「お姉ちゃん、稀月くん、座って」


 茉莉が私と稀月くんを順番にソファーに座らせて、自分は稀月くんの隣に座る。その距離がやけに近いような気がして、私の胸に複雑な思いが過ぎる。


 稀月くんの隣で嬉しそうな茉莉の横顔を無言で見ていると、


「お姉ちゃん、食べないの?」


 茉莉が不思議そうに首を傾げた。


 茉莉は、ただ純粋に稀月くんが隣にいることを喜んでいるだけ。好きな人がそばにいたら、嬉しくなってしまうのはあたりまえ。わかっているのに、私はこの頃、ときどき茉莉に嫉妬してしまう。


 前は――、稀月くんが来るまではこんな気持ちになったことはなかった。


 六歳で椎堂の家に引き取られたときから、立場はきちんとわきまえなければいけないと思ってきた。


 椎堂の両親は「ほんとうの娘だと思っている」と言ってくれるし、名門の私立高校に通わせて、セレブな教育を受けさせてくれて、私にはもったいないくらいの生活を送らせてくれている。


 今の生活に不満はない。私はとても恵まれている。


 だけど……。もし万が一、私が両親や茉莉の機嫌を損ねるようなことがあれば、今の生活はなくなるかもしれない。


 両親や茉莉がどんなに優しくしてくれても、心のどこかにそんな想いはずっとある。


 それなのに、稀月くんが来てからは……。稀月くんのことが絡むと、私の茉莉に対する気持ちがブレそうになる。


 茉莉は、可愛い妹で、私の世界のお姫様なのに。茉莉に対して、モヤモヤした感情を抱いてしまう自分が嫌だ。


「お姉ちゃん、はい」


 ぼんやりしていると、茉莉がシュークリームの箱を私のほうに差し出してくる。


「あ、うん……。ありがとう」


 私がシュークリームに手を伸ばすと、茉莉がほっとしたように笑った。


「どうしたの、お姉ちゃん。今日はなんだかうわの空だね」

「そんなことないよ」

「そう? あ、そうだ。茉莉からお姉ちゃんに渡したいものがあるんだった」


 茉莉がそう言って、そそくさと立ち上がる。それから、ベッドサイドの引き出しを開けると、何かを後ろ手に隠しながら私のところに戻ってきた。


「お姉ちゃん、お誕生日おめでとー」


 茉莉が私の前に出してきたのは、私への誕生日プレゼント。パールのついた手作りのヘアゴムだった。


「お姉ちゃん、もう高校生だし、本当はもっと、メイク道具とかアクセサリーとかいいものをあげたほうがいいんかなって思ったんだけど……。ちゃんと心を込めたものをあげたいなと思って、こっそり作ってたんだ。よかったら使ってね」


 照れくさそうに笑う茉莉は、初めて会った日と変わらず可愛い。絵本の中から出てきたお伽話のお姫様みたい。


「ありがとう、茉莉。嬉しい……。大事にするね」


 細い身体をぎゅっと抱きしめると、茉莉がふふっと笑う。


「喜んでもらえてよかった。あれ、お姉ちゃん。そんなブレスレット持ってたっけ?」


 しばらくしてから茉莉を離すと、何気なく視線を下げた茉莉が私の左手首のブレスレットに気が付いた。


「ああ、これは……」


 なんと言おうか、少し迷った。これは、今朝、稀月くんがくれた誕生日プレゼント。でも、茉莉からのプレゼントをもらったあとで、正直に話すべきか迷う。


 だって、茉莉はたぶん稀月くんのことが好きなのだ。


 なんとなく右手でブレスレットを隠すようにかばうと、茉莉が怪訝な顔をした。


「お姉ちゃん?」

「それは、学校のお友達にもらったものみたいですよ」


 答えに困っていると、稀月くんがさりげなく助けてくれた。


 学校の友達にもらったもの……。


 稀月くんは同じ学校の同級生だから、広い意味では間違いじゃない。


「そっかあ。高校生になると、大人っぽいプレゼントをもらうんだね。茉莉のプレゼント、やっぱり子どもっぽかったかな」


 眉を下げて申し訳なさそうに笑う茉莉に、私は「そんなことないよ」と首を振る。


「茉莉が私のために考えて用意してくれたってことがすごく嬉しい。私は茉莉が大好きだもん。茉莉のためだったら、私、心臓をあげてもいい」


 そう口にしながら思い出したのは、昨夜起きた『孤独な魔女の物語』をモチーフにした事件のこと。


 あの事件やモチーフになったという童話な気になったのは、単順に怪奇的な事件だからじゃない。


 ひとりぼっちだった魔女と友達になってくれた病気のお姫様。物語のふたりの関係性が私と茉莉に似ていて、私には魔女がお姫様を助けたかった気持ちがわかったからだ。


「お姉ちゃん……?」

「お嬢様……」


 突拍子もないことを言った私を見て、茉莉と稀月くんが驚いた顔をする。それから、茉莉が悲しそうな顔で私の手をぎゅっと握った。


「お姉ちゃんが茉莉のこと大好きって思ってくれてるのは嬉しいけど……。もし茉莉に心臓をくれたら、お姉ちゃんいなくなっちゃうじゃん。茉莉、そんなの嫌だよ」

「ご、めん……」

「謝らないで。大丈夫だよ。茉莉はちゃんと元気になるから。高校生になったら、普通の生活ができるようになるといいなあ。そうしたら、お姉ちゃんや稀月くんと一緒に学校に行きたい」


 無邪気に微笑む茉莉は可愛い。


「そうだね。茉莉が早く家に帰ってこれるといいね」

「うん」


 茉莉は私に頷くと、稀月くんのほうを見た。


「ねえ、稀月くん、そのときは、たまにでいいから茉莉のボディーガードにもなってほしいな」


 可愛い茉莉から上目遣いにお願いされて、稀月くんが困ったように少し笑う。


 茉莉は優しくていい子で、椎堂家の正真正銘のお嬢様。大好きで大切な、私の妹。


 それなのに、茉莉に対する稀月くんの曖昧な反応が、私をまた複雑な気持ちにさせる。


 ああ、そうか……。茉莉が元気になるっていうのは、そういうことでもあるのか……。


 元気になった茉莉が父に頼めば、稀月くんはきっと茉莉のボディーガードになるんだろう。


 お姫様みたいに可愛い茉莉と綺麗でかっこいい騎士ナイトのような稀月くんは、すごくお似合いだ。


 でも、そうなったら私は……。茉莉に対して、またモヤモヤした感情を抱いてしまう自分がいて。そんな自分は、心が狭くて醜いと思う。無垢で心の綺麗な茉莉なら、きっとこんな感情は抱かない。


 ふたりのことをぼんやりと見つめながら、私は膝の上でぎゅっと手を握りしめた。

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