☾.‎˖٭


 戸黒さんが捕まったあと、私たちは烏丸さんが手配してくれた車で宝生家に帰った。


 家に着いてすぐに蓮花さんが出迎えてくれたけれど、稀月くんは私の手を握ると、蓮花さんにろくに挨拶もせずに私を二階へと連れていってしまう。


 稀月くんの様子は、前に狼の使い魔に連れ去られそうになったときと同じで。


 きっと、ものすごく心配をかけたんだってことが、わかりすぎるくらいにわかった。


「稀月くん……」


 怒っている猫みたいに神経を尖らせている稀月くんの背中。引きずられるように歩きながら名前を呼んだら、自分の部屋に私を引き込んだ稀月くんが、ドアが閉まるなり、きつく私を抱きしめてきた。


「瑠璃……、無事でよかった……」


 今にも泣きそうな声で呼ばれて、胸がぎゅっと痛くなる。


「ごめんなさい、稀月くん……。今夜は満月だから、気をつけるようにってあれほど言われてたのに」


 家族のことで呼ばれたからって、蓮花さんの名前を出されたからって、ひとりで職員室に行っちゃダメだった。先生が急いでても、稀月くんを待つべきだった。


 稀月くんも烏丸さんも大上さんも、最善を尽くそうとしてくれていたのに。


 戸黒さんに捕まってしまったのは、少しなら大丈夫だろうと気を抜いてしまった私の過失。


 運良く稀月くんが見つけてくれたけど、時間稼ぎに失敗していたら、戸黒さんに心臓を奪われていたかもしれない。


「拘束されたベッドの上で目覚めたときは、もうダメかもしれないって思ったよ。だけど……、どうして私の居場所がわかったの?」

「瑠璃に渡しておいたGPSキーホルダーが役立ったんです。最初は全然検討違いな場所を捜索していたんですが、よく見ると学校の近くでGPSが反応していることに気付いて……。それで、急いで現場に向かいました」

「そうだったんだ……」


 学校内でもGPSなんて過保護だなあって思ってたけど。そのおかげで助かったらしい。


「瑠璃の居場所がわかるまで、生きた心地がしなかった。おれのほうこそ、眼を離してすみません。今日は、誰に何を言われても、一秒もあなたから離れたらいけなかった」


 稀月くんがそう言って、私を抱きしめる腕に力を入れる。


「でも、助けにきてくれた」

「それは、ただの結果論だ」

「それでも、助けてくれてありがとう。生きて戻ってこられて、こうして稀月くんに触れることができて嬉しい」


 稀月くんを見上げて笑いかけると、彼が困ったように眉根を寄せた。


「まだ気持ちも落ち着いてないのに……。そんな可愛いこと言わないでください」


 稀月くんの手が、そっと私の頬に触れる。あたたかい手のひらに、すりっと自分から頬を寄せると、稀月くんが耐えかねたように、私に額に口付けた。


 彼の唇が触れた場所がそこであることに少しの物足りなさを感じながらも、無事に彼のところに帰ってくることができてほんとうに良かったと思う。


 私が帰る場所は、これからもずっと稀月くんのそばがいい。


 たとえ、私の特別な《心臓》で誰かを救うことができるのだとしても、この《心臓》は誰にも譲りたくない。


 私は稀月くんが好きだから。心を奪われるなら、稀月くんがいい。


「稀月くんは、魔女の《心臓》の特別な力が永遠じゃないって知ってた?」


 稀月くんの琥珀色の瞳をまっすぐに見つめて問いかけると、その瞳がわずかに揺れた。


「それは、どういう意味で聞いてますか?」

「全部わかってて、聞いてる」


 私がそう言うと、稀月くんが困惑気味に眉を下げた。


「全部って?」

「全部は全部。戸黒さんに聞いたよ。魔女の《心臓》の力は、身体の関係を結べばなくなるって。だから、もう満月の夜に怯えなくて済むようにしてほしい」


 結構だいたんなお願いを、せいいっぱいの言葉にして伝えたつもり。だけど、私を「好きだ」と言いながら、いつも額や頬にしかキスをくれない彼に、私の想いがうまく伝わるだろうか。


 ドキドキしながら見つめる私を、稀月くんがいまいち測りかねるかのような目で見てくる。


「戸黒がなにを言ったのかわからないけど……。ほんとうに全部わかってますか?」

「……わかってる」


 こくりと頷いても、稀月くんはまだ心配そうに私を見ている。


「瑠璃の気持ちは嬉しいけど……。魔女の《心臓》の力は、一度失ってしまえば戻らないんですよ?」

「いいよ。戸黒さんが捕まっても、Red Witchの他の使い魔に狙われる可能性があるんでしょう。このままずっと満月の夜に怯えなくて済むなら、力はなくてもいい」


「《心臓》が特別な力を失えば、長く生きることもできなくなります」

「特別長く生きられなくなっていいよ。稀月くんがそばにいてくれるなら、私はそれだけでいい」


 ふっと微笑むと、稀月くんが一瞬目を見開く。それから、頬をぱっと朱に染めた。


「瑠璃……」


 左手の甲で口元を覆った稀月くんの顔は、耳まで赤い。


 いつものクールな稀月くんもかっこよくて好きだけど、たまに見せてくれる素の表情の稀月くんも大好き。


 だから……。


「特別な《心臓》はいらないから、稀月くんに私の心をもらってほしい。私、稀月くんが好きだよ」


 ふわっと微笑むと、踵をあげて背伸びする。


 下からそっと、唇が触れるだけのキスをすると、稀月くんが額に手をあててため息を吐いた。


「ご、めんなさい……。嫌だった?」


 私だけが、一方的で強引だったかもしれない。


 不安になって離れようとすると、稀月くんが私の腰に腕を回す。そのまま、グイッと引き寄せられて、離れかけたふたりの距離が縮まった。


「嫌なわけないでしょう。おれは、子どもの頃からずっと瑠璃のことが好きなんです」

「だったら、稀月くんが私の《心臓》の力を奪ってくれる……?」


 稀月くんの瞳を間近に見つめながら訊ねると、彼が少し切なげに目を細めた。


「むしろ、おれ以外に《心臓》の力を奪わせたら許しませんけど」


 掠れた低い声でささやかれて、胸がきゅっとなる。


 指先ですりっと輪郭をなぞるように頬を撫でられて、私は小さく身体を震わせながら目を閉じた。


 閉じた瞼にやわらかなものが触れて、また小さく身体が震える。


 私の髪を愛おしそうに撫でながら、稀月くんが続けて頬にキスをする。


「稀月くん、好き……」


 ささやく私の唇に、


「おれもです……」


 稀月くんの熱い吐息がかかる。そのまま唇が重なるのを待って身構えていると、稀月くんが「瑠璃……」とせつなげに私を呼んだ。

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