第5話『呼ばれる部屋』

『呼ばれる部屋』


むかしむかし、ある大きな団地の五階に、不思議な部屋があったそうな。


見たところ、どこにでもあるような空き部屋で、誰も住んでおらず、表札も貼られてはおらなんだ。


けれど、いつからか住民のあいだで、こんな噂が広まった。


「夜中にその部屋の前を通ると、誰かに“名前を呼ばれる”」


聞いた者が振り返ってしまうと、もう戻れない――と、そう言うのじゃ。


ある若い男が、その話を面白半分で試してみた。


夜の十二時、わざわざ五階まで上がり、例の部屋の前を通ってみたのじゃ。


すると――


「……たけし、たけし……」


確かに、誰かが、耳元で囁いた。


だが男は自分の名前ではないと笑い、「なんだ、デタラメか」と踵を返した。


けれど、家に戻ってから、男はふと気づいた。


玄関の表札が、いつのまにか「たけし」になっておる。


スマホの連絡帳も、運転免許証も、SNSのアカウントも、すべて「たけし」。


慌てて実家に電話をかけても、母親はこう言ったそうな。


「……あんた、なに言ってるの? あんた、たけしでしょ?」


男は、混乱したまま夜を明かし、翌朝、団地の管理人に相談しに行った。


ところが――管理人は、不思議そうな顔をしてこう言った。


「五階? うち、四階建てだよ」


おそるおそる団地を見上げた男は、気づいてしまった。


一番上の階だけ、誰も見ていない。


けれど、夜になると――そこから、誰かの名前を呼ぶ声が、風にまぎれて聞こえてくるそうな。


あなたの名前も、もう呼ばれておるかもしれんよ。


――そんな、少し背筋のぞわっとする話でござった。


おしまい。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る