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「私の心臓をあげれば、茉莉の病気はほんとうによくなるの?」
私の質問に戸黒さんが「そうですよ」と頷く。
「わかった。それなら稀月くん、私の心臓、必ず茉莉のもとに届けてね」
そうは言ってみたけれど、その約束が守られても守られなくても、正直どうでもいい。
諦めと覚悟と。その両方の気持ちで、稀月くんにふっと笑いかける。そんな私を見据える稀月くんの唇が、何か言いたげにわずかに震えた。
「瑠璃さんもこうおっしゃってることですし、そろそろお願いできますか? 夜咲くん」
戸黒さんにうながされ、稀月くんがナイフの先を私のほうに向けながら一歩近づいてくる。
私を見つめる稀月くんの琥珀色の瞳は鋭く冷たくて。何を考えているのかはわからない。
無感情な彼の瞳は、私を殺すことに何の躊躇いもないのだということを物語っているようだ。
それでも、真っ直ぐに私に向かって歩いてくる稀月くんは凛としていてとても綺麗で。ぎゅっと胸が締め付けられるような痛みを感じながらも、やっぱり、稀月くんのことが好きだと思う。
私はほんとうの両親を知らない。生まれてきたときから、何も持っていない。
そんな私の最期を見送ってくれるのが、初めて恋をした人なら。その人に奪われた心臓が、大好きな茉莉のために役に立つのなら。
私の人生はそういう運命で、案外悪くなかったのかもしれない。
稀月くんが振り上げた銀のナイフが、いよいよ眼前に迫ってきて、反射的に目を閉じる。
「さよなら……。だいすき……」
瞼を閉じたまま、ほとんどひとりごとみたいに小さくつぶやく。
そのとき――。
「……うっ……」
地下にあるはずの駐車場に、ブワッとものすごい突風が吹き込んできた。
背後に黒多さんの低い呻き声を聞いたかと思うと、解放された体が軽くなって、前へと引っ張られる。
「……、大丈夫ですか?」
ふいに耳元で優しい声がして顔を上げると、さっきまで私にナイフを向けていたはずの稀月くんに抱きしめられている。
「え、稀月くん……?」
「動くなっ! NWIだ」
戸惑っていると、背後から声が聞こえてくる。
恐々振り向くと、黒多さんと私たちを襲ってきた背の高い黒服の男が若い男の人に腕を捻りあげられるようにして捕まっていた。
たったひとりでおとなの男ふたりを捕まえているのは、Tシャツにジャケット、黒のズボンを着た、ふわっとしたミルクティー色の髪の男の人。見た目にはあまり力があるように見えないのに、涼しい顔で軽々とふたりを押さえているから驚きだ。
「遅いぞ、イヌガミっ! もっと早く到着する予定だっただろ」
びっくりして目を瞬く私のそばで、稀月くんが叫ぶ。
「イヌガミじゃなくてオオガミっ! こっちにもいろいろ事情があったんだよ」
「なんだよ、事情って……」
茶髪の男の人を睨んで舌打ちする稀月くん。どうやら稀月くんは、彼とも知り合いらしい。
あの人も、稀月くんの仲間で私の心臓を狙いにきたの――? でも、黒多さんはあの人に捕まってて……。
新たな展開にわけがわからず混乱していると、稀月くんが私の耳元で囁いた。
「お嬢様、怖い思いをさせてしまってすみません……。あいつらが来たから、ここはもう大丈夫です。おれたちは上へ」
「あいつらって誰……? 稀月くんは……、私の敵……? 味方……?」
駐車場の床に無造作に転がる銀のナイフをチラリと見ながら訊ねると、稀月くんが申し訳なさそうに目を伏せた。
「不安にさせてすみません。おれの使命は、初めからずっとあなたを守ることだけです」
「ほんとうに……?」
「ほんとうです。言ったでしょ。何が起きても信じていてほしいって。詳しいことは、戸黒を捕まえてふたりだけになれたときにゆっくり話をさせてください。それから、さっきのお嬢様からの告白の話も……」
稀月くんが私を見つめながら、ふっと口元を緩める。私を見つめる稀月くんの琥珀色の
「え……! こ、告白って……」
ま、まさか……。もう最期だと思ってつぶやいたひとりごとが稀月くんの耳に届いていたの――?
「おれは使い魔なので、普通の人間より耳がいいんです」
カァーっと耳まで顔を熱らせた私の手を引いて立ち上がらせると、稀月くんが片目を細めてイタズラっぽく笑いかけてくる。
そのとき、エレベーターのほうから、黒い影がビュンッとものすごい勢いで飛んできた。
次の瞬間、黒のスーツを着た黒髪の男が現れて、戸黒さんの顔の前に短銃を突き付けていた。メガネをかけた生真面目そうな横顔のその人も、よく見れば端正な顔立ちをしている。
「NWIだ。お前がRed Witch第18ガルドのリーダー、戸黒だな」
短銃を突き付ける男の空気を裂くような澄んだ声が響く。
戸黒さんは、特に焦る様子もなく、ニヒルな笑みを浮かべた。
「なるほど。夜咲くんは瑠璃さんに執着があったわけではなくて、初めからNWI側だったわけですか。私としたことが、完全に読み違えていたようですね」
戸黒さんが、私と稀月くんのほうに視線を向ける。三白眼気味のその瞳は、無機質で冷たくて、背筋がゾクリとした。ぶるりと震えた私を、稀月くんがそっと抱きしめてくれる。そうされて、ようやく、稀月くんがほんとうに私の味方なのだと実感できた。
だけど……。
「戸黒。おまえに直接指示を出していたのは椎堂夫婦で間違いないな」
黒髪のスーツの男が戸黒さんに問いかけるのを聞いて、心臓がきゅーっと締め付けられるように痛む。
椎堂の両親は、やっぱり私を利用するために引き取ったのだろうか。戸黒さんは、何と答えるのだろう。
少し緊張しながら待っていると、
「それはどうでしょうか。忠実な使い魔は、主人の秘密は話しません。あなたたちだってそうでしょう?」
戸黒さんは、スーツの男の質問に曖昧な答えを返した。
「まあ、いい。詳しいことは取調べのときに聞かせてもらう」
スーツの男は、戸黒さんに短銃を向けたまま、左手で彼に手錠をかけた。
「行くぞ、
黒髪のスーツの男の人が、大上と呼んで茶髪の男を振り返ったとき……。
戸黒さんがニヤリと笑って、手の中に緩く握りしめていたものを地面に落とした。
「やばい……、
プシューッとスプレー缶から空気の抜けるような音がして、戸黒さんの足元から灰色の煙が立ち込める。
すぐにバンッと火薬の破裂するような音がして、
「伏せて……!」
稀月くんが私を抱きしめるように押さえながら、地面に伏せた。
パン、パンッ……!
続けて何度か破裂音がして、周囲が煙に包まれる。稀月くんと口を押さえながら咳き込んでいると、しばらくして煙が晴れた。
だがそのときには、手錠をかけられたはずの戸黒さんも、大上さんに取り押さえられていた黒多さんともうひとりの男も煙のように姿が消えていた。
「烏丸さん、大丈夫ですか?」
大上さんが、ケホケホと咳をしながらスーツの男――、烏丸に駆け寄る。
「逃げられた……」
短銃をジャケットの内側にしまいながら、烏丸さんが悔しげに唇を歪めた。
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