和になるのに、きみは行けないってこと? ……――なしには、できないのかい」

「とうに死んでいますから」


 ポストマンはとっさにアヤへと手を伸ばそうとした。だが、彼女は手を取らない。


「それに、渡り鳥たちが頑張って、ここに来てくれることもあったんです。ですから、寂しくはありませんでしたよ」

「……そっか」


 彼女の影が崩れていくのを見て、彼は手を引っ込め、彼女の最期を見据える。


「旅のお方、ひとつ頼みがあります。私の影を……どうか、空へ。報酬は……『それ』をお持ちください」


 そうして、窓の向こうの世界に人の気配が数多溢れ出した頃には、影法師はもうどこにもいなくなっていた。

 ポストマンはしばらくその場に立ち尽くしていたが、衛兵のせわしい駆け足の音を耳にして、とっさに身を翻し、窓から飛び出した。

 眼下に広がる町から居心地の悪さはすっかり消えていた。

 空の城下町は、夕陽に照らされ、黄金に輝いていた。もう、からっぽではなくなっていた。



(あの渡り鳥たちは知っていたんだろうか。だとしたら、心の準備ぐらいさせてくれてもいいじゃないか)


 時刻は夕暮れ近く。ポストマンは、再び入り口近くに降り立った。衛兵たちに顔を合わせるのはなんだか気まずくて、遠目に活気づき始めた城下町の様子を眺めている。迷い込んだ者も、元から住んでいたものも一緒くたになって、大騒ぎになっているらしい。


 それを眺めていた彼の手には、一枚の色を取り戻した金貨が握られていた。これが今回の配送料だ。


「……さて、約束を果たさなきゃね」


 彼は自分の爪先から伸びる影を見つめていた。夕暮れが深まるにつれて、伸びていくその影を、納得するまで見つめていた。


 そうして、不意に、空を見上げた。


 彼の視界の中で、残像が影から剥がれて、空へ浮き上がる。まるで、影が空へ吸い込まれていくかのように、残像は消えていく。

 この行為を、どこかでは『かげおくり』ということを、ポストマンは知っていた。


 自分の影を通して、あの色彩を待っていた女王が解き放たれた気がして、彼はほっとする。

 そうして、眩い夕陽を反射して黄金に輝く白い翼を広げて、次の手紙を届けるべく、空へ羽ばたいていく。


 最後にもう一度だけ、ポストマンは振り返る。そこに百年沈黙を貫き続けた空の城下町はなくなっていた。

 彼は振り向くことをやめて、雲の上へ飛翔する。その背後には、色に満たされた知らない城下町が息を吹き返して、いつまでも輝いていた。

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